De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

終戦前後のリアルな日記

2009-08-10 12:53:29 | 自分史エピソード
父の日記帳
このブログで、しばらくの間「父の日記帳」を披露してみたい。それも昭和20年の終戦前後に絞って・・。今の私の年より10年以上若い時に終戦を迎えている。解読するのも簡単でないが、削ることはあっても加えることは無いという前提で書き写していく。

昭和20年8月10日
今日は百姓をせずに家で農業要員の登録申請を書いていた。9時ごろ空襲警報が鳴った。近所の者が2人来て私の山に壕を掘ることを許してくれと言ってきた。どこでも好きなところに掘りなさいと言ってやった。隣の肇も掘らせてくれと言ってきた。これも掘りなさいという。豪堀りの日当が35円と食事という相場だそうだ。
我が家でも新しく壕を掘ろうと、竹刀庵と渡辺と3軒で使うものを掘ることにした。渡辺が金を出し、私が労力と材料を出し竹刀庵は労力だけを出すということにした。
アメリカ一国でさえ負け戦なので、この上ソ連が敵に回っては国民はとても負けだと観念した。この敗戦を何とか生き抜こうと考えた。壕を掘って身を守り、焼き物などを土に埋めたり、食料をかこったりした。しかし布団や衣類を壕におけばすぐ湿気てダメになってしまった。○も壕へはかこえなかった。金にしてもっている方が安全だという者もいたが金で物が買えなくなるのは当たり前だから品物で持っていたほうが得だ。
食糧を蓄えておくことが一番だが、それを焼かれたらそれまでとあきらめるより仕方がない。どこに隠したらよいかいい考えは浮かんでこなかった。家に火が付いたら取り出すことなどとてもできない。どうにもならないと観念した。