デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

感性の話(PART 1)

2010-11-16 10:19:48 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 
感性の話(PART 1)
 


自分の感性くらい

自分で守れ

ばかものよ




デンマンさん。。。あんさんは、なんで感性の話など持ち出してきやはったん?



あのなぁ、わては帰省中の10月1日に、たまたまNHKテレビの「おはよう日本」を見たのやがなぁ。

その番組の中で「感性」のことを取り上げとったん?

いや。。。「感性」の事やのうて4年前に亡くなった詩人の茨木のり子さんの事を取り上げておったのや。

茨木のり子さんと「感性」が関係ありはるのォ~?

あるのやぁ。。。茨木のり子さんの詩の中に次のようなものがあるねん。


自分の感性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を 
ひとのせいにはするな 
みずから水やりを怠っておいて  

気難かしくなってきたのを                   
友人のせいにはするな                   
しなやかさを失ったのはどちらなのか            

苛立つのを                   
近親のせいにはするな                   
なにもかも下手だったのはわたくし                   

初心消えかかるのを                   
暮らしのせいにはするな                   
そもそもが ひよわな志にすぎなかった                    

駄目なことの一切を                   
時代のせいにはするな                   
わずかに光る尊厳の放棄                    

自分の感性くらい                   
自分で守れ                   
ばかものよ

出典:「自分の感性くらい」(単行本)著者:茨木のり子


上の詩の最後のところで「感性」が出てきやはるのね。

そうなのや。。。わては最後のところだけ印象深く覚えていたのやぁ。

番組でも上の詩が紹介されとったん?

いや。。。茨木のり子さんの詩が隠れたブームになっておるとアナウンサーが言うてたのや。

あんさんは茨木のり子さんの詩にハマッておったん?

いや。。。上の詩だけが、わての記憶に特に強く残っておったのやァ。

どうして。。。?

わてはバンクーバー市立図書館から『漱石とグールド』を借りてきて読んだのやァ。夏目漱石とグレン・グールドの感性が似ていると言うてるのや。

マジで。。。?

この二人は生きた時代も、生まれ育った国も違うておるのやァ。だから、どういう事だろうと思うて興味をそそられて読んだのや。



感性

1) 刺激に応じて感覚をひきおこす働き

2) 何かに接して何ほどかの印象を持つ能力。感受性

出典:三省堂『新明解国語辞典』


つまり、夏目漱石とグレン・グールドの感受性が似ていると言うのやァ。

生きた時代も、生まれ育った国も違うておるのに二人の感受性が似ておると言うてるのォ~?

そうなのやァ。

同じ日本人でも時代が違うていると感受性もだいぶ違うてくるねん。

たとえば。。。?

めれちゃんは、かつて次の詩を書きおった。


朝のキモチ
 
 
2004/12/10 07:33
 
 

 
 
昔、好きな人と会える日は、

朝、目が覚めた瞬間に、

身体中にしあわせが

いっぱいになって、

踊るように仕度をして、

出かけていったなあ。

あの頃のわたしは、

多分、今の100倍

キレイだったと思う・・・

 
 

 
  
by めれんげ
 


 
『幸せと潤いのある生活』より

『朝のキモチ』に掲載
(2010年9月17日)




「朝のキモチ」を持ち出してきて、あんさんは何を言うつもりやのォ~?



あのなァ~、上の詩の中には、めれちゃんの感性が実によく表れておるねん。

わたしの感性が。。。?

そうやがなァ~。。。めれちゃんらしい感性なのやァ。実は茨木のり子さんにも似たような詩があるねん。めれちゃんの詩と比べると、その感性たるやマジで対照的なのやァ。。。めれちゃんも読んでみィ~なァ。



わたしが一番きれいだったとき


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね

茨木 のり子

出典:東京書籍版「新しい国語2」




分かるやろう?めれちゃんの感性が“陽”ならば、茨木のり子さんの感性は“陰”なのやァ。



つまり、わたしいはルンルン気分でノー天気な詩を書いていると、あんさんは言わはるの?

いや。。。めれちゃんがノー天気な詩を書いたとは思っておらへん。どちらも素晴らしい詩やと、わては思うでぇ。ただ、感性が対照的なのやァ。要するに、誰もが時代の落とし子と言うことなのやァ。。。

時代の落とし子。。。?

そうやァ。茨木のり子さんの青春は太平洋戦争の真っ只中で閉塞感に打ちひしがれていた。

 (すぐ下のページへ続く)

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感性の話(PART 2)

2010-11-16 10:17:10 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


感性の話(PART 2)


茨木 のり子

(1926年6月12日 - 2006年2月17日)

戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家である。
本名、三浦 のり子(みうら のりこ)。
戦中・戦後の社会を感情的側面から反戦左翼的に描いた叙情詩を多数創作した。
主な詩集に『鎮魂歌』、『自分の感受性くらい』、『見えない配達夫』などがある。
「わたしが一番きれいだったとき」は多数の国語教科書に掲載され、彼女の最も有名な詩のうちの1つである。

大阪府生まれ、愛知県西尾市育ち。
愛知県立西尾高等女学校を卒業後上京し、帝国医学・薬学・理学専門学校薬学部に進学する。
上京後は、戦時下の動乱に巻き込まれ、空襲・飢餓などに苦しむが何とか生き抜き20歳の時に終戦を迎え、1946年に同校を卒業する。
帝国劇場で上映されていたシェークスピアの喜劇「真夏の夜の夢」に感化され劇作の道を志す。
1950年に医師である三浦安信と結婚。
埼玉県所沢町に移り住む。
家事のかたわら雑誌「詩学」の詩学研究会という投稿欄に投稿を始める。
1953年に川崎洋からの誘いで、同人誌「櫂」を創刊にたずさわる。
創刊号は川崎洋・茨木のり子の二人だけの同人誌だったが、二号からは谷川俊太郎、三号から舟岡遊治郎・吉野弘、四号から水尾比呂志が参加し、その後の第二次戦後派の詩人を多数輩出するようになった。
1999年に刊行された詩集『倚りかからず』が10月16日の朝日新聞「天声人語」で取り上げられたことで話題になり、詩集としては異例の15万部の売り上げを記録した。
2006年2月、病気のため東京都西東京市東伏見の自宅で死去。享年79。
茨木は一人暮らしで、2月19日に訪ねて来た親戚が寝室で死亡しているのを発見した。
死去はその二日前の2月17日。すでに遺書は用意されてあった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




分かるやろう?20歳の時に終戦を迎えたのやがなァ。当然、感性も戦争の影響を受けると思うでぇ。。。それに比べてめれちゃんは戦争を全く知らへん。平和の時代の落とし子やがなァ。つまり、めれちゃんの感性は平和の時代に育(はぐく)まれたという事がよう分かるねん。



あんさんは時代の落とし子の感性について話したかったん?

いや。。。そればかりではあらへん。昨日(11月10日)藤原正彦さんが書いた「国家の品格」という本を読んだのやァ。その中に“自然に対する感性”という事が書いてあったのやァ。めれちゃんにも、その箇所を読んで欲しいねん。


秋の憂愁に心を静ませる

イギリスの庭師の場合、例えば「楓を庭のあそこに植えてくれ」と注文すると、言われたところに穴ぼこを掘って、楓をポンと植えて、お金をもらって帰ってしまう。

ところが日本の庭師の場合、まず家主の言うことを聞かないと言う。あそこに植えた方が良い、などと逆に提案してくる。そして一本の木をあらゆる角度から眺め、庭師自身もあっちこっちに立ち位置を変え、目を丸くしたり目を細めたりして、散々に見た後、最も美しく、最も調和の取れた所に、弟子たちに身振り手振りで指示を与えて植えさせる。日本の庭師というのはオーケストラの指揮者のようだ。「見ていてわくわくする」と書いています。

日本人の繊細な美的感受性に感動しているのはサンソム夫人だけではありません。日本に少し長く逗留し、滞在記を記した外国人の多くは、それを絶賛しています。

 (中略)

十年ほど前に、スタンフォード大学の教授が私の家に遊びに来ました。秋だったのですが、夕方ご飯を食べていると、網戸の向こうから虫の音が聞こえてきました。その時この教授は、「あのノイズは何だ」と言いました。スタンフォードの教授にとっては虫の音はノイズ、つまり雑音であったのです。

 (中略)

虫の音に対する日本人の感性については、ラフカディオ・ハーンも「虫の演奏家」という随筆で触れています。日本人は虫の音を音楽として聴き、そこにもののあわれさえ見いだしている。この、欧米においては稀にみる詩人だけに限られた感性を、日本ではごく普通の庶民でさえ、ごく当たり前に持っている。秋になって遠くから鈴虫の音が聞こえてくると、心を洗われ、秋の憂愁に心を静ませる。このようなことが古代から日常的に行われている。




97-102ページ「国家の品格」
著者:藤原正彦
2006年9月15日 35刷発行
発行所:株式会社新潮社




つまり、日本人と外国人の感性が違うと、あんさんは言いたいん?



うん。。。多分、日本人と外国人の感性は、かなり違うだろうという直感は本を読む前にも、わては持っていたのやァ。実際に、わてにも似たような経験があるねん。

要するに、日本人と外国人には共有し得ない感性があると、あんさんは言いたいん?

多分、日本人の多くの人は、そう思うとるんとちゃうん?西洋人は人類の幸福のために自然を征服してきたのやァ。現在の世界は、この西洋的な考え方によって自然が破壊されているねん。

日本人かてぇ自然を破壊してますやん。

そうやァ。つまり、日本人的な感性を失い、西洋人的な感性を身につけ始めたということやがなァ。かつての日本人は、自然を征服しようとは思わんかった。昔の日本人は、自然は、人間とは比べ物にならないほど偉大やと信じておったのやァ。そして自然に神聖なものを感じておった。山や川や大木や大岩は日本人にとっては神様やった。だから、自然と慣れ親しみ、調和し、自然と共に生きてきた。そのような生活の中で虫の鳴き声は、日本人にとって「ノイズ(雑音)」ではのうて心にしみわたる交響曲か田園詩だったのやァ。

日本人が日本人独自の感性を失いつつあると、あんさんは言いたいん?

いや。。。日本人のすべてが日本人の感性を失いつつあるとは思うておらへん。ただ、失っている人がたくさん居てると言うてるねん。だから日本の自然も破壊されている。日本人が日本人の感性を失っている何よりの証拠だと、わては思うておるねん。

あんさんは、そのことが言いたかったん?

いや。。。そればかりではあらへん。前に言うたように、わては「漱石とグールド」を読み返してみたのやァ。そしたら夏目漱石とグレン・グールドに共通する感性のことが書いてあったのやァ。


心の静寂

私は非人情を考察するうえで最も重要な点は、環境の中に自己をうまく適応させたときに初めて心の静寂が生まれる、という事実を知ることにあると考えている。感覚脳と運動脳
とが統制されて環境の中に自己をうまく適応させた時心の静寂が生まれる。環境の変化の対象はほかのひとではなく、できれば草木のような自然の外界がよい。もちろん芸術性の刺激でもよい。

(中略)

グールドにとっても、漱石にとっても、心の静寂が重大な関心事であったことは次に記すことだけでなく多くの資料から明らかである。グールドはブルーノ・モンサンジョンとの対話と詩人の演奏のビデオ映像の中でバッハのフーガについて、姿勢を崩して陶酔するように語り、あきらめ・静寂の感覚を賛美し、色のない灰色の世界を好ましいイメージと述べている。漱石の発明したもっとも有名な用語、則天去私を自己を自然に委ねて心の静寂を得ることとする解釈がある。グールドも漱石も心の静寂を得るために、刺激対象としての他人が厄介であった。

(中略)

非人情は、感情・思考を正直に機能させる(すなわち心の静寂を得る)ための方法であり、漱石の芸術家としての主張で、人生観でもあったのであると考えられる。




192-194ページ「漱石とグールド」
著者:河村満 編者:横田庄一郎
1999年9月5日第一刷発行
発行所:株式会社朔北社




つまり、環境の中に自己をうまく適応させたときに生まれる“心の静寂”が漱石とグールドの共通の感性だと、あんさんは言わはるの?



そうやァ!感性そのものではないとしても、二人の感性を生み出す源泉だと、わては思うでぇ。。。

日本人であろうと西洋人であろうと洋の東西を問わずに“心の静寂”を持つことができると、あんさんは言いたいん?

その通りやァ!生まれ育った時代も国も違う漱石とグールドが身をもって“心の静寂”を持つことができるということを示してるねん。つまり、自然と協調して生きるという感性を西洋人も持てると言うことやァ。

だったら、自然環境を破壊している西洋人のために、この記事を英語で書いて英語のサイトに投稿すればええやん!

もちろん、そうするつもりやでぇ~。。。でもなァ、その前に日本人でありながら日本人の感性を忘れつつある人に、もう一度茨木のり子さんの詩を読んで欲しいと思うねん。

茨木のり子さんのどの詩。。。?

もちろん、次の箇所やァ!



自分の感性くらい

自分で守れ

ばかものよ



【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
確かに日本人の中には自然の大切さんを忘れて自然破壊・環境破壊に走っている人を見かけますよね。
田舎に行ってみてください。
他や畑が荒れ果てて放置されているのをよく見かけます。
もちろん、その責任はお百姓さんばかりにあるわけではありません。
政府が何もかもアメリカのやる事を見習って自由化し農家の人たちに犠牲を強いているのですわ。
だから農業の後継者がいなくなるのです。
要するに日本の政治家が「日本人の感性」を忘れてしまっているように見えますわ。
そのために日本の自然が荒れ果てているのだと思います。
あなたは、どう思いますか?

とにかく、次回も面白い話題が続きます。
あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてくださいね。
では。。。




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こんにちは。ジューンです。

西洋文明こそ普遍であり

人類の文化の最も進歩した文明だと

考える人が多いようです。

でも人類の幸福を目指すという大義名分のために

自然は破壊されてきました。

昔の日本人は自然と強調し共存してきました。

そのため東洋文明も最近見直されているようです。

それで東西文明の融合論もしばしば

語られるようになりました。

ロンドンに滞在した夏目漱石は

西洋文明一辺倒の日本人留学生とは違い

全面的な西洋文明賛美者とはなりませんでした。

グレン・グールドは漱石の『草枕』を読んで

日本や中国の文化に憧れを持つようになりましたが

やはり東洋文明の虜にはなりませんでした。

漱石とグールドにとって東西の文明は

重なり合うと言うよりも対話をしていたようです。

あなたも、もう一度東西文明の良い所を

じっくりと考えてみたらいかがでしょうか?

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

もし、時間があったら覗いてくださいね。



『あなたが笑って幸せになるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。




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