人格の不連続性(PART 1)
Franz Schubert(1797-1823)
小さな川を日本語では小川という。では、小さな小川は、何と言うか。言いようがないし、言う必要も無かったし、今も無いので、言葉も無い。ところが、それがドイツ語にはあるのである。Bächleinである。そのBächleinに身投げして死んだ若者がいたとしたら、それは茶番劇であろう。(中略)信じられないことに、それを書いた三文詩人が、実際に、いたのである。
F.Schubertの“Die Schöne Müllerin”(D.795)の作品の範囲では、判然としない水車屋の娘の心変わりについて、原詩集のEpilogでは、娘の非情と、若く誠実な水車屋を想い出し……と、おくばせながら補足されている、とのことである。つまり、私が読む限りは、娘の非情なるものは本文の中では暗示されているだけである。それも、その若者の言葉を通してにすぎない。とりようによっては、始めから全てが若者一人想いだった、と読むことも出来るのである。それは、娘の非情でも何でもなかったのかもしれないのだ。(中略)そんな風にしか描かれていなかった失恋なんぞは、他人、私にとっては喜劇以外の何ものでもないではないか。子供の作文であっても、Epilogで後出しをする、などというやり方は、でっちあげ、と言われて仲間に笑われるであろう。Epilogは、無論、作曲されていない。
(中略)
Schubertの凄いところは、それを、むしろ、言葉の無い音楽にまで波及させたことである。言葉の引力から解き放たれた抽象としての情緒が、言葉によって変形させられない素材としての旋律、和声が、どのような音楽作品として結実したか、我々は、すでに、知っているではないか。私の知らないのは、それを彼が意識的に自覚してやったかどうかだけである。(中略)
いまどき、男が、恋愛至上主義などを口外したならば、馬鹿と思われるか、色気違いかと罵られるのがおちであろう。ところが、多くの女は逆である、と私は見ている。もっとも、女だって、あられもなく、それを口で言うのは稀であろう。ただ、罠を張って見張っているだけである。それでなければ、女の心変わりにおける、ある種の人格の不連続性のようなものは、説明のしようがないではないか。それが、女の利害に結びつこうが、自分の好きな者(物)が正しいとする態度としようが、Die Schöne MüllerinもCarmenも正体は何の違いも無い、と私に眺められるようになってきた。ますます、いいとこ取りだけをしたがる女が増えて、若い男の生き難い世の中になってきたのは、日本も、ここカナダも同様であろう。しかしながら、若者は、失恋に恥じる必要はない、と彼らに言いたい。失恋、失業、疾病などは、不幸であっても恥ではない、という理解だけは、現代人の古代人に優る認識であるからである。そうでない人間は、男女にかかわらずに、現代に徘徊しても原始人であろう。
蛇足(コーダ):
Schubertのおかげで有名になった、その三文詩人の名は、Wilhelm Müllerである。Die Müllerinの親戚か。
デンマン注:赤字は強調のなめに僕が色彩を施(ほどこ)しました。
出典:
17-18ページ『間奏曲集ー主題なき変奏』(作品2)
著者:太田将宏 初版:1994年1月 改定:2006年6月
Les Interludes - Variations sans Sujet - Opus 2
by Masahiro Ota
デンマンさん。。。あんさんは、どうして急に作曲家のシューベルトのことなど持ち出してきやはったん?
あのなァ。。。わては日本帰省中の10月18日の朝、NHKの「おはよう日本」を見ながら納豆で朝飯を食べていたのやがなァ。
納豆とシューベルトと何か関係がありはるの?
シューベルトはシャーベットを食べたことがあるかも知れへん。そやけど、納豆を食べたということは、どの本を見ても出てき~へんかった。
それやのに、どうして納豆のことなど持ち出してきやはったん?
あのなァ~、納豆のことではのうて「おはよう日本」の話題のことが気になっておったのや。
「おはよう日本」の何がそれほど気になったん?
めれちゃんが10年以上も苦悩し、患っていた境界性人格障害(ボダ)を番組で取り上げておったのや。
あんさんは、すでにボダについて仰山(ぎょうさん)記事を書きましたやんか。
そうやァ。確かにたくさん書いたでぇ。“境界性人格障害 デンマン”と入れてGOOGLEで検索してみたら、たくさんの記事が見つかりおった。
境界性人格障害 デンマン
の検索結果
約 9,350 件 中
1件ー10件目
1) 不倫と境界性人格障害:デンマンのブログ:So-netブログ2005年10月8日 ... 今になってみれば、レンゲさんが境界性人格障害を患っていたからだと説明がつくのだけれど、何も知らなかった頃には本当に理解に苦しみ ... デンマンさんから、そう言ってもらえると、なんだかうれしいような、コケにされているような。 ...
denman.blog.so-net.ne.jp/2005-10-08-1
2) あなたも境界性人格障害者です:デンマンのブログ:So-netブログ2005年10月13日 ... デンマンの日々思うことや徒然なるままに考えている事を書く雑記です。 国内にも問題が山積みしているのに北朝鮮と..|境界性 ... そういうわけで、僕も境界性人格障害者の気持ちを共感する事ができるわけです。すべてとは言いませんが。 ...
denman.blog.so-net.ne.jp/2005-10-13-1
3) 恋愛と境界性人格障害 と言う方は コチラ からお申込みください。ご協力お願いします! (登録は無料です). ☆恋愛と境界性人格障害のHOTキーワード☆. 次; jp; ォ; 女; 人; ne; Received; 記事; 恋; 島本さちえ; rakuten; from; れんげさん; あんさん; 写真; デンマンさん ...
www.edita.jp/denman705/
4) 恋愛と境界性人格障害デンマンさんは、どうしてそのような事をおっしゃるのですか? << 境界性人格障害の判断基 ...
www.edita.jp/denman705/archive/200608-1.html
5) 不倫と境界性人格障害 (その2) : デンマンの書きたい放題それが境界性人格障害者の定めのようなものなんですよね。 どういうことですの? つまり、上の表の2番目の項目ですよ。 ■ 衝動性が強い。 浪費、薬物乱用、過食、無謀運転、 見境なしのセックスなどに陥る。 衝動的に不倫に走ったりする。 ...
mblog.excite.co.jp/user/denman705/entry/detail/?id=2222403
8) デンマンの書きたい放題 : レンゲさんと和子さんは境界性人格障害に ...2005年12月20日 ... その人たちの大部分は社会に適応して普通の人と変わらない人生を歩んで居ます。でもね、“離婚”が和子さんのようにトラウマとなっている人が居る。そのような人が境界性人格障害者になるんですよ。 デンマンさんはお医者さんなんですか? ...
denman705.exblog.jp/2243147/
10) エログロちゃんねるとレンゲ物語 (2008年1月4日) - デンマンの ...2008年1月4日 ... これまでトップを続けていた「境界性人格障害」を追い越してトップになってしまった、と言うことですか? その通りですよ。 ..... でも、その1位のページとデンマンさんの記事が3位になった事の関連性が分かりませんわ。 ...
beaverland.web.fc2.com/denman2/20080104.html
2010年11月1日現在
『境界性人格障害 デンマンのGOOGLE検索結果』より
あらっ。。。デンマンさんは境界性人格障害について9,350 件も記事を書きはったん?
もちろん、全部わてが書いたのではあらへん。たぶん半分ぐらいは、わてが書いておるかも知れへん。
それだけ記事を書いたのに、あんさんは今更何が言いたいねん?
あのなァ~、驚いたことに日本では未だにボダで悩んでいる患者の統計が無いんやてぇ。。。つまり、厚生労働省の役人がボダを無視しているようなものや。さらに、ボダの患者を治療しても病院は、あまり儲からんさかいに、しっかりとボダと取り組む病院が少ないのやてぇ。
マジで。。。?
番組では、詳しい事を言わんかったのやけど、日本ではボダの関心度は、お馬鹿タレントの人気度に比べても話にならん位に低いと言うことがわてにも実感できたのやァ。
日本国民のボダに対する関心度の低さについて、あんさんは悲観してはるの?
いや、そればかりではあらへん。出だしに書いたシューベルトの文章の中で次の箇所が目に飛び込んで来たのやがなァ。
女の心変わりにおける、
ある種の人格の不連続性のようなものは、
説明のしようがないではないか。
この箇所がどうやと、あんさんは言わはるの?
太田さんは「説明のしようがないではないか」と書いているけれど、もし太田さんがボダについて感心を持っていたら「ある種の人格の不連続性」は説明がつくのや。
あんさんは、どないして説明しよるの?
それにはボダを患っていためれちゃんが書いた絶交状を読めば理解できるねん。
じいさん、
永久に近づくな。
めれんげは自分の思うままに
詩を書きたいのだ
自由に心のままに。
ネガティブな詩だってある。
そこに喰らい付いてきて、
気持ちの悪い文章を書くじいさん。
アンタは本当に面倒くさい奴だ。
アクセス禁止にしたところで、
どうせipを偽装するんだろうな。
ハッキリ言う。
一度はアンタと和解したが、
そんなことはもう、決してありえない。
なぜかと言うと、
めれんげの気持ちをわかったつもりで、
見当違いのコメントを書いて
わたしのブログを汚すからだ。
何より許せないのは、
アンタの「言葉泥棒」だ。
都合のいいところだけ抜き出して、
さも、アンタと通じ合っているような
文章を垂れ流していることだ。
それに、何年も前の文章を
いつまで使い続けるつもりなんだ。
わたしはいつまでも
同じ所に立ち止まっているわけではない。
アンタが同じネタを使っていることで、
アンタの進歩のなさを露呈しているんだ。
気持ち悪い「愛のコラボ」ってなんだ?
それも結局は、アンタの脳内で
わたしの創作を侮辱しているってことだ。
アンタとわたしとではレベルが違う。
アンタは人の書いたものなしでは、
何も書けない貧困な人間だ。
クリエイティビティもないくせに、
「文学的素養」について語るな。
わたしが心の底から苦心して
絞り出した言葉を
アンタはのうのうと使いまわして
さも自分が知識人であるように装っているだけだ。
そして、さもしいアンタは、
他人を馬鹿呼ばわりして、
自分のブログのネタとして使う。
オリジナリティもないアンタには、
自分で何かを創りだす能力なんて
ないからだろうな。
じいさん。
アンタは自分が思う以上に、
ネットの中で、飽きられているぞ。
アンタに構ってくれた人たちは、
もうアンタになんて目もくれていないだろう?
それはアンタの薄っぺらさを
みんなが気付いたからだ。
わたしはアンタにつきまとわれているから、
こんな文章を書かざるを得ない。
とにかく一言言いたいのは、
「死ぬまでわたしに関わるな。
ネタにもするな」
ということだ。
by merange (めれんげ)
October 05, 2009 19:36
『極私的詩集 永久に近づくな』より
『相手にされない成りすまし馬鹿』に掲載
(2009年11月22日)
この絶交状がどうやと、あんさんは言わはるの?
めれちゃんとわての心の絆は6年の歳月を経て育まれてきたのやでぇ~。。。
あんさんが独断で、そう信じているだけやん。
いや。。。独断ではあらへん。
その証拠でもあるの?
あるがなァ。。。めれちゃんは次のように書いてたでぇ。。。
(すぐ下のページへ続く)