脳の自由(PART 1)
目からウロコ
人気脳科学者のサイエンス・エッセイ
惑(まど)うほど脳は若くなる
茂木健一郎
特定の目的に集中する必要がなく、あれこれと惑っている時に脳の中の「ディフォルト・ネットワーク」と呼ばれる回路が活性化することが分かってきたのである。
何かの仕事や作業に集中している時には、ディフォルト・ネットワークの活動はむしろ低下してしまう。
特定の目的から開放されて、脳が「自由」になった時に、ディフォルト・ネットワークが活動し始めるのである。
ディフォルト・ネットワークの機能は、まだ分かっていない。
一つの仮説として、自分の無意識の中にあるものをあれこれと探りながら、意識の中に引き出してくる働きがあると考えられる。
仕事に集中している時には、それと関係のないことに関わっている余裕がない。
脳が「暇」になって初めて、あれこれと無意識を探る余地が出てくるのである。
ディフォルト・ネットワークは、創造性と関連していると考えられる。
創造性とは、一見関係ないものを引き出し、結びつけるプロセスである。
あまりにも目の前の仕事に忙殺されていると、
脈絡のないものを結ぶ余裕がなくなってしまう。
最近の研究によると、ディフォルト・ネットワークの活動は、脳の若さと関係しているらしいことが分かってきた。
脳が若々しいほど、ディフォルト・ネットワークも活性化する。
年を重ねるにつれて、ディフォルト・ネットワークの活動は低下していってしまうのである。
脳を若く保つためには、ディフォルト・ネットワークを活性化する必要がある。
特定の仕事にだけ目を奪われることなく、あれこれと惑わなければならないのである。
大人になると、次第に仕事や生活に忙しくなって、惑うことが少なくなり、いつも目先の課題にとらわれて、白紙に戻って考えるということがなくなってしまう。
そうなると、ディフォルト・ネットワークの活動も低下し、結果として脳が老化する。
そんなことをしても無駄だなどと思わないで、大いに惑うのが良い。
一体自分は何者なのか、将来どうなってしまうのか、甘美な不安こそが、脳の若さを育む。
あれこれと迷うからこそ、新しい発見がある。
隠された自分と出会うことができる。
時には中学生の気分に戻って、ディフォルト・ネットワークを活性化させてみてはどうだろう。
56ページ 『週間ポスト』
2009年10月16日号
『人気のある脳の話』に掲載
(2009年11月24日)
デンマンさん。。。あんさんは茂木さんのエッセーを持ち出してきて、また茂木さんを非難しやはるのォ~?
いや。。。わては茂木さんを非難するつもりは無いねん。
マジで。。。?
わてが茂木さんを批判せ~へんかてぇ、すでに茂木さんは充分に世間の非難を受けてるねん。
その証拠でもあるの?
もちろんやァ。 NHKに 800件もの抗議が寄せられたのやがなァ。
茂木さん司会プロフェッショナル終了へ
2009年12月9日11時54分
脳科学者の茂木健一郎さん(47)が司会を務めるNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」が来年3月で終了する見通しであることが9日、分かった。
NHKは「最終決定はまだだが、新年度の番組改編の中で検討している」としている。
茂木さんは11月、印税や講演料など約4億円の所得の申告漏れを指摘されたことが判明し、番組ホームページで謝罪。NHKはその後も起用を続けてきたが、これまでに視聴者から約800件の意見が寄せられ、大半が続投に対する抗議や疑問だったという。
SOURCE: nikkansports.com
去年の師走の記事やねん。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、もうテレビで見られへんの?
いや。。。また再開したのや。。。ただし、茂木さんは、もう出てきよらん。
なんでぇ。。。?
茂木さんは番組ホームページで謝罪して、それで済んだと思うたのやろなァ。NHKはその後も起用を続けたのやァ。でもなァ、視聴者は不満やったのやがなァ。約800件の意見が寄せられた。大半が続投に対する抗議や疑問を投げかけたのやがなァ。
それで茂木さんは司会を降りる事になりはったん?
800件も抗議があったら、そうせざるを得ないやろなァ。
デンマンさん。。。あんさんもNHKに対して抗議しやはったん?
いや、わてはNHKに抗議しやへんかったでぇ~。。。でもなァ、卑弥子さんが茂木さんとプロデューサーにたいして次の記事の中で批判しよったわァ。
■『専門馬鹿にならないように』
(2009年12月22日)
。。。で、茂木さんのエッセーを持ち出してきて、あんさんは何が言いたいん?
あのなァ~、茂木さんは次のように言うてるねん。
特定の目的に集中する必要がなく、
あれこれと惑っている時に
「ディフォルト・ネットワーク」
と呼ばれる回路が
活性化することが分かってきたのである。
あんさんは、上の事実に何か不満でもあるの?
いや。。。不満と言うほどではないのやけれど、何も「ディフォルト・ネットワーク」と呼ばれる回路など持ち出さんでも、至極簡単に分かる事だと、わては思うねん。
たとえば、どのように。。。?
あのなァ~、誰かて経験済みだと思うでぇ~。
具体的に、あんさんはどないな体験をしやはったん?
わてのパソコンが不具合を起こして使えなくなった時、わては図書館の無料のパソコンを使うか、ネットカフェでお金を払ってネットを使うか。。。いづれにしても時間的な制約を受けることになったのやァ。そういう時って脳が余裕を持って機能しないねん。
そうですやろか?
あのなァ~、人間というのは時間を制限されると、もろに脳の働きが鈍くなると思うのやァ。 “脳の自由”とは、時間的な制約が無くて、オツムが自由にあれやこれやと考える事ができる状態のことやと、わては思うねん。
そうですやろか?
時間の制約があると、めれちゃんのオツムは、特定の目的に集中しなければならへんのやァ。 つまり、あれやこれやと迷うているわけにはゆかへん。 そやから、茂木さんの言葉を借りれば、「ディフォルト・ネットワーク」と呼ばれる回路が活性化できへん。 めれちゃんにも、この理屈が分かるやろう?
それで、あんさんは具体的な体験をしやはったん?
そうなのやァ。。。ライブドア・ブログのわての記事のリストを見て欲しいねん。
緑の枠で囲まれた記事は、わてのパソコンの調子が良くて、全く時間の制約が無いときに書かれたものやァ。 つまり、時間に追われて集中的に記事を書く必要がなかった。 あれや、これや、ああでもない、こうでもないと考えながら徒然に記事を書いたのやァ。要するに、「ディフォルト・ネットワーク」と呼ばれる回路が活性化している状態で記事を書いたということやァ。
桃色の枠で囲んだ記事はどうやのォ~?
この時には、わてのパソコンが調子が悪かったのやァ。何度再起動してもハードエラーが出てパソコンが動かんかった。 そやから、バンクーバーの市立図書館へ行って2時間無料で使えるパソコンで記事を書いて投稿したのや。 2時間という時間制限があるのやがなァ。 そやから、「ディフォルト・ネットワーク」と呼ばれる回路が活性化せ~へんかったのやァ。
つまり、記事を読めば、あんさんの「ディフォルト・ネットワーク」が活性化しているかどうか?それが分かるのォ~?
そうやァ。 たとえば、次の記事を読めばよう分かるねん。
■『シュレーディンガーの猫』
(2010年11月20日)
何が分かるの?
あのなァ~、時間に制限があって夢中で仕事に集中している時には、それと関係のないことに関わっている余裕がない。要するに脳が「忙しい」から、あれこれと無意識を探る余地が出てこないねん。
時間に制限がないと、脳が「暇」になるさかいに、あれこれと無意識を探る余地が出てきやはるのォ~?
そうなのやァ、それで、わてはあれこれと無意識を探る余地が出てきて、「ハードディスクの運用の不確定性原理」というような事が思い浮かんできてぇ、さらに次のようなイラストを描くこともできたのやァ。
「ハードディスク運用の不確定性原理」
なるほどォ~。。。あんさんの言おうとしていることが、わたしにも幾らか分かりかけてきましたわァ。
さよかァ~?
でも、ちょっと分からない事がありますねん。。。わたしは次の記事を読みましてん。
■『感性の話(2010年11月15日)』
この記事は桃色の枠で囲まれてますねん。つまり、あんさんがバンクーバー市立図書館で書いたという事ですやん。
そうやァ。。。それが、どうかしたんかァ?
図書館では2時間の時間制限がありますのやろう?
そうやァ。
そやけど、上の記事は2時間では、よう書けんと思うわァ~。
もちろん、2時間では無理やでぇ。
。。。で、どうしなはったん?
あのなァ~、2時間というのはパソコンに向かっている間の時間やがなァ。 それ以外のときには、せっかく図書館に居るのやから、わては日本語の本を探して読んだのやがなァ。
秋の憂愁に心を静ませる
イギリスの庭師の場合、例えば「楓を庭のあそこに植えてくれ」と注文すると、言われたところに穴ぼこを掘って、楓をポンと植えて、お金をもらって帰ってしまう。
ところが日本の庭師の場合、まず家主の言うことを聞かないと言う。あそこに植えた方が良い、などと逆に提案してくる。そして一本の木をあらゆる角度から眺め、庭師自身もあっちこっちに立ち位置を変え、目を丸くしたり目を細めたりして、散々に見た後、最も美しく、最も調和の取れた所に、弟子たちに身振り手振りで指示を与えて植えさせる。日本の庭師というのはオーケストラの指揮者のようだ。「見ていてわくわくする」と書いています。
日本人の繊細な美的感受性に感動しているのはサンソム夫人だけではありません。日本に少し長く逗留し、滞在記を記した外国人の多くは、それを絶賛しています。
(中略)
十年ほど前に、スタンフォード大学の教授が私の家に遊びに来ました。秋だったのですが、夕方ご飯を食べていると、網戸の向こうから虫の音が聞こえてきました。その時この教授は、「あのノイズは何だ」と言いました。スタンフォードの教授にとっては虫の音はノイズ、つまり雑音であったのです。
(中略)
虫の音に対する日本人の感性については、ラフカディオ・ハーンも「虫の演奏家」という随筆で触れています。日本人は虫の音を音楽として聴き、そこにもののあわれさえ見いだしている。この、欧米においては稀にみる詩人だけに限られた感性を、日本ではごく普通の庶民でさえ、ごく当たり前に持っている。秋になって遠くから鈴虫の音が聞こえてくると、心を洗われ、秋の憂愁に心を静ませる。このようなことが古代から日常的に行われている。
97-102ページ「国家の品格」
著者:藤原正彦
2006年9月15日 35刷発行
発行所:株式会社新潮社
デンマン注: 写真はデンマンが貼り付けました。
実は、この本を図書館で読んだことから『感性の話』という記事を書こうと思ったのやァ。 つまり、制限時間が無い自由なときに本棚から本をとってパラパラとめくっていたら、上の箇所に目が留まったのやないかいなァ。
それがきっかけで『感性の話』を書いたん?
そうやァ。
。。。で、日本に帰省している時にはどないやったん?
あのなあァ~、ずいぶんと忙しかったのやァ~。。。記事を書くばかりではのうてぇ、他にもいろいろとする事があったさかいに、メチャせわしかったでぇ~。
そやから、あんさんは東大阪に居るわたしに逢いにこれへんかったん?
そうなのやァ~。。。めれちゃんにも、わては、ごっつう逢いたかったでぇ~。。。
ホンマかいなァ~?
めれちゃんは忘れてしもうたのやなァ?!
忘れてしもうたてぇ、何を。。。?
めれちゃに逢いたいという、わての強烈で、熱烈な思いを長歌に詠(よ)んだのではないかいなァ。。。忘れてしもうたようやから、ここに書き出すわなァ。 そやから、めれちゃんも、じっくりと読みやァ~。。。
(すぐしたのページへ続く)