マグレブの国に旅したのはもう7年前になろうとしています。
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手垢で汚れている旅行ガイドブックと1999年の手帳を見ながら、アラビア語で「日の沈む国」を意味する“マグレブの国”と称されるモロッコへの旅を振り返ってみました。カサブランカ、違和感を楽しむ入口となる地に入り、その後、鉄道とバスでモロッコを巡りました。喧騒の地マラケシュ、厳しい日差しと乾燥が待ち受けるアトラス山脈を超えたあと迎えてくれる中継地ワルザザード、エルラシディアを経て、華麗な迷路の旧市街メディナを誇るフェズ、そして再びカサブランカからこの国をあとにしました。
マラケシュは、現地で“スーク”と呼ばれる市場と「ジャマエルフナ」と言う名の大広場に面白さが凝縮されています。屋根のある迷路を形成するスークの中は、細い路がくねくね曲がり、人間とともにロバや馬も歩いています。鉄職人、革職人、貴金属、染色職人、絨毯など様様なスークに分かれています。においもすごく楽しいです。香辛料のにおい、ロバの糞のにおい、日本から離れた遠い国のにおいです。未開の地というわけではないけれど、決して不潔という意味ではなく昔が残っている社会がここにあります。また夜のジャマエルフナの活気は語り尽くせないほどにぎやかで、毎日、日が沈みかけるとどこからともなく現れた人々がたくさんの屋台の席を埋め尽くします。蛇使いの笛の音が聞こえます。生きている町です。躍動している町です。人と広場と屋台とカバブを焼く煙と香辛料のにおいがお祭り騒ぎ、まさしく喧騒となります。
喧騒のマラケシュに対して落ち着きのある華麗なフェズ。そこには「フェズエルバリ」と呼ばれる巨大な迷路の旧市街メディナがあります。イスラムの異文化、アフリカのベルベルの異文化によって造られた、日本から見れば特殊な色彩と違和感。ときに日本の京都や中国の雰囲気を感じさせる小さな広場がメディナのなかにあったりもします。ペイズリーに似た模様が自然にあしらわれた壁や床や扉。人が造った町、その建物・城郭の形や模様や大きさ。決して大きいということを言っているのではなく、大きいにしろ小さいにしろ違和感を持たせる高さや広さに存在感があり過ぎて、そういった風景を提供している建物は造られたものではなく、造ったはずの人間と共存し自らその模様や色合いに成長した生き物であるかのようにさえ感じさせてくれます。
旅に何を求めるのか? 日本では味わえない色彩や明かり、風景や違和感。僕は遺跡や美術に特別興味があるわけではないので、観光化した有名な遺跡に行っても大きな感動はあまりおきなかったりします。モロッコは決して物足りなさを感じさせない、脳に大いに刺激を与えるだけの色彩や明かりや違和感をもっています。
それともうひとつ、旅をする側、感じる側に受け入れる感受性がなければ味わえない醍醐味があります。地元とのふれあい・吸収・接触です。出会いです。その土地の人とのつながりを持てるかが、その旅を年月を経たあとも心に強く残すことができる、大きな鍵となります。モロッコでは、うまくふれあい・吸収・接触がもてました。うるさいガイド、喧騒のマラケシュのBARで出会った地元の若者男女イリアスやノラ。絨毯屋のセールス、ホテルの受付、フェズの迷路をさまよいたどり着いたレストランで知り合ったスペインのお金持ち奥様、おねだりされお駄賃をあげた代わりに写真のシャッターをきってもらった3歳に満たないような子供。ただ出会いは偶然でもあるけれど、僕自身が、モロッコに惹かれ興味を持ち、ナチュラルに吸収できるような心の態勢になっていたのではないかとも、今現在の自分と照らしあわせて、そう感じたりします。
さらにもうひとつ大切だと思うものは現地で行ういろいろな手続きです。ホテルや交通手段を予約せず、現地で手配する面倒くさい手続きそのものに、いろいろなイベントが生まれます。ふれあい・吸収・接触ができます。間違いや想定外のこともおこり予定通りに進まないことも多々あります。しかしその時間は決して無駄なものではなく、不思議なことに自信につながったりするものです。読めないアラビア語の時刻表をじっくり見つめたり、言葉の通じない人に地図を見せたりしながらバスと鉄道とホテルを思い存分、現地で手配したことが、出発前の不安と緊張との引き換えに、充実感や大きな感動を僕自身にプレゼントしてくれました。
カサブランカから空港へ向かう道路は、来たときと同じように、神秘的な明るさの電灯が広い路を照らしていました。白い落ち着きのあるどっしりとした重厚な建物が道路沿いにたっていました。いつかまた訪れてみたい国、感じてみたい国、触れてみたい、話してみたい、見てみたい、臭ってみたい、味わいたい、惑わされたい、、、違和感、肌触り、色彩、臭い、形、模様、自然、そして人々。マグレブの国は僕にそう感じさせてくれました。
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手垢で汚れている旅行ガイドブックと1999年の手帳を見ながら、アラビア語で「日の沈む国」を意味する“マグレブの国”と称されるモロッコへの旅を振り返ってみました。カサブランカ、違和感を楽しむ入口となる地に入り、その後、鉄道とバスでモロッコを巡りました。喧騒の地マラケシュ、厳しい日差しと乾燥が待ち受けるアトラス山脈を超えたあと迎えてくれる中継地ワルザザード、エルラシディアを経て、華麗な迷路の旧市街メディナを誇るフェズ、そして再びカサブランカからこの国をあとにしました。
マラケシュは、現地で“スーク”と呼ばれる市場と「ジャマエルフナ」と言う名の大広場に面白さが凝縮されています。屋根のある迷路を形成するスークの中は、細い路がくねくね曲がり、人間とともにロバや馬も歩いています。鉄職人、革職人、貴金属、染色職人、絨毯など様様なスークに分かれています。においもすごく楽しいです。香辛料のにおい、ロバの糞のにおい、日本から離れた遠い国のにおいです。未開の地というわけではないけれど、決して不潔という意味ではなく昔が残っている社会がここにあります。また夜のジャマエルフナの活気は語り尽くせないほどにぎやかで、毎日、日が沈みかけるとどこからともなく現れた人々がたくさんの屋台の席を埋め尽くします。蛇使いの笛の音が聞こえます。生きている町です。躍動している町です。人と広場と屋台とカバブを焼く煙と香辛料のにおいがお祭り騒ぎ、まさしく喧騒となります。
喧騒のマラケシュに対して落ち着きのある華麗なフェズ。そこには「フェズエルバリ」と呼ばれる巨大な迷路の旧市街メディナがあります。イスラムの異文化、アフリカのベルベルの異文化によって造られた、日本から見れば特殊な色彩と違和感。ときに日本の京都や中国の雰囲気を感じさせる小さな広場がメディナのなかにあったりもします。ペイズリーに似た模様が自然にあしらわれた壁や床や扉。人が造った町、その建物・城郭の形や模様や大きさ。決して大きいということを言っているのではなく、大きいにしろ小さいにしろ違和感を持たせる高さや広さに存在感があり過ぎて、そういった風景を提供している建物は造られたものではなく、造ったはずの人間と共存し自らその模様や色合いに成長した生き物であるかのようにさえ感じさせてくれます。
旅に何を求めるのか? 日本では味わえない色彩や明かり、風景や違和感。僕は遺跡や美術に特別興味があるわけではないので、観光化した有名な遺跡に行っても大きな感動はあまりおきなかったりします。モロッコは決して物足りなさを感じさせない、脳に大いに刺激を与えるだけの色彩や明かりや違和感をもっています。
それともうひとつ、旅をする側、感じる側に受け入れる感受性がなければ味わえない醍醐味があります。地元とのふれあい・吸収・接触です。出会いです。その土地の人とのつながりを持てるかが、その旅を年月を経たあとも心に強く残すことができる、大きな鍵となります。モロッコでは、うまくふれあい・吸収・接触がもてました。うるさいガイド、喧騒のマラケシュのBARで出会った地元の若者男女イリアスやノラ。絨毯屋のセールス、ホテルの受付、フェズの迷路をさまよいたどり着いたレストランで知り合ったスペインのお金持ち奥様、おねだりされお駄賃をあげた代わりに写真のシャッターをきってもらった3歳に満たないような子供。ただ出会いは偶然でもあるけれど、僕自身が、モロッコに惹かれ興味を持ち、ナチュラルに吸収できるような心の態勢になっていたのではないかとも、今現在の自分と照らしあわせて、そう感じたりします。
さらにもうひとつ大切だと思うものは現地で行ういろいろな手続きです。ホテルや交通手段を予約せず、現地で手配する面倒くさい手続きそのものに、いろいろなイベントが生まれます。ふれあい・吸収・接触ができます。間違いや想定外のこともおこり予定通りに進まないことも多々あります。しかしその時間は決して無駄なものではなく、不思議なことに自信につながったりするものです。読めないアラビア語の時刻表をじっくり見つめたり、言葉の通じない人に地図を見せたりしながらバスと鉄道とホテルを思い存分、現地で手配したことが、出発前の不安と緊張との引き換えに、充実感や大きな感動を僕自身にプレゼントしてくれました。
カサブランカから空港へ向かう道路は、来たときと同じように、神秘的な明るさの電灯が広い路を照らしていました。白い落ち着きのあるどっしりとした重厚な建物が道路沿いにたっていました。いつかまた訪れてみたい国、感じてみたい国、触れてみたい、話してみたい、見てみたい、臭ってみたい、味わいたい、惑わされたい、、、違和感、肌触り、色彩、臭い、形、模様、自然、そして人々。マグレブの国は僕にそう感じさせてくれました。
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