気軽にでっちゃん

誰にでも立ち寄って欲しいので「気軽に」とつけました。でっちゃんと呼んでください。。。

●ダジャレ飛び交う駐車場の契約締結

2005-04-10 08:29:25 | weblog
駐車場探しは3月上旬に始まった。といっても、一軒の不動産屋に聞いただけだったけど。そこの相場が2万8千円。あれぇ?予想よりも安いということで、真剣に車の購入を検討し始めました。

先週立ち寄った不動産屋さん、そのうち一軒ではでっちゃんのアパートから徒歩1分のところで屋根なしだけど、そこそこ広い駐車場の空きを発見できました。昨日は、そちらの契約に行ったのですが自営業の不動産屋さん、そのおじさんは第一印象とは違いいたってまじめ。第一印象はというと、ま不動産屋さんなのでちょっと調子のいいこと言うというか、がめついんだろうなと思いました。でも一週間のうち電話一回、昨日もうかがう前に電話を入れて、常識だけどこういう態度をみせたせいか、きちんと応対してくれました。簡単な契約書だけど一通り読み合わせしてくれたのは驚きでした。

奥さんが出てきて、さらには近所のお客さんらしき人も入ってきてなごやかな雰囲気でした。年恰好は50代半ばの夫婦の不動産屋さん。
でっちゃんが印鑑を押すたびに「恐縮です。」奥さんは「車買うの楽しみね。うちは火の車、お父さんは口車なのよ、、、、はははは」と面白いダジャレも飛び交って、でっちゃんは自分の手帳にそのダジャレを記して無事契約締結となりました。。。。


●幻想/証券のプロ達

2005-04-10 00:05:28 | 投資の世界の入口
90年代初頭、外国の証券会社の日本ブランチはホールセール業務といって法人営業しかしていませんでした。一社だけ大口個人相手の業務を92~93年まで続けていたように思います。六大都市にも支店ありましたが、全部クローズして東京と大阪だけになりました。出雲市長の岩国さんはこの会社の日本の会長さんだったと思います。NHKで特集されたりしてました。僕が大学生のとき説明会に言って、岩国さんのことをいろいろ質問したものです。他の大手会社も大阪にもブランチおいていたところもありましたが、どんどん東京だけに集中していきました。外国の証券会社の受付には、どこの会社も大きな日本画がかけられてありました。高貴な感じがしました。静かだけど、何か神秘的な、イメージでした。オフィスを見るのがすごく楽しかったです。会社説明も多くの学生を一度に集めるわけではなく、ミニセミナーを繰り返すといった感じでした。今でも当時の人事の人を覚えています。それぞれの部門ごとの採用なので、人事はほとんど関係ないといった会社もありました。交通費を出してくれた会社もいくつかありました。

とにもかくにもすごい人たちばかりの集団だと思っていました。それは幻想だったと思います。ただ日本の会社を飛び出す勇気のあった人たち、みんなパイオニアの人たちであったことは確かです。大リーグも野茂はパイオニアです。イチローもゴジラもすごいけど、最初の野茂はやっぱりインディペンデントだったと思います。今はたくさんの人がいろいろな事情で外国の会社で働いていますけど、メンタルは違うと思います。良い悪いは別として、、、、