De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

父の日記帳:8月21日

2009-08-20 21:58:24 | 自分史エピソード
8月21日晴れ
 日照り続きで陸稲の葉はよれだした。定八が畑で働いているのでどうか元気かと声をかける。ニコッと笑って死ぬまで働くのだという。吉五郎も甘藷畑に縄を張っているので何をするのかと聞いたら泥棒よけだという。縄をひいて泥棒よけになるのかわからないがカラスや雀ではないのでまさか案山子と云うわけにもいかないのだろう。新宅でもやられた、秋雄もやられたと吉五郎は言う。心配だった野菜泥棒がそろそろ出始めたかと案じられる。人心がこのようになるということは深刻なことなのだ。
 十時頃になると畑の土は暑くて踏んでいられなくなる。早めに帰って昼休みを長く取った。飛行機が馬鹿に低く飛んだ。中津の飛行機だ。日の丸もさびしく輝いた。乗り納めと云う飛び方だった。
 今日は私の母の53回の命日だ。女房が久しぶりに白米を炊いたりカボチャの供え物をした。
 さまざまなデマが飛んで戦々恐々。ちょうど百姓仕事の暇なときなので川に魚取りに行くものなぞある。香穂子は飛行場が閉まることになり今日限りで終わりと、手当てを千円近くもらってくる。わずか半年足らずの勤めでこれだけ手当てが出る。インフレを心配するのも当然だ。
 日照り続きで畑が渇く。早く雨が欲しいものだが降りそうもない天気だ。今夜はいい月だ。十三夜らしい。


終戦の動揺も次第に落ち着いてきた。まだ何が起こるか分からないという不安はあるものの、戦争よりましだという気持ちになってきている。
この日記の転載は23日ごろまで日を追って公開したところで終わりにしたいと思う。何しろ読み解くのも相当苦労する。その後は、これまでに出てきた事件や人のその後の情報などをまとめ書きし、終戦に絡んだ事件が減ってくれば幕とする。