韓国アニメ「Green Days 大切な日の夢」について、ちょっと詳しい時代考証のような記事をまとめようと思いつつ、そのままになっていました。
1つ前の記事のコメントでりゅうこさんからこの映画に出てくる歌のことについてご質問があったので、とりあえずその部分についての回答と、この映画の時代(何年のことか?)についてとりあえず書いておきます。
まず、最初の方でソウルからの転校生スミンが、クラスの生徒からせかされて歌った歌は、キム・マンス(김만수.1954~)の「푸른시절(プルン シジョル.青い時節)」です。
韓国映画情報でお世話になっている<kazumiのミーハーワールド!>に、アン・ジェフン監督の舞台挨拶とQ&Aの記事が載っていますが、それによると、監督は、
英語で言うと「Green Days」と言う唄なんですが、そこに出てくる歌詞は、本当に今この時代の青少年の皆さんに聞かせたい。そう言った胸がわくわくするような歌詞でしたので、どうしても映画の中に入れたいと思っていました。
・・・と語っています。つまり、映画のタイトルもここからとっているのですね。
YouTubeに往時の音源がありました。
そして、監督の言うところの「胸がわくわくするような歌詞」は以下の通りです。※参照サイト→コチラ。
푸른시절 青い時節=緑の日々
하늘과 땅사이에 꽃비가 내리더니 空と土の間に花の雨が降ってた時
오늘은 공원에서 소녀를 만났다네 今日は公園で少女と出会ったな
수줍어 말못하고 얼굴만 숙이는데 はにかんで話もできず顔を伏せているけれど
앞서간 발자국이 두 눈에 가득차네 先に行った足跡がふたつの目にあふれているね
찡하는 마음이야 뭐라고 말못해도 じいんとする心を 言葉にはできなくても
찡하는 마음이야 괜시리 설레는것 じいんとする心は わけもなくときめくもの
어젯밤 꿈속에서 무지개가 피더니만 昨晩夢の中で 虹がかかったけれど
오늘은 공원에서 소년을 만났다네 今日は公園で少年に出会ったな
수줍어 말못하고 얼굴만 붉히는데 はにかんで話もできず 顔を赤くしていて
햇살이 눈을 들어 두눈에 반짝이네 日光が目に入ってふたつの目に輝いてるね
찡하는 마음이야 뭐라고 말못해도 じいんとする心を 言葉にはできなくても
찡하는 마음이야 괜시리 설레는것 じいんとする心が わけもなくときめくもの
なお、クラスの生徒たちが歌を催促して歌ったのは、「노래를 못하면 시집을 못가요(歌が歌えないとお嫁に行けないよ)」という歌。
この歌については、→コチラのブログ記事(日本語)をご参照下さい。
元々は男性向けの「結婚できないよ」という歌、ということを韓国サイトで見ましたが、それ以上のことはわからず、動画も見つからないままです。
りゅうこさんのもうひとつの質問。「古い歌謡曲風の唄」というのは、羅勲児(ナフナ)の「カルムリ(갈무리.しめくくり)」のことだと思います。
そういえば、レコード店でスミンはモーツァルトのLPを買っていたのに、イランが買ったのは羅勲児だったですね。
親しみやすいメロディで、カラオケで愛唱されている日本のファンも相当数いらっしゃるようです。
韓国語の歌詞は→コチラ。
歌については、とりあえず以上です。
さて、先の<kazumiのミーハーワールド!>の記事によると、監督は
「韓国の大人と若者にとって、記憶の痕跡として消えないで残っている空間。その時代が1979~1982年代だったのでその当時を時代背景にしました。」
・・・と語っていますが、このくだりを読んで「あれ~?」と首を傾げてしまいました。
私ヌルボ、先の5月29日の記事で「1977年」とほとんど断言してしまいましたから・・・。
で、あらためてその論拠を提示します。(・・・とムキになることでもないですけど・・・。)
①チラッと出てきたボイジャー1号打ち上げのニュースが1977年9月のことだから。
②リンダ・カーター主演の人気TVドラマ「ワンダーウーマン」が、今はないTBCというTV局で放映されたのが1976年から。
③プロレスで<伝説のパッチギ王>として大木金太郎ことキム・イルの人気がすごかったのはこの時期だったのでは? 彼は1980年に現役を引退しています。
※2010年「文化日報」の記事
④前述の「青い時節」の歌をキム・マンスが発表したのが(たぶん)1977年。
⑤部屋の壁に「セマウル暦(새마을 달력)」が貼ってあった。(あまり関係ない?)
⑥路辺に「星たちの故郷(별들의 고향)」のポスターが貼ってあった。1974年李長鎬(イ・ジャンホ)監督のデビュー作品なので、まだ上映していたのかな? 46万人の観客を動員したヒット作なので、往年の映画ファンはこのポスターからも懐かしさを覚えたことでしょう。(スミンが剥がしちゃったのは何のポスターだったのかな?)
⑦「ラブストーリー(러브스토리.Love Story)」は韓国では1971年公開。77年だと高校生の主人公(イラン)の心に深く残っている、でしょう。
・・・と、理由をあげればこんなところです。
この映画では、当時の高校のようすについてもいろいろ興味深いことが描かれています。男女共学なのに男女別のクラスであるとか、軍事教練の授業で女生徒たちは救護訓練をやっていたとか、回虫検査のこととかネイティブの韓国人女性の話では、80年代後期頃まで(?)男女別クラスだったとの話を聞きましたが・・・。
学校以外のネタも細々あげれば、まだいろいろあります。調べていくとキリがないですね。
軍事教練等は別として、日本でも年配者にとっては懐かしさを感じる映画です。 ただ、韓国では77年で15歳だと今は50歳前後ですが、日本でこの映画に懐かしさを感じるのは60歳以上ではないでしょうか?
[6月9日の追記]
おっと! りゅうこさんのもう1つのご質問をうっかりしてました。最後の手話の意味についてですが、動画がすぐみつかりましたので、翻訳をつけて紹介します。内容を見ると監督自身がupしたのかな? (訳語がこなれていない部分もありますがご容赦。) ドサクサまぎれに、本記事のタイトルも手直ししておきました。
“おじさんが手話で伝える話”
「あまり未来だけのために今の君を催促するな。
いつか笑って運よくこんなことに
出会ったなという時が来るだろう。
泣きそうなおまえを覚えておけ。
あとでおとなになって何かを選択しなければならない瞬間
未来に対して一人で悩んでいた幼かったおまえが
大切な話をしてくれるだろう。
今のつらさがおとなになってくたびれた
おまえの夢を引き起こして立てるだろう。
たくさん笑って
おまえの大切な夢が笑って
おまえを応援するのがいいんじゃないか。」
(以下、白い字の部分)
おじさんの手話の話を字幕にしないのは
私が疲れている時に聴覚障碍を持ったスタッフが
私にかけてくれた慰めの感じを、観客たちもその身振り自体で
感じて下さったらと願ったからです。
各々が今日あることでつらく悩んでいても
おじさんが伝える応援で
明日はより大切に夢が見られるように・・・
<フィルムの中を見ている中で>
(背景の机の画面)
眼鏡の左、女の子の絵と「大切な日の夢」の文字。
(下の黒い字の部分は・・・)
観客との対話で交わした話と
絵を描き机の上で交わした悩みです。 (右下隅)文字で出会う大切な日の夢
1つ前の記事のコメントでりゅうこさんからこの映画に出てくる歌のことについてご質問があったので、とりあえずその部分についての回答と、この映画の時代(何年のことか?)についてとりあえず書いておきます。
まず、最初の方でソウルからの転校生スミンが、クラスの生徒からせかされて歌った歌は、キム・マンス(김만수.1954~)の「푸른시절(プルン シジョル.青い時節)」です。
韓国映画情報でお世話になっている<kazumiのミーハーワールド!>に、アン・ジェフン監督の舞台挨拶とQ&Aの記事が載っていますが、それによると、監督は、
英語で言うと「Green Days」と言う唄なんですが、そこに出てくる歌詞は、本当に今この時代の青少年の皆さんに聞かせたい。そう言った胸がわくわくするような歌詞でしたので、どうしても映画の中に入れたいと思っていました。
・・・と語っています。つまり、映画のタイトルもここからとっているのですね。
YouTubeに往時の音源がありました。
そして、監督の言うところの「胸がわくわくするような歌詞」は以下の通りです。※参照サイト→コチラ。
푸른시절 青い時節=緑の日々
하늘과 땅사이에 꽃비가 내리더니 空と土の間に花の雨が降ってた時
오늘은 공원에서 소녀를 만났다네 今日は公園で少女と出会ったな
수줍어 말못하고 얼굴만 숙이는데 はにかんで話もできず顔を伏せているけれど
앞서간 발자국이 두 눈에 가득차네 先に行った足跡がふたつの目にあふれているね
찡하는 마음이야 뭐라고 말못해도 じいんとする心を 言葉にはできなくても
찡하는 마음이야 괜시리 설레는것 じいんとする心は わけもなくときめくもの
어젯밤 꿈속에서 무지개가 피더니만 昨晩夢の中で 虹がかかったけれど
오늘은 공원에서 소년을 만났다네 今日は公園で少年に出会ったな
수줍어 말못하고 얼굴만 붉히는데 はにかんで話もできず 顔を赤くしていて
햇살이 눈을 들어 두눈에 반짝이네 日光が目に入ってふたつの目に輝いてるね
찡하는 마음이야 뭐라고 말못해도 じいんとする心を 言葉にはできなくても
찡하는 마음이야 괜시리 설레는것 じいんとする心が わけもなくときめくもの
なお、クラスの生徒たちが歌を催促して歌ったのは、「노래를 못하면 시집을 못가요(歌が歌えないとお嫁に行けないよ)」という歌。
この歌については、→コチラのブログ記事(日本語)をご参照下さい。
元々は男性向けの「結婚できないよ」という歌、ということを韓国サイトで見ましたが、それ以上のことはわからず、動画も見つからないままです。
りゅうこさんのもうひとつの質問。「古い歌謡曲風の唄」というのは、羅勲児(ナフナ)の「カルムリ(갈무리.しめくくり)」のことだと思います。
そういえば、レコード店でスミンはモーツァルトのLPを買っていたのに、イランが買ったのは羅勲児だったですね。
親しみやすいメロディで、カラオケで愛唱されている日本のファンも相当数いらっしゃるようです。
韓国語の歌詞は→コチラ。
歌については、とりあえず以上です。
さて、先の<kazumiのミーハーワールド!>の記事によると、監督は
「韓国の大人と若者にとって、記憶の痕跡として消えないで残っている空間。その時代が1979~1982年代だったのでその当時を時代背景にしました。」
・・・と語っていますが、このくだりを読んで「あれ~?」と首を傾げてしまいました。
私ヌルボ、先の5月29日の記事で「1977年」とほとんど断言してしまいましたから・・・。
で、あらためてその論拠を提示します。(・・・とムキになることでもないですけど・・・。)
①チラッと出てきたボイジャー1号打ち上げのニュースが1977年9月のことだから。
②リンダ・カーター主演の人気TVドラマ「ワンダーウーマン」が、今はないTBCというTV局で放映されたのが1976年から。
③プロレスで<伝説のパッチギ王>として大木金太郎ことキム・イルの人気がすごかったのはこの時期だったのでは? 彼は1980年に現役を引退しています。
※2010年「文化日報」の記事
④前述の「青い時節」の歌をキム・マンスが発表したのが(たぶん)1977年。
⑤部屋の壁に「セマウル暦(새마을 달력)」が貼ってあった。(あまり関係ない?)
⑥路辺に「星たちの故郷(별들의 고향)」のポスターが貼ってあった。1974年李長鎬(イ・ジャンホ)監督のデビュー作品なので、まだ上映していたのかな? 46万人の観客を動員したヒット作なので、往年の映画ファンはこのポスターからも懐かしさを覚えたことでしょう。(スミンが剥がしちゃったのは何のポスターだったのかな?)
⑦「ラブストーリー(러브스토리.Love Story)」は韓国では1971年公開。77年だと高校生の主人公(イラン)の心に深く残っている、でしょう。
・・・と、理由をあげればこんなところです。
この映画では、当時の高校のようすについてもいろいろ興味深いことが描かれています。男女共学なのに男女別のクラスであるとか、軍事教練の授業で女生徒たちは救護訓練をやっていたとか、回虫検査のこととかネイティブの韓国人女性の話では、80年代後期頃まで(?)男女別クラスだったとの話を聞きましたが・・・。
学校以外のネタも細々あげれば、まだいろいろあります。調べていくとキリがないですね。
軍事教練等は別として、日本でも年配者にとっては懐かしさを感じる映画です。 ただ、韓国では77年で15歳だと今は50歳前後ですが、日本でこの映画に懐かしさを感じるのは60歳以上ではないでしょうか?
[6月9日の追記]
おっと! りゅうこさんのもう1つのご質問をうっかりしてました。最後の手話の意味についてですが、動画がすぐみつかりましたので、翻訳をつけて紹介します。内容を見ると監督自身がupしたのかな? (訳語がこなれていない部分もありますがご容赦。) ドサクサまぎれに、本記事のタイトルも手直ししておきました。
“おじさんが手話で伝える話”
「あまり未来だけのために今の君を催促するな。
いつか笑って運よくこんなことに
出会ったなという時が来るだろう。
泣きそうなおまえを覚えておけ。
あとでおとなになって何かを選択しなければならない瞬間
未来に対して一人で悩んでいた幼かったおまえが
大切な話をしてくれるだろう。
今のつらさがおとなになってくたびれた
おまえの夢を引き起こして立てるだろう。
たくさん笑って
おまえの大切な夢が笑って
おまえを応援するのがいいんじゃないか。」
(以下、白い字の部分)
おじさんの手話の話を字幕にしないのは
私が疲れている時に聴覚障碍を持ったスタッフが
私にかけてくれた慰めの感じを、観客たちもその身振り自体で
感じて下さったらと願ったからです。
各々が今日あることでつらく悩んでいても
おじさんが伝える応援で
明日はより大切に夢が見られるように・・・
<フィルムの中を見ている中で>
(背景の机の画面)
眼鏡の左、女の子の絵と「大切な日の夢」の文字。
(下の黒い字の部分は・・・)
観客との対話で交わした話と
絵を描き机の上で交わした悩みです。 (右下隅)文字で出会う大切な日の夢
知りたかったことを教えていただき
とてもすっきりしています。
「Green Days」のタイトルはそこからきていたんですね。
ちなみにわたしは60歳代ではないですが
懐かしかったです。
どうもありがとうございました。
(手話も国によって違うと聞いています。ここまで知りたがるのはわがままですね・・。)
昨日は頑張ったかいがあり、大きなイベントが
なんとか成功したようです。いい年をして、叔父さんの言葉が沁みました。
私、実生活面では面倒くさがりですが、いろいろと調べるのは好きな性分ですので、今後も何かありましたら遠慮なくお申しつけ下さい。