8月23日(木)早稲田松竹で久しぶりに「ペパーミント・キャンディー」を観てきました。たぶん2000年の初公開の時に観て以来だから18年ぶりです。
その間、全然観る機会がなく、またしばらく前からDVDの通販もレンタルも在庫なしのようだし・・・。(販売元のアップリンクさん、なんとかしてほしい! 「風の丘を越えて 西便制〈ソピョンジェ〉」も。)
[9月3日の追記] →シネマコリア@cinemakoreaさんのツイートによると、その日の午前0時に公開されたからとのことです。カムサハムニダ!
それにしても早稲田松竹、こんなに混んでいるとは思いませんでした。2年3ヵ月前に行った時とはずいぶん違います。最終日の前日ということもあるのでしょうが、その前から回によっては満席で立ち見まで出たとのこと。私ヌルボが入った回は幸い座れましたが、なるほど153席の7~8割は埋まっていました。一般1300円で「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」との2本立てを観られるのですから、十分うなずける客の入りではあります。
<1980年5月、映画が描くふたつの光州事件>と銘打っての2本立てで、早稲田松竹のサイトにも詳しい紹介記事があります。(→コチラ。)
私ヌルボ、今年観た「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」については→コチラの記事の冒頭で少し書いたので、今回はとくに「ペパーミント・キャンディー」について、それもタイトルに書いたように「18年ぶりに知った新事実」について重点的に書くことにします。つまり、その間にいろいろ仕入れた知識等がなければ2度目に観ても気づかなかったようなことです。
冒頭の場面は1999年春の<野遊会>の章。(ここから時間軸を逆にたどり、20年前までさかのぼっていくというのがこの作品の構成のユニークなところです。) 10数人の男女が川辺で青空の下でテントを張り、シートを敷いて飲んだり食べたり歌ったりしています。韓国人はこういう野遊会がホントに好きですね。
その少し後でわかることですが、集まった人たちは、主人公のキム・ヨンホ(ソル・ギョング)も含めて、かつての「カリボン峰友会」の仲間たち。20年ぶりに同じ場所に集まったのです。
私ヌルボ、まず最初に「そうだったのか!」と思ったのがこの「カリボン」でした。ソウルの加里峰(가리봉.カリボン)洞のことです。
ところが、野遊会の場所の向こうに鉄道橋が見え、その先にトンネルがあるというこの場所。対岸の山の眺めといい、とても都市近郊とは思えません。<居ながらシネマ>の記事(→コチラ)等によると、撮影地は内陸部の忠清北道・堤川(ジェチョン)市で、それも市街地から遠く離れた忠北線の三灘(サムタン)駅近くの河原です。※現地にはこの映画の撮影地という記念碑があります。→関係記事(1)、→(2)
ということは、映画の中ではこの場所は一体どこという設定になっているのでしょうね? ソウル市内でないとしても、ソウルから遠くないどこかということかな?
「ソウルの加里峰のことか?」という推測が正しかったことは、上映時間の半ばを過ぎた1984年秋の<祈り>の章の冒頭の映像でわかりました。
正面に見える食堂の前の空き地で、ホンジャ(左はキム・ヨジン)が自転車の練習をしているところにヨンホが通りかかる場面です。右は同じ章の後の方。夜ヨンホが店の前で自転車を乗り回しています。コチラの画像だとはっきりと「공단식당(コンダンシクタン)」という字が読み取れます。つまり「工団食堂」です。<工団>という熟語は日本ではふつう用いられませんが<工業団地>のこと。あの「開城工団」の「工団」ですが、ここでは「九老工団」のことです。といえば、韓国映画にくわしい方なら「九老アリラン」(1989)を思い起こすかも。その九老地区にある食堂なのです。※ただし、撮影地は群山市のセット。→コチラの<DAUM>のQ&A記事によると、約1000坪のさら地に黄土や石を敷いた上に油性塗料と色素を混ぜた水をかけて黒っぽい地麺にしたとか、この食堂の他、美容室やランドリー等を作り、食堂の前に練炭を積んだり、公衆電話や周辺の壁や電柱の張り紙・ポスターといった小物まで気を使って80年初頭を再現したそうです。
<祈り>の次の章は<面会>。1980年5月です。ということは、あの<光州事件>が起こった時で、この章の内容もそれに関わるものです。
しかし、ここまで1時間43分、「なんでこれが<光州事件>の映画なんだ?」と疑問を抱きつつ観ていた人は多いのではないでしょうか? <光州事件>の映画ということを知らずに観たら、最後までこの章が光州事件の時の出来事ということもわからないかも・・・。
この章の内容については委細はあえて省略します。
そして最後の章が<遠足>。1979年秋です。季節は違いますが、最初の章の20年前で、同じ場所です。
本作品のほとんどすべての内容紹介が「この章は、当時のヨンホが20歳の純粋な青年だったことを最終章と対比的に描いている」といったことを記しています。それは間違いではありません。が、それだけではないのです。
最初は20人余の若い男女が歌いながら川岸を歩いていく場面です。その歌はあのキム・ミンギ作曲の「朝露(アチミスル)」。ヤン・ヒウンの歌で広く知られ、民主化運動の象徴ともいうべき歌です。※→関連過去記事。
仲間たちから離れて野花を摘んでいるヨンホに話しかけた女性がユン・スニム(ムン・ソリ)です。カメラのこと等を話すヨンホに好感を抱いた彼女が渡したのがハッカ飴(ペパーミント・キャンディー)でした。「ハッカ飴がお好きなんですか?」とヨンホが問うと、返ってきた答えは「私の工場では1日に千個のハッカ飴を包むんです」。
つまり、彼女も工業団地で働いていた労働者だったのです。(<面会>の章で彼女は「ソウルのどこから来たんですか?」との問いに「永登浦区加里峰洞ですけど」と答えています。)
この会話で、2人は同じ職場ではないことがわかります。では、この加里峰峰友会という会は一体どういう会なのか? 答えは九老工団の(各工場を越えた)夜学と思われます。日本のウィキペディアの「ペパーミント・キャンディー」の項目には書かれていませんが、→韓国のウィキペディアにはあり、他の多くの韓国サイトにも同様の記述があります。
つまり、ヨンホたちはそれだけ意識が高く、向上心も旺盛な労働者だったということ。組合活動や(同年11月14日に暗殺された)朴正熙政権に対する民主化闘争に関心を持っていた(関わっていた?)ことが推測されます。また、当時は→コチラの過去記事に書いたように、当時多くの大学生たちが自分の履歴を隠して九老工団の労働現場に身を投じ、労働者の組織化や待遇改善闘争に乗り出しました。<ヴ・ナロード>の韓国版といったところでしょうか。<祈祷>の章で、先輩の警察官がヨンホに「おまえ、この近くの工場で働いていたんだってな」という場面があるので、もしかしたらヨンホもそんな学生のひとりだったのかな?とも思いましたが、この点は思い過ごしだったようです。
(話は戻って)この遠足で、仲間たちが川辺で車座になって歌った歌は「ナ オットッケ」(나 어떡해.僕はどうしよう)。1977年の大学歌謡祭でサンドペプルスというソウル大学のバンドが歌って大賞を受賞し、広く知られた歌です。この歌が最初の<野遊会>の章でヨンホが叫ぶように歌った歌です。これは歌詞の内容がまさにヨンホの心情に重なっていたということでしょう。
・・・ということで、ここまでのとりあえずの結論は、「ペパーミント・キャンディー」は<光州事件の映画>であるとともに、<九老工団関係の映画>でもあるということです。
知っていること、調べたことをいろいろ書き連ねていったら例によってどんどん長くなり、1回では収まりがつかなくなってしまいました。あとは続きに回します。
→<早稲田松竹で観た「ペパーミント・キャンディー」 ②映画で振り返る九老・加里峰・大林洞の40年の歴史>
→<早稲田松竹で観た「ペパーミント・キャンディー」 ③申京淑の自伝的小説「離れ部屋」を読んで気づいた3つの共通項>
その間、全然観る機会がなく、またしばらく前からDVDの通販もレンタルも在庫なしのようだし・・・。(販売元のアップリンクさん、なんとかしてほしい! 「風の丘を越えて 西便制〈ソピョンジェ〉」も。)
【「ペパーミント・キャンディー」[韓国版]のポスター(左)の数字は韓国初公開日2000年1月1日。最下段の「0」は??】
[9月3日の追記] →シネマコリア@cinemakoreaさんのツイートによると、その日の午前0時に公開されたからとのことです。カムサハムニダ!
それにしても早稲田松竹、こんなに混んでいるとは思いませんでした。2年3ヵ月前に行った時とはずいぶん違います。最終日の前日ということもあるのでしょうが、その前から回によっては満席で立ち見まで出たとのこと。私ヌルボが入った回は幸い座れましたが、なるほど153席の7~8割は埋まっていました。一般1300円で「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」との2本立てを観られるのですから、十分うなずける客の入りではあります。
<1980年5月、映画が描くふたつの光州事件>と銘打っての2本立てで、早稲田松竹のサイトにも詳しい紹介記事があります。(→コチラ。)
私ヌルボ、今年観た「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」については→コチラの記事の冒頭で少し書いたので、今回はとくに「ペパーミント・キャンディー」について、それもタイトルに書いたように「18年ぶりに知った新事実」について重点的に書くことにします。つまり、その間にいろいろ仕入れた知識等がなければ2度目に観ても気づかなかったようなことです。
冒頭の場面は1999年春の<野遊会>の章。(ここから時間軸を逆にたどり、20年前までさかのぼっていくというのがこの作品の構成のユニークなところです。) 10数人の男女が川辺で青空の下でテントを張り、シートを敷いて飲んだり食べたり歌ったりしています。韓国人はこういう野遊会がホントに好きですね。
その少し後でわかることですが、集まった人たちは、主人公のキム・ヨンホ(ソル・ギョング)も含めて、かつての「カリボン峰友会」の仲間たち。20年ぶりに同じ場所に集まったのです。
私ヌルボ、まず最初に「そうだったのか!」と思ったのがこの「カリボン」でした。ソウルの加里峰(가리봉.カリボン)洞のことです。
ところが、野遊会の場所の向こうに鉄道橋が見え、その先にトンネルがあるというこの場所。対岸の山の眺めといい、とても都市近郊とは思えません。<居ながらシネマ>の記事(→コチラ)等によると、撮影地は内陸部の忠清北道・堤川(ジェチョン)市で、それも市街地から遠く離れた忠北線の三灘(サムタン)駅近くの河原です。※現地にはこの映画の撮影地という記念碑があります。→関係記事(1)、→(2)
ということは、映画の中ではこの場所は一体どこという設定になっているのでしょうね? ソウル市内でないとしても、ソウルから遠くないどこかということかな?
「ソウルの加里峰のことか?」という推測が正しかったことは、上映時間の半ばを過ぎた1984年秋の<祈り>の章の冒頭の映像でわかりました。
<祈り>の次の章は<面会>。1980年5月です。ということは、あの<光州事件>が起こった時で、この章の内容もそれに関わるものです。
しかし、ここまで1時間43分、「なんでこれが<光州事件>の映画なんだ?」と疑問を抱きつつ観ていた人は多いのではないでしょうか? <光州事件>の映画ということを知らずに観たら、最後までこの章が光州事件の時の出来事ということもわからないかも・・・。
この章の内容については委細はあえて省略します。
そして最後の章が<遠足>。1979年秋です。季節は違いますが、最初の章の20年前で、同じ場所です。
本作品のほとんどすべての内容紹介が「この章は、当時のヨンホが20歳の純粋な青年だったことを最終章と対比的に描いている」といったことを記しています。それは間違いではありません。が、それだけではないのです。
最初は20人余の若い男女が歌いながら川岸を歩いていく場面です。その歌はあのキム・ミンギ作曲の「朝露(アチミスル)」。ヤン・ヒウンの歌で広く知られ、民主化運動の象徴ともいうべき歌です。※→関連過去記事。
仲間たちから離れて野花を摘んでいるヨンホに話しかけた女性がユン・スニム(ムン・ソリ)です。カメラのこと等を話すヨンホに好感を抱いた彼女が渡したのがハッカ飴(ペパーミント・キャンディー)でした。「ハッカ飴がお好きなんですか?」とヨンホが問うと、返ってきた答えは「私の工場では1日に千個のハッカ飴を包むんです」。
つまり、彼女も工業団地で働いていた労働者だったのです。(<面会>の章で彼女は「ソウルのどこから来たんですか?」との問いに「永登浦区加里峰洞ですけど」と答えています。)
この会話で、2人は同じ職場ではないことがわかります。では、この加里峰峰友会という会は一体どういう会なのか? 答えは九老工団の(各工場を越えた)夜学と思われます。日本のウィキペディアの「ペパーミント・キャンディー」の項目には書かれていませんが、→韓国のウィキペディアにはあり、他の多くの韓国サイトにも同様の記述があります。
つまり、ヨンホたちはそれだけ意識が高く、向上心も旺盛な労働者だったということ。組合活動や(同年11月14日に暗殺された)朴正熙政権に対する民主化闘争に関心を持っていた(関わっていた?)ことが推測されます。また、当時は→コチラの過去記事に書いたように、当時多くの大学生たちが自分の履歴を隠して九老工団の労働現場に身を投じ、労働者の組織化や待遇改善闘争に乗り出しました。<ヴ・ナロード>の韓国版といったところでしょうか。<祈祷>の章で、先輩の警察官がヨンホに「おまえ、この近くの工場で働いていたんだってな」という場面があるので、もしかしたらヨンホもそんな学生のひとりだったのかな?とも思いましたが、この点は思い過ごしだったようです。
(話は戻って)この遠足で、仲間たちが川辺で車座になって歌った歌は「ナ オットッケ」(나 어떡해.僕はどうしよう)。1977年の大学歌謡祭でサンドペプルスというソウル大学のバンドが歌って大賞を受賞し、広く知られた歌です。この歌が最初の<野遊会>の章でヨンホが叫ぶように歌った歌です。これは歌詞の内容がまさにヨンホの心情に重なっていたということでしょう。
・・・ということで、ここまでのとりあえずの結論は、「ペパーミント・キャンディー」は<光州事件の映画>であるとともに、<九老工団関係の映画>でもあるということです。
知っていること、調べたことをいろいろ書き連ねていったら例によってどんどん長くなり、1回では収まりがつかなくなってしまいました。あとは続きに回します。
→<早稲田松竹で観た「ペパーミント・キャンディー」 ②映画で振り返る九老・加里峰・大林洞の40年の歴史>
→<早稲田松竹で観た「ペパーミント・キャンディー」 ③申京淑の自伝的小説「離れ部屋」を読んで気づいた3つの共通項>
ペパーミントキャンディの鉄橋のモデルですが、おそらく映画上の設定としては、中央線、ソウル近郊のヤンピョン(楊平)郡ヤンソ(楊西)面、ヤンスリ(両水里)にある北漢江鉄橋ではないかとにらんでいます。
地形的には、野遊会をやるにちょうど良さそうな川州もありますし...
また『西便制』のビデオディスクですが、韓国映像資料院からBlu-rayディスクが出ており、日本語字幕も収録されております。
こちらのディスク、いちおうリストアしているのですが、経年劣化のせいか、若干全般に赤みがかったイメージなのが難点です。しかし、かつてシネカノンから出ていたDVDは画像が劣悪だったので、それに比べるとはるかに高い解像度の画像が楽しめます。
通信販売で入手可能かと思います。
すると、その当時のソウルの学生等の定番の目的地というのが江村(江原道春川市)と大成里(京畿道加平郡)だったとのことで、「その地名を聞くと懐かしい」といったブログ記事もありました。たしかにどちらも北漢江に沿った所です。
鉄橋については、イメージに合った所を探すため、監督は「全国の鉄橋の位置を韓国鉄道庁に照会, その後に直接確認した」ということがあの輝国山人さんのHPに書かれていましたね。
「西便制」のディスク情報ありがとうございます。
関係のない話ですが、「全般に赤みがかったイメージ」というと私がすぐ思い浮かべるのは「旅人は休まない」なんですが、あれも経年劣化なのでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=ly1GqgJGWpc&index=89&list=PL28d5JImIlH4T1Hl0MnPpvrtpAOPMdFjQ
『西便制』の方は、リストアした時に全般に、フィルムカメラ全盛時代によく使われた、スカイライトフィルターを掛けたような色調に補正しています。「旅人は休まない」ほど激しく色をつけているわけではありません。
BDにリストア前とリストア後の比較映像があるので、色温度の値を意図的に多少下げている (やや暖色傾向に)ことが分かります。どちらが好ましいかと思うかは好みの問題かと。
『西便制』は配給権を持っていたシネカノンが倒産してしまいましたし、上映の可能性は韓国文化院の上映会ぐらいかと...。でも上映会をやるにしても、たぶんフィルムではなく、映像資料院発行のBD上映になるのではないかと思っています。
『西便制』のDVDは、思い起こせばずーっと以前に購入したものを所蔵しています。・・・というか、とり散らかった部屋のどこかに埋もれて行方不明状態。10年くらい前に内輪でプロジェクター&スクリーンでこじんまりと鑑賞会をしたこともありました。
DVDの版権とかについては全然疎いのですが、会社が倒産した場合はどうなるのでしょうね? 多くの人が手軽に観られるようになればいいのですが・・・。