3月5日(土)原鉄道模型博物館に行ってきました。横浜駅東口から歩いてすぐの所です。
実は私ヌルボの住まいから徒歩圏内。しかし、2012年7月開館なのに存在を知ったのは昨年で、入館は今回が初めてでした。
第一京浜の南側から見ると、首都高の向こう、奥(北)から横浜そごう、スカイビルときて、一番手前が横浜三井ビルディング。(上左) この建物内にあります。1月16日(土)~3月17日(木)<台湾の鉄道展>ということで、朝鮮と共通する点も多いだろうと思い、この機会に一度見てみようと思ったわけです。
エスカレーターで2階へ。鉄道模型で入館料が大人\1,000とは高いんじゃないの?と内心思ったヌルボ。しかし、見て回った後の感想は、「むしろ安い!」
いやあ、95年のほとんど全生涯を通じて鉄道模型と実際の鉄道に情熱を傾けたこの方は、マニアの極致と言っても過言ではありません。
原信太郎さん(1919~2014)。正直なところ、原さんが才能と財力と自由に使える時間に恵まれていたことは羨ましいかぎり。子供の頃からすごく高価な(今のお金だと数十万円?)模型を買ってもらえたりしたわけですからねー。(上の説明文を読むと「旅した国延べ約380ヶ国」という数字もオドロキ。たとえば10ヶ国を周る旅行38回分ということ?)
さて、私ヌルボが入館してすぐ、「おおっ」と思ったのは、陳列されている鉄道模型の大きさ。子供の頃から見慣れているHOゲージとかOゲージよりずっと大きい、軌間45mm一番ゲージというものだそうです。
そして最初の部屋ですぐ目にとまったのがこれ。(下画像)
思いがけなくも、終戦までの朝鮮で走っていた金剛山電気鉄道の模型がみられるとは!
細部に至るまで凝りに凝って、とても精密に作られています。
「内金剛~鐵原」という行先標はもちろん右読みの旧字体。車両下部の機器箱は開閉できるようになっています。そして、模型の製作過程を撮った写真はアルバムに整理され、映像資料として検索して見られるようになっています。
ところで、特別展のタイトルは冒頭で記したように<台湾の鉄道展>です。原さんはとくに台湾には思い入れが深かったようで何度も訪れ、1968年撮影の貴重な動画も残しています。この記事ではそれら台湾のことについては字数の都合上ばっさりカットします。が、1つだけ阿里山森林鉄道の見どころ独立山スパイラルループ線の図だけ貼っておきます。これは以前→コチラの記事で紹介した「日本鉄道旅行地図帳 歴史編成<朝鮮・台湾>」(新潮社)掲載のものですが、この特別展でも同様の図がありました。私ヌルボ、最初にこれを見た時には驚いたものです。平面図で見るとトンネルが交叉しているではないですか。1916年という時代によく造ったものです。ダージリン・ヒマラヤ鉄道(インド)、アントファガスタ・サルタ鉄道[アンデス山鉄道](チリ~アルゼンチン)とともに世界三大登山鉄道に数えられているのもむべなるかな、って乗ったことがないので想像するだけですが・・・。
この阿里山森林鉄道が路線延長82.6キロ(嘉義~新高口)だったのに対し、1931年に(鉄原から)内金剛まで延びた金剛山電気鉄道は116.6キロ。(ちなみに箱根登山鉄道(小田原~強羅)は15キロ。) 阿里山森林鉄道が今も嘉義~阿里山間を運航しているのに対し、金剛山電気鉄道の方は起点の鉄原が38度線以北なので終戦後わずか9日後にソ連軍により南と分断され、その後朝鮮戦争で破壊され、休戦後鉄原は軍事境界線の南、つまり韓国の領域となりましたが、いかんせん金剛山が北朝鮮側なのでいまはもう「伝説」として語られるのみ、かな? ※1997年開業の金剛山青年線(安辺~金剛山)は別ルートなのでこの際関係ナシ。
原さんがこの金剛山電気鉄道に乗ったのは1939年、20歳の時。展示されている年譜によると、2年前の1937年「18歳 通学用に初めて自動車を買う(ダットサン)」という記述が・・・。
著書によると、鉄道技術を本格的に学ぶため慶応大から東京工業大に入学しなおすことに決め、その受験勉強もめどが立ってきた頃「息抜きに朝鮮旅行に出かけました」とのこと。(ウグーッ!) さらに「旅行から帰ってきてから受験科目を勘違いしていたことがわかり、必死になって勉強しました。そのかいもあってなんとか大学には合格することができました」ですと。(ムグ~!!)
上左の画像上部の絵は、1929年京城市内で開かれた朝鮮大博覧会に際し金剛山電鉄が発行した吉田初三郎の「朝鮮金剛山交通大鳥瞰図」です。→コチラのサイトで拡大して見ることができます。
見学所要時間は約1時間半。順路の最後の方でまた「おおーっ」と声を上げそうになったのがこの展示。→ウィキペディアによると「1番ゲージの室内ジオラマとしては世界最大級の面積(約310平方メートル)」なのだそうです。いやー、すごいすごい! 小さな子供が「動鉄実習」中。本物の運転台を使って模型を運転しています。前のディスプレイには運転車両の車載カメラの映像が映し出されていて臨場感がある、と思います。
いやあ、1人で行ってけっこう感動し、コーフンした博物館でした。特別展の企画によっては当然また行ってみます。あ、<台湾の鉄道展>は昨日でオシマイだったか! この記事を見て「行ってみようかな」と思った人ごめんなさい。
後日、市立図書館に原信太郎さんご自身による本があったので見てみました。
この本も、いろいろ興味深い文と写真がいっぱいです。たとえば金剛山電気鉄道22号の模型を下から撮った写真とか・・・。
この後、金剛山電気鉄道の歴史、戦後そして現在の遺構等々についても興味がわいてきて、すこしずつ関連書を読み始めています。あー、ネタは次々にわいてきて、記事は遅々として進まない状態。困った困った・・・。
※館内で撮った写真を多数載せましたが、しばらく前から撮影OKになっています。動画も多数アップされていて、中には
金剛山電気鉄道22号の動画もあります。→コチラ。
※原鉄道模型博物館の公式サイトは→コチラ。
実は私ヌルボの住まいから徒歩圏内。しかし、2012年7月開館なのに存在を知ったのは昨年で、入館は今回が初めてでした。
エスカレーターで2階へ。鉄道模型で入館料が大人\1,000とは高いんじゃないの?と内心思ったヌルボ。しかし、見て回った後の感想は、「むしろ安い!」
いやあ、95年のほとんど全生涯を通じて鉄道模型と実際の鉄道に情熱を傾けたこの方は、マニアの極致と言っても過言ではありません。
原信太郎さん(1919~2014)。正直なところ、原さんが才能と財力と自由に使える時間に恵まれていたことは羨ましいかぎり。子供の頃からすごく高価な(今のお金だと数十万円?)模型を買ってもらえたりしたわけですからねー。(上の説明文を読むと「旅した国延べ約380ヶ国」という数字もオドロキ。たとえば10ヶ国を周る旅行38回分ということ?)
さて、私ヌルボが入館してすぐ、「おおっ」と思ったのは、陳列されている鉄道模型の大きさ。子供の頃から見慣れているHOゲージとかOゲージよりずっと大きい、軌間45mm一番ゲージというものだそうです。
そして最初の部屋ですぐ目にとまったのがこれ。(下画像)
思いがけなくも、終戦までの朝鮮で走っていた金剛山電気鉄道の模型がみられるとは!
細部に至るまで凝りに凝って、とても精密に作られています。
ところで、特別展のタイトルは冒頭で記したように<台湾の鉄道展>です。原さんはとくに台湾には思い入れが深かったようで何度も訪れ、1968年撮影の貴重な動画も残しています。この記事ではそれら台湾のことについては字数の都合上ばっさりカットします。が、1つだけ阿里山森林鉄道の見どころ独立山スパイラルループ線の図だけ貼っておきます。これは以前→コチラの記事で紹介した「日本鉄道旅行地図帳 歴史編成<朝鮮・台湾>」(新潮社)掲載のものですが、この特別展でも同様の図がありました。私ヌルボ、最初にこれを見た時には驚いたものです。平面図で見るとトンネルが交叉しているではないですか。1916年という時代によく造ったものです。ダージリン・ヒマラヤ鉄道(インド)、アントファガスタ・サルタ鉄道[アンデス山鉄道](チリ~アルゼンチン)とともに世界三大登山鉄道に数えられているのもむべなるかな、って乗ったことがないので想像するだけですが・・・。
この阿里山森林鉄道が路線延長82.6キロ(嘉義~新高口)だったのに対し、1931年に(鉄原から)内金剛まで延びた金剛山電気鉄道は116.6キロ。(ちなみに箱根登山鉄道(小田原~強羅)は15キロ。) 阿里山森林鉄道が今も嘉義~阿里山間を運航しているのに対し、金剛山電気鉄道の方は起点の鉄原が38度線以北なので終戦後わずか9日後にソ連軍により南と分断され、その後朝鮮戦争で破壊され、休戦後鉄原は軍事境界線の南、つまり韓国の領域となりましたが、いかんせん金剛山が北朝鮮側なのでいまはもう「伝説」として語られるのみ、かな? ※1997年開業の金剛山青年線(安辺~金剛山)は別ルートなのでこの際関係ナシ。
原さんがこの金剛山電気鉄道に乗ったのは1939年、20歳の時。展示されている年譜によると、2年前の1937年「18歳 通学用に初めて自動車を買う(ダットサン)」という記述が・・・。
著書によると、鉄道技術を本格的に学ぶため慶応大から東京工業大に入学しなおすことに決め、その受験勉強もめどが立ってきた頃「息抜きに朝鮮旅行に出かけました」とのこと。(ウグーッ!) さらに「旅行から帰ってきてから受験科目を勘違いしていたことがわかり、必死になって勉強しました。そのかいもあってなんとか大学には合格することができました」ですと。(ムグ~!!)
いやあ、1人で行ってけっこう感動し、コーフンした博物館でした。特別展の企画によっては当然また行ってみます。あ、<台湾の鉄道展>は昨日でオシマイだったか! この記事を見て「行ってみようかな」と思った人ごめんなさい。
後日、市立図書館に原信太郎さんご自身による本があったので見てみました。
この後、金剛山電気鉄道の歴史、戦後そして現在の遺構等々についても興味がわいてきて、すこしずつ関連書を読み始めています。あー、ネタは次々にわいてきて、記事は遅々として進まない状態。困った困った・・・。
※館内で撮った写真を多数載せましたが、しばらく前から撮影OKになっています。動画も多数アップされていて、中には
金剛山電気鉄道22号の動画もあります。→コチラ。
※原鉄道模型博物館の公式サイトは→コチラ。
村上隆コレクションは、確かにすごかったのですが展示パネルの説明が不親切で、陶磁器も『李朝』としか記載されていないから朝鮮の李朝なのかベトナムの李朝の作品なのか全然分からなくて。まあこれは村上隆が悪いのではなくて横浜美術館のスタッフにも問題があると感じましたけど。
お土産にビスカウトを買って帰りました。