有閑マダムとゴッホ

人気の旅行先

こんにちは。レンゲです。
お元気ですか?
あたしは、今年の夏、
バンクーバーに行ってきました。
2週間の夏休みでしたが、
十分にエンジョイしましたわ。
クイーン・エリザベス公園が素敵でした。

ところで、人気の海外旅行先とは・・・?
考えた事がありますか?
退職記念にぜひ行きたい、海外旅行先はどこですか?
人生の節目を迎える退職記念に夫婦で海外旅行に行くなら、あなたはどこを選びますか?
全国の50歳以上の男女30万人に聞いた「海外旅行に関するアンケートによると、
行きたい国ベスト3は...
1.カナダ
2.フランス
3.韓国
ですってぇ~~

その中でも“退職の記念に夫婦で行きたい国 No1”に選ばれたのが、
大自然が堪能できる国、カナダです。
あたしはカナダのバンクーバーに何度か行きましたが、いつ行っても素晴しいと思います。
北米では、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロスアンジェルスに滞在した事がありますが、
バンクーバーは緑が多くてとても落ち着けます。
スタンレー公園、
クイーンビクトリア公園、
ブッチャートガーデン、
いつかきっとバンフ国立公園にも行ってみたいと思っています。

カナダはなんと言っても大自然の国ですよね。
雄大な景観を眺めながら、バスや鉄道でゆったりとめぐりたいと思っている人は案外多いものです。
あなたも、時間と暇があったらカナダの迫力ある大自然を、
心ゆくまで堪能したいと思っているのではありませんか?

また、“趣味を極めるために行きたい国 No1”は、フランスだそうです。
巨匠と呼ばれる芸術家たちの作品を思う存分味わいたいと考えている人が多いようです。
デンマンさんの知り合いの中にも毎年フランスを訪れて、
ルーブル美術館をゆっくり見物してから、南フランスでのんびりと暮らす有閑マダムが居るのだそうです。
でも、そういう恵まれた人は少ないのでしょうね。
だからこそ、退職してから行きたい国としてフランスを上げる人が多いのでしょう。
知的な旅に憧れるのでしょうから。。。
『人気の海外旅行先とは…?(2007年12月11日)』より
デンマンさん。。。もしかして。。。、もしかして。。。この上の記事に出て来る“有閑マダム”って私のことですかア?
そうですよ。芳江さんは有閑マダムと呼ばれるのはイヤですか。。。
はっきり言って、ちょっと抵抗がありますわ。。。だってぇ、あまり良い意味には使われませんから。。。
うん、うん、うん。。。確かに、時間をもてあまして。。。わがままで。。。いい加減な金持ちのおばさんというイメージがありますよね。
デンマンさんも私のことをそのようなおばさんだと思っているのですか?
もちろん、違いますよゥ。。。ただ、芳江さんのことを一言で説明するには、“有閑マダム”と言うのが最も手っ取り早いのですよ。そう言う訳で、僕は“有閑マダム”と言う言葉を使ったまでですよ。
でも、この記事を読む人はあたしの事を誤解なさると思いますわぁ~。
うん、うん。。。その事は十分に僕も予測しました。だから、誤解がないように話を進めてゆこうと思っていますよ。
それで、どうして今日私が出てくるのですか?
たまたま、おとといの記事で芳江さんのことを書いたのですよ。ちょっと読んでみてくださいよ。
日本画家の山本芳江・女史

昨日、福井市に住む
日本画家の
山本芳江・女史から
電話がかかってきて
2時間半
しゃべりまくったのだけれど、
その話はあさって
書くことにしますね。
今日は、
もうこれだけ書いたら
疲れましたよ。
あしからず。
関心があったらあさって、
ぜひ、また読みに
来てくださいね。
『ヤラセ大国日本と愚民 (2007年12月10日)』より
あらっ。。。あたくしは上の和服の女性のようなイメージなのかしら。。。?
そうですよ。。。そうですよ。。。うしししし。。。僕がコラージュして作ったのですけれど、気に入ってもらえましたか?
デンマンさんてぇ。。。なんでもコラージュして、でっち上げてしまうのですわね。。。うふふふふ。。。
とにかくバンクーバーでは11月8日の晩でしたよね。 午後9時半から真夜中まで。。。2時間半でしたよ。 日本時間では9日の午後2時半から5時でしたね。
ご迷惑だったかしら。。。?
いや。。。その時は記事を書いている最中でしたからねぇ。。。んもお~~と思いましたが、話し始めたら僕も熱中してしまいましたからねぇ~。。。うへへへ。。。それに、これならば記事に書けると思ったので、決して迷惑ではありませんでしたよ。。。ウへへへへ。。。
そうですか。。。そうおっしゃっていただけると、私もいろいろとお話した甲斐がありましたわ。。。でも、私は日本画家と呼ばれるほど大それた人物ではありませんわ。
いや、いや。。。謙遜しないでくださいよ。確かに日本で“日本画家”と言えば、日展で入選したような有名人かもしれませんが、僕は言葉が本来もっている意味で芳江さんが日本画家だと思っているのですよ。
それって。。。どう言う事ですか?
だから、日本には日本画家と言われている人が結構たくさん居るかもしれません。マスコミに取り上げられて、一応名前が知られているような。。。でもねぇ、僕が名前を知っている日本画家なんて2人か3人ですよ。それ以外は取り立てて素晴しい日本画を描く人なんて居ませんからね。。。物まねがほとんどで、独創的な日本画を書く人は極めて少ないですよ。
でも、私は日本画家と言われるためには、つたない絵ばかりを描いていますわ。
いや、いや。。。謙遜しないでくださいよ。芳江さんの日本画が福井県の絵画展で入選したことを僕は知っていますからね。
でも、田舎の絵画展ですわ。
日展であろうが、田舎の絵画展であろうが、良いものは良いのですよ。少なくとも芳江さんの日本画が絵画展に出て、その良さを認めた人が居た。そのことが素晴しいのですよ。
そうでしょうか?
実は僕も絵を描くのですよ。日本画はやった事がないけれど、水彩画と油絵はやった事があります。彫刻もやった事があって美術に関しては素人ながらも玄人(くろうと)はだしなところがあると、自負しているのですよ。うへへへへ。。。
この和歌は、小学校だけしか出ていない僕のお袋が作ったものですが、その歌のイメージから日本画的な情景を僕がコラージュしてでっちあげたモノです。つまり、このようなモノを見せて僕が何を言いたいか?と言うと、ただ芳江さんを煽(おだ)てているのじゃないと分かって欲しいからですよ。少しは絵の心得が僕にはある。芳江さんの日本画を批評するぐらいの経験がある、と言いたいのですよ。素晴しい美術作品も結構見ている。
デンマンさんも海外の美術館を見て回ったのですか?
そうですよ。これまでに34カ国を旅しましたからね。美術館に足を運ぶのも僕の趣味ですよ。芳江さんも暇があれば海外に出向いて美術館巡りをしながら絵の勉強をしていたのですよね。
そう言われてみれば、ずいぶんと美術館巡りをしましたわ。ルーブル(パリ)、オルセー(パリ)、プラド(マドリード)、メトロポリタン(ニューヨーク)、エルミタージュ(サンクトペテルブルク)、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、フィンセント・ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)、。。。思いつくままでもこれだけ巡りましたから。。。
そうですか。。。ゴッホ美術館にも行きましたか。僕もアムステルダムでゴッホの絵を見ましたよ。でもね、絵だけを見るとつまらない絵だと僕は正直、思いましたよ。
ゴッホの絵が。。。つまらない。。。つまらない絵ですか?
そうですよ。ゴッホが生きている間では、たったの1枚だけしか売れなかった。その程度の絵ですよ。
デンマンさん。。。マジですか?
もちろんですよ。僕は大真面目ですからね。。。ゴッホの絵が死後あれだけ有名になって人気が出たのは、ゴッホの弟のテオの妻(ヨハンナ)が居たからですよ。
テオの妻が、なぜゴッホの絵が世に出た事と関係しているのですか?
ちょっと次の囲み記事を読んでみてくださいよ。
フィンセント・ファン・ゴッホ
(Vincent van Gogh)

(1853年3月30日 - 1890年7月29日)
ゴッホは絵を描きはじめてから亡くなるまでの10年間に、およそ1600点もの絵を描いています。
そのうちの約200点を収蔵するのがアムステルダムにある、ゴッホに関しては世界最大のフィンセント・ファン・ゴッホ美術館です。
この美術館は1973年に開館され、現在の館長は、その名もフィンセント・ファン・ゴッホさん。
画家・フィンセント・ファン・ゴッホから数えて4代目、ゴッホの弟テオの曾孫に当たる人です。
フランス南部のアルルでのゴーギャンとの生活に失望し、自分の耳を切り落とすという事件を起こした後、ゴッホは、アルル近郊のサン・レミの精神病院に収容されます。
以前からゴッホの生活を支えていたテオがこの時次の手紙を書いています。
「愛する兄上様、まだ調子が良くないと聞いて、とても悲しい。
僕の方は、いよいよヨハンナと幸せな生活を始めます。
だから余計に兄さんが悲惨な生活を送っていると聞いて、
心が痛みます。」
一年後、ヨハンナが次の手紙を書いています。
「親愛なる義兄上様、一大ニュースをお伝えします。
来年の冬、たぶん二月頃、子どもが、それも男の子が生まれます。
テオも私も男の子に違いないと思っています。
私たちはその子に、フィンセントという名を付けようと思っています。
きっと、男の子に違いありませんから・・・ 」
ゴッホは1600枚あまりの絵を描いていますが、しかし、生前に売れたのは、たったの一枚。
彼の生活と創作活動は、彼の無二の理解者であった弟テオの仕送りによって支えられていました。
しかし、ゴッホは自らにピストルを向け、命を絶ちます。 37歳でした。
弟テオは、その半年後、兄の後を追うように、病気で亡くなります。
ヨハンナにとってはショックでした。
画家としての成功を夢見た兄。
それを信じ、支え続けた弟。
ふたりの願いは、その死後に実現することになります。
遺志を継いだのは、テオの妻・ヨハンナでした。
ゴッホに書いた親しみのある手紙が残っていますが、
実は、ヨハンナとゴッホはあまり仲が良くなかったと言います。
それは想像がつきますよね。
自分の夫が一生懸命になってゴッホの生活を支えている。
ヨハンナにとっては面白いはずがないのです。
それで、ゴッホとは口論になった事もしばしばだったとか。
ゴッホがピストル自殺を遂げた事も、そのような訳でヨハンナには気になっていたのです。
夫の死後、兄弟の手紙を読むうち、ヨハンナは、ゴッホの生き様に魅せられていきます。
1914年、700通にも及ぶゴッホの手紙とテオの手紙をまとめ、書簡集を出版しました。
何度もゴッホの絵の展覧会を開きます。
そしてそれ以後、ゴッホの絵は評価を高めることになるのです。
ヨハンナが居なかったらゴッホは現在これだけ有名になっていなかったと僕は思いますね。つまり、ゴッホの絵の素晴しさを、ヨハンナの感動を通して見ているのだと思いますよ。要するに、ゴッホの絵は、ヨハンナの感動を通して見ない限り、味わいつくせないものがあると僕は思いますね。
そうでしょうか?
ゴッホの絵を見る限り、絵がそれ自体に価値があるようには思えない。やはりゴッホの生き様を見ない限りゴッホの絵の値打ちが僕には分からない。それと同じように、僕は芳江さんの生き様を見てきましたからね。芳江さんの絵を僕は、ちょうどヨハンナがゴッホの絵を見るように見ることができるのですよ。
つまり。。。つまり。。。ヨハンナがゴッホの生き様に感動したような。。。その。。その同じような感動をデンマンさんが。。。デンマンさんが私の人生を見て。。。私の絵を見て感じたと言うのですか?
そうですよ。
まさかぁ~~。。。?
芳江さんは自分が生きてきた人生だから、つまらないと思っているかもしれないけれど、僕の目にはずいぶんと劇的な半生ですよ。
そうでしょうか?