De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

父の日記帳:8月14日

2009-08-13 22:16:28 | 自分史エピソード
8月14日曇り

 早朝から警報が鳴る。何回も鳴る。解除になっては鳴る。沼田と渡辺の日除けを作るのだ。牛の草を刈っていても鳴る。朝飯を食っていても鳴る。沼田と渡辺の日除けを作る。この際日除けなぞ手を出している場合ではないのだがと思うと気がせく。沼田も黙々と働いている。竹を割って細縄で組んで上に載せる。意外なほど立派にできる。

 高橋義三郎が小作金をもってくる。彼は66歳だというがまだ百姓をやっている。せがれの○が牛車を曳くので金回りがいい。壕も2カ所掘ったといふ。66歳になっても命が欲しいと見える。孫たちを思えばやるだけはやっておきたいといふ。私たちはもういい日に死ぬことは出来ないとあきらめているが—といふ。私はまだ彼より10年若いのだがいい日に立ち返って死ぬることも難しい。金があっても財産があっても労働力がない家ではろくな壕も掘ることもできない。労働力のある家では立派な壕も掘れるのだ。山林の木材など人のものもわれのものもなくなっているのだ。人の土地でも山へでも勝手に壕を掘る。それに何の抗議も言えない。今日は立派な家より立派な壕が欲しいのだ。金○や土地や山林なぞは何の役にも立たなくなって今はただ労力ばかりが第一の財産になったのだ。労働力の不足な家族ほどみじめなものはなくなった。人にすがって壕を掘らねばぬ。しかし自分の身を守るに精いっぱいな人たちは金を積んでも壕堀に来てくれる者はなかった。

 今日は私は沼田と向山から杉の丸太を切って運んだ。9尺ばかりに切って担いで川を越して1本ずつ担いで来るのはなかなかつらい仕事だった。

 渡辺のばあさんは寝そべって団扇をつかっている。まだ金がものを言うと思っているのだ。
 お盆でも坊主は棚○にも来なかった。お寺の坊主は出征しているが誰か代わりに来ても良さそうなものだ。坊主も手不足で回りきれないのだろう。高橋大介と和田隆一両家の新盆に線香あげに行く。今日は空襲は無かった。渡辺が中元をくれた。紙に包んだ中に30円入れてあった。中元にせめて百円くらいは包んでくる気前が欲しいと思った。私の欲でなく彼のためなのだ。

国民義勇隊結成
なぜしこに熱砂を踏んでわれも兵
空襲もなし大蜘蛛の畳這う
敵襲下小さき輪をかき蛍落つ
壕堀の炎天に出ていこいけり


戦前からすでに実質地主より小作人のほうが金持だった。とくに我が家はこの数年前まで東京在住で不在だったため土地の権利上のいろいろな問題が起っていた。
父は日記上でご近所の一人一人を棚卸し、悪口三昧を書く。母や子供たちにはただただきつく、姉たちもこのころから面と向かって反抗していた。私も、反抗的とは言えなかったが母の味方だった。
日記の中で、農家の仕事の詳細やご近所や家族の悪口に及ぶものは読み飛ばして転載は控える。父の33回忌をとっくに過ぎた今になっても許せない感情が出てくることがあるから。