ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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風呂の愉しみ

2022-07-12 23:43:33 | エッセイ・雑文(韓国・朝鮮関係以外)
   風呂の愉しみ

 もう二十年以上も前のことだ。たまに行っていた古書店で、ある日店主と常連と思しき客が実に楽しそうに話をしていた。少し離れた所でなんとはなしに聞いていると、風呂に浸かりながら本を読むという話だ。
 浴槽に肩から上が出せるほどのすき間を空けて蓋をして、その蓋の上には乾いたタオルを広げて乗せておく。自分は湯船に入って両手の肘を蓋の上に置き、本を持って読むのだ。
 ところが折しも冬。両手を湯から出すのは寒くてつらい。本は片手で持ち、もう一方の手は湯に入れる。そして本を持った手が疲れたり、冷たくなったりしてきたら左右の手を交代させる。その時に、濡れた手で本を持つわけにはいかないのでタオルで拭くというのである。
 というようなことを客が話すと、店主が「そうそう、私もそうしてますよ」と応じている。
 聞いていた私は内心驚いた。
 二人の変わり者ぶりに、ではない。実は私も、かねて以前からまったく同じようなことをやっていたからだ。もとより私は何事にも控えめな性格なので二人の話には加わらなかったが、読書癖のある人間の考えることは同じだと思ったものだ。
 もちろん湯気の立ち込める浴室内なので、本に湯が掛からなくても滴が天井から落ちてきたり、本全体がふやけたりするのは当然だ。したがって読む本も読み捨てお構いなしの雑誌やどこにでもある文庫本になる。ただ、油断してはならないのは分厚い文藝春秋だ。何日もかけて読んでいるうち重くなってくる。新聞を読むこともよくあるが、これも要注意だ。一日分はたいしたものでもないが、気がつけば処理が大変なほどの量になっている。新聞はそんな怖ろしさを本来的に秘めているのだ。
 ある日の入浴中のことだ。文藝春秋だの週刊文春だのがまとまって浴槽の蓋に乗っていたと思ってほしい。わが家のユニットバスの蓋はちょっと柔(やわ)だった。湿気を含んだ本の重みで撓(たわ)み、片側が浴槽の縁(へり)から外れてしまったのである。あろうことか、私の目の前で大きく傾いた蓋の上から何冊もの本や雑誌が湯の中に崩れ落ちていくではないか・・・。
 今でもその時の光景は、テレビ等で北極海での氷山崩落の映像を見る度に思い出す。

 と、ここまで読まれた方は「読書の話か」と思われるかもしれない。だが表題のようにテーマは「風呂の愉しみ」だ。
 風呂といっても家風呂の場合だが、少なくとも私にとっては読書がことほどさように代表的な愉しみなのである。

 読書よりももっと一般的な「風呂の愉しみ」としては「歌を歌うこと」を挙げる人が多いのではなかろうか? リラックスした気分の上、とくに自分の歌が上手く聞こえることが大きい。しかしこれは単に錯覚にすぎない。あるボイストレーナーはネット上で「お風呂で歌い、エコーがかかり上手く聞こえてしまう。そんな偽りの自分は捨ててしまいましょう」とまで厳しく注意している。

 家風呂の愉しみの三つ目はパズルだ。パズル本とエンピツを持って風呂に入るが、これも場合によっては危険だ。なかなか解けないとそれだけでも頭に血が上ってしまう。逆にゆったりしていると眠り込んだりする虞(おそれ)もある。いや実際にあった。わが家のユニットバスは長さが短く、全身を伸ばして入ることができない。小さな鍋でレトルトカレーを温めるようなもので、体全体が一度に温まらないのが残念至極だ。しかし、ぬるめの風呂で眠り込んだ時にはそれが幸いした。でなければ身体が丸ごと水没していたところだ。なんとなく蕪村の「温泉(ゆ)の底にわが足見ゆるけさの秋」云々という句が思い浮かんだ。(※実を言えば、信州へのスキー旅行の宿でナントカかるたの中にあった句で、「温泉の底に溺れた子供が沈んでる」という駄パロディを作ってややうけしたことを思い出した。)

 銭湯の場合は家風呂に比べはるかに多くの愉しみがある。
 東京での学生生活を始める前、母から銭湯の入り方を教わったのを憶えている。風呂付きの下宿ではなかったので、タオルを携行して学校帰りに銭湯に立ち寄ったこともしばしばあった。
 銭湯で楽しいのは、もちろん風呂絵だ。富士山をはじめとする風景は定番だが、その銭湯の地域に関わる絵柄は多い。神奈川で暮らすようになって半世紀近くになるが、その間入ったことがある銭湯は何十軒になるだろうか? 彼方の富士山の手前に相模灘が広がる絵があった。横浜市内では、明治維新頃の横浜港辺りの浮世絵。そして北斎のあの「神奈川沖浪裏」の見事なタイル絵などが印象に残っている。
 学生時代に見た銭湯絵で忘れられないのは、画面の右から中央に向かって巨大なバナナが空中を飛び、それを画面左側からスーパーマンならぬスーパーウーマンが少し胸をはだけ、やはり空を飛びながら拳を前に突き出して巨大バナナを迎え撃つという、なんともケッタイな絵である。思えばいかにも六〇年代末らしい、横尾忠則を思わせる絵だった。あの絵がその後どうなったか、少し気になる。

 地域性といえば、銭湯の客層がまさにそれを表している。横浜の街中にある私がよく行く銭湯では背中や二の腕に彫物を入れた客をよく見かける。三十代から七十代くらいまで、行けば大抵いる。話をしたことも幾度かあるし、恐いと思ったことはない。それも場所柄だろうか。女湯から韓国語だか中国語だかが聞こえてくることもある。
 ある銭湯では、脱衣場の上の方に力士たちの手形が押してある額が掲げられていた。よく見れば「昭和廿七年二月」のもので、横綱・羽黒山の他、名寄岩、時津山など立浪一門だなと相撲ファンだった幼児の頃の記憶がよみがえった。銭湯のおかみさんに尋ねると「亡くなった先代が相撲が大好きでねえ・・・」と喜んでくれた。そんなこともあった。

 この数十年の間に銭湯は激減した。今生き残っている中には、サウナや薬湯、気泡風呂に超音波風呂、それに露天風呂等々、スーパー銭湯並みの施設を備えた銭湯も少なからずある。それももちろん悪くはないが、私はどちらかといえば昔ながらのたたずまいと設備で客は少なくても健闘している銭湯に愛着を感じ、バイクに乗って行くことが多い。同好の士はけっこういるようで、ネット上には関係のブログやツイッターなども多い。

 風呂の愉しみについていろいろ書いたが、一番の愉しみはと言えばそれは「暖かい湯に浸かること自体」である。蒸し暑い夏も、そしてもちろん極寒の冬も。
 雪の降り積もっている中で湯に入っている地獄谷温泉の猿たちの至福の表情を見ると、「うん、そうだろう。気持ちいいよなあ」と、ヒトとサルという種を超えて共感を覚えるのである。
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