De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

父の日記帳:8月17日

2009-08-16 22:19:17 | 自分史エピソード
8月17日晴れ
旱天の朝は曇っている。今日は西峯の畑を久しぶりに見回ると粟をつぶして蒔いたきびが粟と仲良く伸びている。どちらを抜くのも惜しい種だ。雑草も多いが照り続きなので拾うように抜ける。甘藷の施肥は糠をもって行ったが雑草抜きに半日終わる。

14,15,16日の新聞が(まとめて)届いていて大きな見出しだけを見てやめる。新聞なぞ見たくないのだ。敵の1機が空高く我が物顔で飛んでいるのに対してサイレンは警戒警報を鳴らせる。ふざけている感じだ。こればかりでなくあらゆるものがみなふざけているように思われてならぬ。現実とは思われないものばかりだ。そのうち何かあらわれてこの悪夢を覚まさせてくれるかと感じられる。一戦を交えてやるのだというのも夢の中のような感じだ。手をあげて降参したということも遠い昔の出来事のように感じられる。行き交う人が潔く最後の一戦をやるんだと元気な声で言うがこれも昼寝夢ではあるまいかと思われた。

壕を掘ることも必要だが畑に来てみると捨てておけないので今日は畑の仕事をすることにした。甘藷はおそ植えはそのままでいる。さつまは蔓が伸びない。意外に雑草も少ない。干天の故だと思う。中曽根前の芋は思いのほか元気だ。ここで雑草抜きを2日続けたらきれいになるのだがと思う。壕堀はやめてこの方に取り掛かりたい。昼の帰りにかごいっぱい草を刈って帰る。土手の草を刈って右足のくるぶしの下をかまで誤って切る。血が流れることはなはだしい。泥まみれの足に血が絡んで自分の脚ながら気味が悪いありさまだ。

家が恋しくなってかごを背負って畑道を帰っていくと敵機が真上を飛んでいる、時々気中の音が聞こえるがふざけているようだ。しかし、馬鹿にしてふざけても頭の上から撃たれたら馬鹿らしいので桑の木の下を歩いた。今日は畑で働いている者もなかった。やや人々の気持ちも落ち着いてきたらしい。それでも降参するのがほんとだという人は一人もいない。心のうちではどうでも人前だけ元気に見せかけている。笑えぬ悲劇だ。

こんな悲劇を人間が演じている間に家の牛は盛りが出て鳴き続けた。遠くの方を眺めて牛はさびしげになく。尾を引いてなく。じれったそうに鳴く。あきらめきれぬといった風にも鳴く。勝手にしろと言った風にも鳴く。交尾に連れて行く暇なぞ無いので勝手に鳴かせておく。乳は近頃やっと1日1升くらいしか出さぬ。草は2かごぐらいぺろりと平らげる。しかし、いつも一籠で我慢させているので乳の出も悪いことは知っているが2籠刈る元気が出ないのだ。

 家に帰るとガソリンを埋めに出るようにというふれが回る。飛行場からこのにガソリン22缶が配給になったものだという。それを埋めておこうというのだ。シャベルや鍬をもってみな集まる。仕事はいたってはかどらぬが話はたゆる間がない。電気屋の萬蔵がうんと食って死ぬんだ、アメリカに食われる前にみんなで食ってしまえという。三郎はこれに賛成して牛でも馬でも豚でもみんな食ってしまおうという。どうせみんなアメリカ人に食われてしまうのだという。精米(所)の松さんは毎日1羽ずつ鶏をつぶして食っているという。畑の甘藷を見渡して信太郎がいう。この甘藷が食えるようになるまで生きられようかと。みな食い物にがつれているので遂い喰うことを言い出すのだ。若くて年寄りじみている民蔵はそんな話はよせやい、もっと元気を出せやいと云ふ。民蔵は今少し経てばせがれも南洋から帰って来るから気楽に暮らせると思っていたのでそんな話を聞かされると心配になりだしたのだ。南洋あたりに出征している兵隊が無事に内地に帰って来ることができるかという心配が皆にあった。遠くの島で武装を解かされて捕虜になって無事にここまで帰って来ることができるかと急に顔を曇らせてしまった。寅之助の長男はビルマにいたのだが死んでいるのか生きているのかもわからなかった。生きてみじめを見るより死んでいてくれたらいいと思うと声を詰まらせてつくづくという。組合長の歯医者の正は物知り顔に日本はまだ4万台の飛行機があるのだ、ガソリンもいくらでもあるのだ軍備も立派なものがあるのだ。それでいて沖縄にも出ず空襲にも出て戦おうともせず、今手を揚げるのは重臣が皆スパイなのだ、戦わせなかったのだ5月ごろからもう和平の交渉を始めていたんだ、ともっともらしいことをいう。吉五郎はこれに付け加えて鈴木首相も米内海相もスパイなのだ、見ろ、今度の海相も米内がでやあがったではないかと云ふ。萬蔵は今度は、日本の海軍なぞ軍艦が一隻もないではないか、いつなくして仕舞ったんだと云ふ。何一つ国民に知らせずに働かせてばかりいて本土決戦だ決戦だと言っていながら決戦もしないで降参するなってドイツを笑えた義理ではないという。今に見ろ、アメリカのやつらに奴隷にされてうんと絞られて死ぬのだ、誰もそう言ってさびしく髭面を曇らせて憤慨した。
私はそんな話を聞かされてぶらぶらドラム缶の穴を掘っているよりか早く帰って温かい牛乳の一杯も飲みたかった。いつの間にか日が傾いて背中を夕日が射ているのだ。陰にすべき木もない。今日は風さえ吹かなかった。

日暮れてから帰ると、女房がシャケの缶詰の配給がありましたという。かごいっぱいのシャケの缶詰だ。全部で42個。一人6個ずつの配給があったとのこと。家庭を持っている者には2俵ずつの配給だったという。いよいよ軍隊の解散になったのだ。ガソリンも食料もすべて配給して軍隊もおとなしく手を揚げて降参するらしい。壕を掘る必要はなくなったがあっけない寂しさも感じられた。やはり兵隊も弱いのだ。これでは本土決戦と言ってもいい結果は得られなかったのだ。和平が一番だったのだ。重臣はスパイではなく本当に先を見ての降参だったのだ、と思はざるを得なかった。何にも知らされぬ国民は強がりばかりを言っているが実際は手も足も出ぬまで参っていたのだ。国民の強がりも口先だけで内心は良かったと安心しているのだ。今日の人たちは百姓で何にも知らぬ連中だが内心決して本土決戦を望んでいないのはその顔にありありと書いてあった。

我々は日本海軍も陸軍も世界無比に強いものと信じていた。日本人は大和魂があると信じていた。死ぬときは必ず天皇陛下万歳と唱えて死ぬ兵隊と信じていた。それがみなウソだったのだ。私は先年ある帰休の兵隊に聞いたことがある。死ぬ時に天皇陛下万歳など行って死ぬ兵隊は一人も見かけなかった。皆、こんなにわれわれを苦しませやがる重臣たちを恨んで死ぬものばかりだったと言っていた。私はそれをはなはだ意外に聞いたが、その時さえそれがふと真実ではないかと思ったが、やはり本当だったのだ。日本人も命が惜しい通常の人間だ。しかし、この例外が爆弾を背負って敵にあたった特攻隊の勇士たちだ。これだけは本当の日本人だったのだ。
 昨日今日早朝より十時まで霧か雨のごとく昼ごろまで草の露しげし
 晴れながら雨の降りいる暑さかな
 焼け土へ露降りこぼす日照り粟



父の日記帳:8月16日

2009-08-16 09:40:55 | 自分史エピソード
8月16日晴れ
寝覚めが悪く夜が明けた。女房は勝手でことこと音をさせていた。その音を聞いてうとうととしておきる。炉はまだ火が焚きつけたなかった。かまどもやうやう火が付き始めたばかりだ。6時に間もない炉辺で湯を沸かして茶を飲みタバコを吸う。牛の草を刈りに出る元気もない。
ラジオを聞いても天皇陛下が民草に深く○しんえん遊ばせて米英と和を結ぶに至る次第をくどくどと繰り返している。しかしそれで収まるかどうかが問題だ。軍人が承知するかどうかが問題だ。ここ数日の様子でどんな変化が表れてくるか知れぬ。東京の方は相当騒いでいるという噂も耳にした。厚木辺へ兵隊がビラをまいているという者もいる。最後の一戦を決行するという意気なのだ。国民の多くもそれに心を寄せている。しかし勝ちぬけるとは思っていない。国民が全滅するまで戦うというのだ。敗戦のみじめさを見るより死を選ぶというのだ。和を乞うことに賛同するものもあった。一時の屈辱をしのんで百年後の基を作ろうというのだ。友軍機が空を飛んだ。どうも形勢が不穏なので沼田と相談して明日から壕堀を続けることにした。今日夕刻、渡辺の日除けを沼田と仕上げる。午後、牛の草刈りに向山まで行って八分目ばかり刈ったらつくづくいやになって帰る。畑も田んぼも働いている人は一人もいない。みな仕事なぞ手につかぬと言っている。川には真っ黒に日焼けした子供たちが水浴をしていた。今日は敵機も来ないのでさびしいような安心のような言いようのない心地だ。
日除け作る今日一日のゆとりかな
戦いのひまにつくりし日除けかな