終戦の日
8月15日
今日正午重大放送があると予告しているので多分本土敵上陸に対する決戦の国民の覚悟を要請するくらいのものと思っていた。今日は松根割の日割で6時に国民学校の校庭に集まる。切れぬのこぎりで松の根をひいているうちに12時になった。重大放送は天皇陛下が勅書を御自ららお読みになるのだ。それが意外にも無条件降伏といふことになったのだ。後で鈴木首相の声も聞いた。意外なことで顔を上げることもできぬ。私は松根割の昼飯に帰宅していてこのことを聞いた。私はこれだけ聞いて炎天下を校庭に行く。松根割の用もなくなったので薪割りと鋸を担いで帰った。ちりぢりに皆帰った。隣近所の男も女も集まって顔の色を変えている。
家の前の木陰では朝鮮人の靴直しが仕事をしている。1足の修理代が30円だといふ。わずかの間に百円ばかり札を集めて帰っていく朝鮮人は元気だ。店でも精米でも(近所の雑貨やと精米所のこと)豪堀は中止だ。そんな用はなくなったのだ。せっかく骨を折って掘ったものが用のなくなったというのもさびしい。
今日の日のことは細密に書きたいが書けない。ただ驚くばかりでまとまった感じができないのだ。学徒動員で工場に勤めていた香代が早く帰ってきた。明日一日休みで明後日から学校に出席するのだという。工場も中止なのだ。香穂は常通りの時間に帰ってきた。彼は中津飛行場に勤めていたのだが第一期は終わったのだ。戦争は負けたのではない、明日も同様に努めるのだと言っている。
午後からはラジオを離れずに聞いた。しかし野良着のままだ。女房に早風呂を沸かしてもらって昼湯に入る。そしてラジオを聞いた。今は心が騒いで書けない。今日のことは落ち着いたときに書いて見ようと思う。
毎年、この日が近づくと気になることがある。わたしは、この放送を意味がわからないながら家族と一緒に畳に座って聞いている。この放送はこの日記帳によく出てくる「渡辺」さんの住んでいる我が家の離れに集まって聞いた。渡辺さんのラジオはよく聞こえたからという理由もあったろう。
天皇陛下の勅語の後「・・・どうだ恨めしいか・・。」という声が私の耳に残っている。時代が過ぎてこれが空耳だったかどうか毎年みんなに確かめるのだが、誰も記憶にあるという人は出てこない。毎年のこの記念日の放送特集でもそのことが話題に上ることは無い。しかし、父の日記帳で、やはりこの言葉か、それにごく近い言葉が鈴木貫太郎首相から発せられたのではないかという確信のようなものが持てた。
8月15日
今日正午重大放送があると予告しているので多分本土敵上陸に対する決戦の国民の覚悟を要請するくらいのものと思っていた。今日は松根割の日割で6時に国民学校の校庭に集まる。切れぬのこぎりで松の根をひいているうちに12時になった。重大放送は天皇陛下が勅書を御自ららお読みになるのだ。それが意外にも無条件降伏といふことになったのだ。後で鈴木首相の声も聞いた。意外なことで顔を上げることもできぬ。私は松根割の昼飯に帰宅していてこのことを聞いた。私はこれだけ聞いて炎天下を校庭に行く。松根割の用もなくなったので薪割りと鋸を担いで帰った。ちりぢりに皆帰った。隣近所の男も女も集まって顔の色を変えている。
家の前の木陰では朝鮮人の靴直しが仕事をしている。1足の修理代が30円だといふ。わずかの間に百円ばかり札を集めて帰っていく朝鮮人は元気だ。店でも精米でも(近所の雑貨やと精米所のこと)豪堀は中止だ。そんな用はなくなったのだ。せっかく骨を折って掘ったものが用のなくなったというのもさびしい。
今日の日のことは細密に書きたいが書けない。ただ驚くばかりでまとまった感じができないのだ。学徒動員で工場に勤めていた香代が早く帰ってきた。明日一日休みで明後日から学校に出席するのだという。工場も中止なのだ。香穂は常通りの時間に帰ってきた。彼は中津飛行場に勤めていたのだが第一期は終わったのだ。戦争は負けたのではない、明日も同様に努めるのだと言っている。
午後からはラジオを離れずに聞いた。しかし野良着のままだ。女房に早風呂を沸かしてもらって昼湯に入る。そしてラジオを聞いた。今は心が騒いで書けない。今日のことは落ち着いたときに書いて見ようと思う。
毎年、この日が近づくと気になることがある。わたしは、この放送を意味がわからないながら家族と一緒に畳に座って聞いている。この放送はこの日記帳によく出てくる「渡辺」さんの住んでいる我が家の離れに集まって聞いた。渡辺さんのラジオはよく聞こえたからという理由もあったろう。
天皇陛下の勅語の後「・・・どうだ恨めしいか・・。」という声が私の耳に残っている。時代が過ぎてこれが空耳だったかどうか毎年みんなに確かめるのだが、誰も記憶にあるという人は出てこない。毎年のこの記念日の放送特集でもそのことが話題に上ることは無い。しかし、父の日記帳で、やはりこの言葉か、それにごく近い言葉が鈴木貫太郎首相から発せられたのではないかという確信のようなものが持てた。