その蛇足です。(笑) この記事は在日コリアンの擁護とか、あるいは非難とかを意図して書いたものではありません。早トチリしないようお願いします。
日本の統治時代に日本にやってきた在日朝鮮人の生年を1895~1925年とすると現在存命の人でも90歳以上で、家族の中ではおそらくひいおじいさんとひいおばあさん。すると現在の一般的な在日の3世代家族の場合は2~4世か、あるいはすでに3~5世に移行しつつあるといったところでしょうか。
1945年の大戦終結からもすでに70年。1世・2世が主体だった在日社会も大きく変わってきたのも、そのことの良し悪しは別にして当然といえば至極当然のことです。
そして在日朝鮮人の家族のあり方も個々人の生き方・考え方もずいぶん多様化してきました。
ところが、ヘイトスピーチ関係の人たちの言説をはじめとして、そんな多様化している在日韓国・朝鮮人を一くくりにして「在日は日本から出ていけ」等々と呼ばわるとはなんとも大雑把な物言いであることか。彼らのアタマの中で在日韓国・朝鮮人はどういうふうに認識されているのでしょうか? (彼らだけでなく、世間一般の「在日のイメージ」もどれだけ現実にあっているか疑問ですが・・・。)
「在日特権」をとくに問題にしているということがいわゆる<オールドカマー>の特別永住権であれば、彼らが日本国籍をとれば問題解決? いや、日本国籍を取得しても韓国や北朝鮮を利するような投票行動をする(??)からダメ?
しかし、今の多くの在日コリアンはそんなにまで<祖国>に対する忠誠心、いや民族的アイデンティティつまり<祖国>という認識ももってないでしょ。
たとえば日系アメリカ人3世に「日本人の血を引いているのに日本語がしゃべれないのか!?」などと咎めだてするのがトンチンカンなのに、まだ在日韓国人に同様に非難する本国の韓国人はいるのでしょうか?(これは、いるでしょうね。)
また、日系アメリカ人3世が日本語がしゃべれないということを「まあそんなものだろう」とたいていの日本人は受けとめるでしょうが、在日韓国人3世が韓国語をしゃべれないと聞くと、相当多くの日本人は意外に思うとしたら、それもちょっとヘンなのでは?
私ヌルボとしては、議論しあう前に、いや考える前に、まず在日コリアンたちの韓国・朝鮮及び日本との文化的・精神的・政治的距離(親近感、拒否感等)についての現状況をまず知る必要がある、と思い図書館でちょっと資料を探してみました。
ところが、最近の手頃な資料は見つからず。
一応目を通したのは、福岡安則「在日韓国朝鮮人」(中公新書.1993)と、福岡安則・金明秀「在日韓国人青年の生活と意識」(東京大学出版会.1997)の2冊。ただ、1993年の調査に基づく本で、20年以上も経った現在は相当状況も変わっているはずですが、その点を差し引いても意味のある内容だと思うので、以下ピックアップして紹介します。
※紫色部分が上記の本の内容。黒色部分は私ヌルボの補足や感想等です。
※被調査者の母集団は「日本生まれで韓国籍の18~30歳」の人たち。「父親は、1世が21%、2世が75%。母親は1世が11%、2世が81%」です。
○アイデンティティを分類すると・・・ ※数字は%。( )の数字は複数回答可の場合。
・葛藤回避型23.1(46.1)・・・民族や国籍等のことは考えない。考えたくない。
・個人志向型22.8(44.5)・・・民族や国籍等よりも、個人としての能力や仕事、社会的地位等に価値を見出す。
・共生志向型19.1(51.5)・・・日本人や、他の在留外国人と共に助け合いつつ、よりよい社会をめざす。
・同胞志向型13.4(37.4)・・・在日同士の同志的人間関係を重視する。「祖国」の人たちとの違いを認識しているが、コリアンとしての意識は強く、帰化は考えない。
・帰化志向型13.4(25.6)・・・日本国籍を取得し、「日本人」となることを志向する。
・祖国志向型2.0(6.3)・・・北朝鮮、または韓国、または統一朝鮮を「祖国」と考える。
・葛藤型2.6(4.9)・・・上記中の複数の価値観の間で悩む。
嫌韓派の人たちのイメージに合う在日像は「祖国志向型」ですよね。
その特性は次のように説明されています。
祖国志向にとってシンボルとなる言葉は在外公民。中心課題は祖国の発展・祖国の統一に寄与すること。地方参政権等諸権利の要求は「内政干渉になる」、「同化を促進する」という理由で批判的。差別に対しても裁判に訴えるよりも同胞間で助け合う。祖国も自分の国も「一つの朝鮮」。生まれ育った日本への愛着心は薄い。権威主義的伝統主義をきわめて強く内面化していて、儒教的態度も自己確信性ももっとも強い。
しかし、この「祖国志向型」は90年代でもごくわずかになっています。漫画「嫌韓流」に登場するような「過激な」在日像は相当に例外的な在日像といえそうです。
○在日コリアンの韓国語(朝鮮語)能力は?
[A]読解
・まったく理解できない68.8
・ハングルも少ししかできない11.1
・ハングルは読めるが、理解はできない4.2
・辞書を使っても少ししか理解できない4.2
・・・上記の合計は88.3。ということは、「ふつうに読める」というレベルの人は約1割ということか?
[B]会話
・まったくできない40.4
・いくつかの単語しか知らない30.4
・いくつかのあいさつの言葉しか知らない14.6
・会話が母国語でなされることがあった9.2
・・・1990年代、家族内で母国語で会話している在日はすでに1割を切っていたということです。こういう数字を見ると、センター試験の外国語に「韓国語」を入れていることを「在日特権」というのはトンチンカンだと思います。「フランス語」「ドイツ語」「中国語」等とともに、英語と同等の外国語科目として設定すること自体の問題はあると思いますが・・・。
なお、・母国語はまったく耳にしたことがない21.8という数字もあります。
○「金海金氏」、「密陽朴氏」といった韓国(朝鮮)独自の一族の「本貫」を知っているか?
・知っている35.3% 知らない64.7%
・・・祭祀(チェサ)つまり日本でいうところの先祖に対する法事はわりと行われているようですけどね。
○「差別」された経験と、意識
[A]被差別体験の有無
・とてもよくある2.5
・よくある 6.5
・少しはある32.5
・ほとんどない28.0
・まったくない30.5
[B]偏見・差別の認知の程度
・とてもよくある4.4
・よくある15.3
・少しはある45.0
・ほとんどない24.1
・まったくない11.2
[C]現在の民族的劣等感
・とてもよくある3.9
・よくある7.5
・ときどきある23.6
・ほとんどない32.2
・まったくない32.7
・・・いわゆる「反日」派が言うほどの「深刻な差別」は昔のことかも。しかし決して「差別はなくなった」とは言えない、というのがふつうの見方では? 一方、北朝鮮の教科書には「倭奴(ウェノム)」という差別語がふつうに載っていますが、これについても左右の政治的立場を超えて批判しなければ、というのがヌルボの主張。
なお「一番心に残る被差別体験の時期」については、9~12歳(小学校高学年)30.1と、19歳以上21.6が多いのは、「マイノリティが仲間はずれにされやすい時期」と、「就職をはじめ、実社会での現実的な差別の壁に直面する時期」ということでしょうか。
○土地・国等に対する愛着度[複数回答可] ※「非常に感じる+どちらかといえば感じる」の%。右の[ ]は、「どちらかといえば感じない+まったく感じない」の%。
・生育地 77.4 [8.0]
・日本 63.2 [6.7]
・在日韓国・朝鮮人 51.8 [16.8]
・韓国38.2 [24.3]
・朝鮮9.2 [56.5]
・統一祖国25.9 [34.8]
・・・端的に、「韓国(朝鮮)」よりも「日本」や「在日」であることに愛着を感じている人の方がずっと多いのです。やっぱり「生まれたら、そこがふるさと」(→関連過去記事)なのでしょうか?
○本名と通名(日本名)について
[A]どちらを用いているか? ※[ ]は両親の場合
・まったく通名だけ35.3[21.5]
・ほとんど通名 30.3[35.4]
・通名の方が本名より多い 12.6[19.8]
・同じくらいに使い分けている 5.7[14.3]
・本名の方が通名より多い 3.8[2.3]
・ほとんど本名 6.0[3.6]
・まったく本名だけ6.4[3.1]
・・・8割ほどは日本名をふつう用いている。両親の世代で「使い分けている」という人が多いのは、「日本社会での民族差別が激しかった」ことと、「民族意識が強かった」という背景があったから、と思います。一方、「ほとんど本名」「まったく本名だけ」という人が増えたのは、学校名での本名宣言運動で自身の民族アイデンティティを回復した人が相当数いたことと、「本名だけ」でも生活を続けられる程度に昔に比べると差別が減ったということか。
[B]「<本名を名乗ること>は<本当の自分らしく生きること>」論に対する賛否は?
・そう思う 10.4
・どちらかといえばそう思う 10.2
・どちらともいえない 33.2
・どちらかといえばそう思わない 15.5
・そう思わない 30.7
[C]「差別回避のための通名使用」論(=「差別されないためには、通名を使わざるをえない」)に対する賛否は?
・そう思う 10.2
・どちらかといえばそう思う 16.0 ・どちらともいえない 30.6
・どちらかといえばそう思わない 12.3
・そう思わない 30.9
・・・「通名使用はもはや「差別回避」のためではないと言えそう。
日本社会で生きるための便宜上日本名を使うのでなく、生まれた時からの名前が日本名なので、本人にとっても本名よりはるかに身近なのが通名、という在日コリアンがごくふつうになっているように思われます。
冒頭に書いた2つの本の一部を紹介しましたが、これだけでも「思っていた在日像と違う」と意外に思った人も多いのではないでしょうか? 20年前でこうした数字が出ていたわけですから、現在はさらに生活面でも意識の面でも在日コリアンの日本への同化の趨勢は進んでいるでしょう。
私ヌルボとしては、こうした「同化」を肯定的に見るか否定的に見るか以前に、生活者としては「自然なこと」と考えます。本人の意思の有無にかかわらず、です。歴史の長いスパンでみれば、日本人もほとんど皆が「よそ者」です。列島の外からその昔大勢が移住してきました。以後も列島内をあちこち移動して現在に至ります。民族にどれほどの長い歴史性があるのか? まして国籍といった近代国家の属性にしかすぎないものに・・・。
最近読んだ徐勝「だれにも故郷(コヒャン)はあるものだ」(社会評論社.2008)ではこうした在日の現状を強く批判していました。「在日朝鮮人」「在日韓国人」を「在日」とだけ呼ぶことも「「朝鮮人」等という言葉を回避した言葉だ」と否定しています。しかし、こうした徐勝氏の主張も時代の流れに抗する「ムダな抵抗」に見えるし、あるいは敬愛する作家・金石範さんの「統一朝鮮を志向する」という姿勢には共感も覚えますが、少なくとも現実的な力になるとは思えません。
日本人が、近所に住むことになった人のために親切心から声をかけたり面倒を見たりすることも見方によっては「同化圧力」になります。またよそから来た人の意識も「郷に入れば郷に従え」という姿勢もあればその逆もあります。ごく表面的な、それも「民族」「国籍」といった限られた尺度だけで物事の当否を判断するのはとても非現実的で、トンチンカンな主張に直結する危険性があるので要注意、ということです。
一口に在日と言っても人によりさまざま。多くは上記のように「フツーの日本人」と変わらない意識を持ち、ほぼ同じような生活をしています。一部の著名な在日コリアンが時にはさも自分が「在日の代表」といったような言い方で意見を言ったり、本に書いたりしている場合もありますが、そのような言説をそのまま受け止めて賛成したり反対するのも早トチリ。それが民団や総聯の代表者であっても、です。またメディアによく登場する在日コリアンの場合、明確な主義・主張を持っている人が多いのは、とくにそういう人をメディア側が選んでいるからそうなので、在日の多くが同様の考え方をしているわけではありません。(←ふつうのメディア・リテラシー。)
読み応え満載です!
頑張って下さい
とくに在日の方から激励されるとはうれしいことです。一口に在日といっても人さまざまなのに、十把一絡げにしてあれこれ言う風潮があるのはホントに問題ですね。
どうも世間には信頼性のある論拠もないのに自分の一面的な思い込みで差別や偏見に満ちた主張をする人が相当数いて、それがSNSによってずいぶん増幅されているようです。そんな主張を繰り返すことがその人のアイデンティティになっちゃってるのでしょうか? 困ったものです。
この記事で紹介したデータももう20~30年も前のものになってしまいました。こうした記事を私が書くよりも、専門の研究者や公的機関等で最新のものを公開してほしいものです。タイトルで「在日コリアンの8割は・・・」と書きましたが、その時も「9割は・・・」にしようかと迷いました。韓国語(朝鮮語)のできるか否かも判定基準によってもちろん違いますが、20~30年経た今では当然数値は下がっているでしょうし・・・。