De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

父の日記帳:8月21,22日

2009-08-22 11:09:17 | 自分史エピソード
8月21日晴れ
 日照り続きで陸稲の葉はよれだした。定八が畑で働いているのでどうか元気かと声をかける。ニコッと笑って死ぬまで働くのだという。吉五郎も甘藷畑に縄を張っているので何をするのかと聞いたら泥棒よけだという。縄をひいて泥棒よけになるのかわからないがカラスや雀ではないのでまさか案山子と云うわけにもいかないのだろう。新宅でもやられた、秋雄もやられたと吉五郎は言う。心配だった野菜泥棒がそろそろ出始めたかと案じられる。人心がこのようになるということは深刻なことなのだ。
 十時頃になると畑の土は暑くて踏んでいられなくなる。早めに帰って昼休みを長く取った。飛行機が馬鹿に低く飛んだ。中津の飛行機だ。日の丸もさびしく輝いた。乗り納めと云う飛び方だった。
 今日は私の母の53回の命日だ。女房が久しぶりに白米を炊いたりカボチャの供え物をした。
 さまざまなデマが飛んで戦々恐々。ちょうど百姓仕事の暇なときなので川に魚取りに行くものなぞある。香穂子は飛行場が閉まることになり今日限りで終わりと、手当てを千円近くもらってくる。わずか半年足らずの勤めでこれだけ手当てが出る。インフレを心配するのも当然だ。
 日照り続きで畑が渇く。早く雨が欲しいものだが降りそうもない天気だ。今夜はいい月だ。十三夜らしい。

8月22日曇り午後雨
 香穂子も香代子も家にいるのでにぎやかだ。ラジオは神奈川県一帯に連合国軍が駐屯するといふ。26日には飛行軍が厚木に来ると言うので驚いたり心配したりした。電車も汽車も今日から切符を売らないというのだ。婦女を他に送るにも移動証明を出さぬのでどうすることもできない。渡辺の倅が来て朝食後話をする。それがため午前中は炉辺で過ごす。朝昼晩と主食はトウモロコシだ。午後より雨。夕方風も強くなる。台風気味だ・芋も陸稲も助かる。畑の作物も息をつく。今日は避けの配給があって5合求めてくる。風も雨も強くなり過ぎぬよう祈りながら床に就く。


終戦のショックからはこのころになると落ち着きが見えてきました。日記帳の逐記はこの辺で終わりにします。その後の歴史的事実関係にかかわるところが見つかればその都度書き込んでいきます。
 父の日記帳にはご近所の人の棚卸的記述や、家族に対する不満など彼の人格を損ねるような記述もあります。日記というものは人に見せるために書いているのではないので本来そういうものでよいのかもしれません。書かれている人たちは私が知る限りすべて故人です。
そろそろ私も物ごころついて、父の記録に思い当るところ、しっかりと覚えているところも出てきます。必ずしも分かり合える父子ではありませんでした。この先、日記の中から許せない感情がまた出てくるかもしれません。それでも、最後は満足にはできなかったかもしれないが私が頼られたことは確かです。