ローズティーと生八ツ橋(PART 1)
Subj:小百合さん、おはよう!
山の家の秋も深まってるでしょうね!?
きゃはははは…
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Date:Mon, 15/11/2010 3:06:24 PM
Pacific Standard Time
日本時間:11月16日(火)午前8時6分
なぜかローズティーが懐かしく思いだされてきましたよ。
10月25日、月曜日、インターネット・コミックカフェ「自遊空間」で待ち合わせてから「印度市場」で本場のインドカレーを食べました。
小百合さんは甘口カレー。僕は激辛カレー。
食べてから「さきたま古墳公園」へ。
広い駐車場に着くと通りを挟んだ向かいに「田舎っぺうどん」の看板があった。
“思い出を食べる”軽井沢タリアセン夫人。
10月16日、テレビ東京(12チャンネル)の「埼玉・行田」グルメ特集で「田舎っぺうどん」を見たという小百合さん。
「あれがそうだわ!!」と叫びました。
小百合さんが思い出を食べる女であることを改めて感じた瞬間でした。
休息パビリオンで食後のデザート。
小百合さんが Irish cream-flavored coffee beans をわざわざ栃木の田舎から持ってきてコーヒーを入れてくれました。
その時に、「ローズティー」と「生八ツ橋」も持って来てくれたよね。
「生八ツ橋」は菊ちゃんのエピソードを小百合さんが覚えていて、ふと思い付いて持って来てくれたのだろうね。
でも、どうして「ローズティー」?
なぜだろう?
うん、うん、うん。。。思い出しましたよ!
10月15日の金曜日、大長寺の大仏を見ながら、その前の白いテーブルでアイリッシュコーヒーを小百合さんと一緒に飲んだのでした。
その朝、空は曇っていたけれど散歩に出て忍川の堤(つつみ)をそぞろ歩いて戻ってくると前庭にピンクのバラがきれいに咲いているのが目に付いた。
バラの木が3メートルも伸びていて、その先に6つほどピンクの花を咲かせていたのです。
そうだ!小学生の頃、足袋の資産家の大邸宅の庭に見た白いテーブルの上には一輪挿しのバラが飾ってあったに違いない!
なぜかそう思えた。
玄関に埃をかぶって空になっていた花瓶を洗って、孔雀のように葉を広げていた棕櫚の葉を切って挿した。
その真ん中に一輪のバラを差し込んでみたのです。
この花瓶を大長寺の白いテーブルの上に置いて小百合さんと一緒にコーヒーを飲もう!
うしししし。。。
小百合さんが思い出を食べるなら、僕は思い出を飲もうというわけですよ。
きゃはははは。。。
小百合さんが「ローズティー」を持ってきたのは白いテーブルの上のピンクのバラが小百合さんのオツムに印象強く残っていたのではないか!?
そんな風に思えたのでした。
小学生の頃に見た白いテーブルの上に果たしてピンクのバラが飾ってあっただろうか?
はっきりと、あったとは言えないけれど大長寺の白いテーブルの上には一輪のピンクのバラがきれいに咲いていたのでした。
そのバラの花を見ながら小百合さんとコーヒーを飲みつつ、バラの香りとアイリッシュコーヒーの香りをしみじみと味わいながらロマンの香りに浸ったのでした。
きゃはははは。。。
では、小百合さんも山の家でアイリッシュコーヒーを飲みながらロマンの香りを楽しんでね。
じゃあ、バ~♪~イ。
デンマンさん。。。大長寺の白いテーブルの上に置いたバラの一輪挿しがそれほどに大切な思い出なのでござ~♪~ますか?
卑弥子さんは長年、僕とコンビを組んでこうしてブログで語り合ってきたのに僕の大切な思い出が理解できないのですか?
デンマンさんとあたくしの大切な思い出は赤と白ぐらいに色合いが全く違うのでござ~♪~ますわ。
ん。。。? 大切な思い出が全く違う。。。?
そうですわ。 あたくしの大切な思い出はデンマンさんが書いてくださった日記の中にあるのですわ。
2005年7月28日 木曜日 晴れのち曇り
強羅温泉の露天風呂に浸ると心の底から癒されるようである。湯煙はいつ果てるともなく絶えず湧き上がる。ふと見ると真っ白な姿が天から降りてきたように湯煙の中に浮かび上がる。一人の妖艶な女が音も無く湯の中に胸元まで浸かるのだった。
首筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦も無く肩の方へなだれ落ちた線が豊かに丸く折れて流るる末は五本の指と分かれるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳房の下には、しばしば引く波が、又滑るように盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢いを後ろへ抜いて、勢いの尽きるあたりから分かれた肉が平衡を保つ為に少しく前に傾く。
輪郭は次第に白く浮き上がる。今一歩を踏み出せば折角の天女が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は波を切る霊亀(れいき)の尾の如くに風を起こして、秀麗に靡(なび)いた。
渦巻く湯煙を劈(つんざ)いて、妖艶な白い肢体は天女の如く立ち上がる。
「おほほほほ。。。ご免遊ばせぇ~。。。」
コケティッシュに笑う女の声が湯面に響き渡り静かなる露天の空気を妖しく震わせる。
風呂から上がると余は自分の部屋でしばし寛(くつろ)いだ。御簾(みす)の奥に引き篭(こも)っていた女が「どうぞこちらへ。。。」と声をかける。御簾の向こうには蒲団が敷かれ、文台や鏡台、二階厨子などで趣(おもむき)よくしつらえてあった。蒲団の上に女は一人で座っていた。障子窓から差し込んでくる月明かりに陶器のような肌が妖しげに輝き、澄んだ瞳が黒数珠(じゅず)のように嵌(はま)っていた。30歳を少し過ぎた頃だろうか?美しい女だった。その女は余に微笑みながら頷(うなず)いた。
あなたの意のままに、と、その仕草は告げていた。余は夢の中に居るようだった。膝を進めて近づいてゆくと、焚(た)き染(し)めた香の薫りに混じって甘い女の匂いがした。女は熟れた無花果(いちじく)の実のように余の懐(ふところ)に落ちてきた。
二人はお互いの肌のぬくもりを感じあった。相手の息遣いを感じ、その肉を感じ、女の魂のどこかで、自分の魂と共鳴するものを強く感じる。余は幸福感と心地良さに誘われて深い眠りに落ちていった。
『露天の月 (2010年11月17日)』より
あのねぇ~、これは事実に基づいて書いた日記ではなくて、もし夏目漱石が2005年に箱根の強羅温泉で卑弥子さんに出会ったらどうなるだろうか?格調高く書いたつもりの僕の創作なのですよう。
でも、あたくしは夏目先生ではなくてデンマンさんと。。。
だから、卑弥子さんはトラウマから逃れるために想像の世界に逃避したのですう。
デンマンさんは、何が何でもそのように断定なさるのですか?
あのねぇ~、この話を続けていたら限(きり)がないのですよう。 余計なことは言わないと約束だったでしょう!?
分かりましたわ。。。んで、大長寺の白いテーブルの上に置いたバラの一輪挿しに、どうしてこだわるのでござ~ますか?
卑弥子さんは忘れてしまったのですか?
あたくしが何を忘れてしまったと、デンマンさんはおっしゃるのですか?
やだなあああァ~。。。僕は卑弥子さんと何度も話したはずなんですよう。また同じ事を書かなければならないじゃないですかァ!んもお~。。。じっくりと読んで思い出してくださいね。
上流社会
今日は上流社会についてお話なさるのでござ~♪~ますか?
そうですよう。でもねぇ、僕は上流社会だとか下層社会だとか。。。そう言うようにレッテルを貼る事は嫌いなのですよう。
どうしてでござ~♪~ますか?デンマンさんは下層社会に生まれて育ったので、上流社会に対して嫉(そね)みとか、妬(ねた)みを感じているのでござ~♪~ますか?
ほらねぇ~。。。十二単を着ていると、そのような事を言うのですよねぇ~。。。僕はそのように言われるのが一番イヤなのですよう。
つまり、あたくしが本当の事を申し上げたので、デンマンさんは頭に来て、ムカついているのでござ~♪~ますわね?
ますます僕の気に障る事を卑弥子さんは、わざと言うのですか?
わざとではござ~♪~ませんわ。あたくしは思ったとおりの事を言っているのでござ~♪~ますう。常日頃からデンマンさんが本音で生きなさいと言っているので、あたくしはデンマンさんの助言どおりに、心に浮かんだ事をズバズバと申し上げているのでござ~♪~ますわ。
心に浮かんだとしても、言わなくていい事まで言う必要は無いのですよう。
でも、上流社会についてデンマンさんがお話になるのですから、あたくしの申し上げている事は決して脇道にそれているとは思いませんわ。
でも、卑弥子さんは、まるで日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、わざと僕の気持ちを不愉快にさせていますよう。
いいえ、それはデンマンさんの誤解でござ~♪~ますわ。あたくしは『小百合物語』のホステス役としてデンマンさんのお手伝いをしているだけでござ~♪~ますわ。おほほほほ。。。
だったら僕を不愉快にさせるような事を言わずに、今日の話題に沿った事を言ってくださいよう。
分かりましたわ。。。んで、デンマンさんにとって上流社会とは、どのようなものなのでござ~♪~ますか?
実は、僕は思いがけなく、子供の頃に上流社会を垣間見た事があるのですよう。
どのようにして、でござ~♪~ますか?
ちょっと次の写真を見てください。
実はねぇ、この写真は僕がコラージュして作ったものですよ。僕が小学校1年生か2年生の頃覗き見た別世界のイメージですよ。
行田ですか?
そうですよ。行田の町は戦前、足袋で知られた町だったのですよ。日本の足袋生産の7割から8割を占めていたと言われたほどです。行田の町を歩くと、どこからとも無く、次のような音が聞こえてくると言うのですよ。
フンジャトッテ、カッチャクッチャ
フンジャトッテ、カッチャクッチャ
フンジャトッテ、カッチャクッチャ
何ですか、これは。。。?
足袋を作る女工さんがミシンを踏む音ですよ。フンジャとは、ミシンを踏んで、トッテとは、給料を貰って、カッチャで、行田のフライを買って、クッチャでフライを食べるわけですよ。それで、ミシンを踏む音がフンジャトッテ、カッチャクッチャと聞こえると言うのですよ。
つまり、“行田のフライ”と言うのは、女工さんのための食べ物だったのでござ~♪~ますか?
調べてみると、どうも、そうらしいのですよう。
。。。んで、上のカッチャクッチャは、デンマンさんが語呂合わせで作ったのですか?
違いますよう。昔から行田で言い伝えられています。ところが太平洋戦争後、アメリカからナイロンの靴下が入ってきて、足袋産業はすっかり落ちぶれてしまった。僕が小学生の頃には足袋を履いて学校へ行く生徒なんて全く居ませんでしたよ。
それで、足袋と白いドレスを着た女性の写真は、一体どのような関係があるのでござ~♪~ますか?
行田の本町(ほんちょう)通りと言うのが町のメインストリートなんですよ。その通りには足袋で財を成した人の大邸宅と工場が建っていた。でも、僕が小学生の頃はほとんどの工場が足袋を作らず、学生服だとか作業衣を作るようになっていた。でも、つぶれてゆく工場が後を絶たなかった。その一つが上の写真ですよ。
つまり、足袋で財を成した人の大きな邸宅があったのですわね?
そうですよ。でも、僕が小学校へ行く道筋にあったその邸宅は、いつも大きな門が閉まっていた。門が開いているのを見たことが無かった。
それで。。。?
いつも大きな門が閉まっていて中が見えない。子供心に、この家の門の中はどのようになっているのだろうか?好奇心が湧いてきたのですよう。
それで、デンマンさんは覗いてみたのでござ~♪~ますか?
そうですよ。がっしりとした大きな門も風雪に晒されてガタが来て隙間ができていました。それで、その隙間から覗いたのですよ。
そうして見たのが上の写真のイメージだったのですか?
そうですよ。びっくりしましたよ。白いドレスを着ている人なんてアメリカ映画でしか見たことが無い。それに晴れているのに白いパラソルなんかさしている。“晴れているのに、なぜ傘をさしているのだろう?” それまで、パラソルをさしている女性を見たことが無かったのですよ。とにかく、幻想的というか、初めて見る夢のような光景に、別世界と言う感じがしたものですよ。白いドレスと、白いテーブルに椅子、日本人離れしたイデタチの女性。僕はフランスに行ったような錯覚に囚われたのですよ。フランスに行けば、おそらくこのような光景を見るに違いない。。。そう思ったものですよ。
それで、なぜ、デンマンさんが小学生の時に見た貴婦人は結婚式でもないのに、結婚式の時に着るような白いドレスを着ていたのですか?
確かに、普段、着るようなものじゃないですよね。
それで、貴婦人は一人っきりで居たのですか?
実は、少なくとも二人居たのですよ。相手は同じ年頃の男の人でしたよ。二人はテーブルに腰掛けてコーヒーか紅茶を飲んでいたのですよ。
他にも人が居たのですか?
テーブルに座っていたのは二人だけでした。でも、ちょっと離れたところに人が居たようにも記憶しているのですよ。
一体何をしていたのでござ~♪~ますか?
だから、僕と小百合さんが白いテーブルに座って大仏を見ながら、いろいろと取り留めの無い話をしていたように、そのカップルもお互いに気心が知れているように気兼ねなく楽しそうに話をしているように見えましたよ。
ただ無駄話をしていただけでしょうか?
なぜ、あのような白いドレスを着て周りの世界とはあまりにもちがった“外国”でお茶を飲みながら談話していたのか?僕にだって、なぜなのか断言できませんよ。想像を膨らませる以外には答えようが無いですね。
デンマンさんはどう思われるのですか?
僕は“最後の晩餐”ならぬ、“最後の茶会”だったのではないだろうか?今、考えてみると、そのように思えるのですよ。つまり、華麗で豊かな時代が終わったのですよ。行田の足袋産業は斜陽化していた。すでに繁栄の時代の終焉は見えていたのですよ。その女性は30代の半ばだったかもしれません。一緒に居た男性は夫だったかも知れません。二人はハネムーンにパリに行ったのかもしれません。
女性は、パリで着たドレスを出してきて身につけたのかもしれませんよ。工場も邸宅も人手に渡ってしまった。それで最後の茶会を夫と二人で楽しんでいたのかもしれません。
でも、その邸宅は、いわば風雨に晒されて朽ち果てるような佇(たたず)まいだったのでござ~♪~ましょう?
そうですよう。工場は操業していなくて、廃業に追い込まれていたようです。大きな門もペンキがはげて、かなり傷(いた)み始めていましたよ。でもねぇ、二人の思い出の中では、真新しい邸宅のままだったかもしれませんよ。
もしかして、その二人は幽霊なのでは。。。?
まさかぁ~。。。僕は学校が終えてから通りがかりに覗いたのだから午後3時半か4時ごろでしたよ。晴れ渡っていて、雲もほとんど無くイイ天気でした。芝生の色が鮮やかに記憶に残っていますよ。第一、幽霊だったら、足が無いでしょう?僕の見たその二人には足がちゃんとありましたよ。だいたい幽霊ならば、晴れ渡った昼下がりに出てきませんよう。
それで。。。男の人はどのような服装をしていたのでござ~♪~ますか?
それが。。。やっぱり普段着ではないのですよ。タキシードのようなパシッと決めた服装をしていましたよ。とにかく、アメリカ映画の中でしか見かけないようなカップルでしたよ。その前にも後にも、行田では見たこと無いような、とびっきりハイカラな格好をしていましたよ。
もしかして、デンマンさんが夢を見て。。。その夢を現実と混同していたのではないですか?
もし夢ならば、20年も30年も記憶に残りませんよ。あの鋳鉄(ちゅうてつ)でできた白いテーブルと白い椅子ね。。。これが、とにかく印象的に僕の脳裏に焼きついたのですよ。
そんなモノがですか?
卑弥子さんは、“そんなモノ”と言うけれど、当時小学生の僕はテレビの『名犬ラッシー』にハマっていたのですよ。庭にある洒落(しゃれ)た鋳鉄製(ちゅうてつせい)の白いテーブルと白い椅子は『名犬ラッシー』の中でしか見たことが無かったのですよ。言わばそれは僕にとってアメリカを象徴しているようなものだった。それが、大きな門の隙間から覗いた向こう側の庭にあった。そこにアメリカを覗き込んだような驚きでしたよ。ショックと言った方が的確かもしれませんよ。それほど衝撃的に小学生だった僕のオツムのスクリーンに焼きついてしまったのですよ。
それほど衝撃的だったのですか?
そうですよ。アメリカは僕にとってテレビの中の世界だった。言わば夢の世界だった。その夢の世界が大きな門の向こう側にあった。僕が知らずに毎日通っていた道の傍らに別世界があったのですよ。
どれぐらい覗いていたのですか?
どんなに長くても5分以上は覗いていませんでしたよ。
今でもその場所はあるのでござ~♪~ますか?
もう、20年近く前にその場所は取り壊されて新しい建物が建っていますよ。
行田のどの辺にあったのでござ~♪~ますか?
本町(ほんちょう)通りにあったのですよ。この上の地図だと125号が本町通りです。僕が小学校の頃の面影はほとんど無くなってしまいました。“徳樹庵(とくじゅあん)”という居酒屋がありますが、ここにあったと思うのですよ。
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