De cela

あれからいろいろ、昔のアルバムから新しい発見まで

父の日記帳;昭和20年8月11日

2009-08-11 10:18:13 | 自分史エピソード
終戦記念日が近づいてきました。戦争は歴史のかなたに追いやられていきます。でも、64年前に終わった戦争は、日本が犯したもっとも罪深いこと。世界の人々にも日本国民すべてに対しても・・・。その政治の意志の下でうごめく庶民の記録が手元にありましたので、私の幼少のころの記憶とともに明かしていきます。

8月11日
私と沼田(竹刀庵)と二人で土蔵跡に壕を掘り始めた。孟宗竹の根がはびこって大仕事だ。女房がいり豆を作って茶をいれてくれた。渡辺はご苦労様とも言わない。すぐ目の前で働いているのだからご苦労様ぐらいいだろうに。娘もいたって無関心だ。シャツの汗を絞った。警報が鳴った。空襲も鳴った。それでも鍬を離さなかった。
敵機なきわが機とぶすずみかな
涼しさや日の丸付けし飛機飛べば
豪堀や古き欅を盾として
観念の豪堀りはじむ○○○
壕を掘る人来てじゃがいも喰い尽す


そのころすでに庭隅には防空壕が掘られてあり、空襲警報のたびに私らはそこへ逃げ込んでいました。このころは本土決戦に備えてさらに強固な壕が必要だったのでしょう。渡辺という名前が出てきますが、我が家の離れ(親父が作った座禅堂)に疎開してきていた女性です。土蔵の跡地の壕掘り作業はわたしの記憶にもはっきりあります。ご近所の、住みよさそうな壕を訪ねてあるって、我が家にももっといい壕があったらいいなと子供心にも思っていました。よい防空壕があることがその家のステータスでした。