天下太平の切腹(PART 2 OF 4)
『必死剣鳥刺し』
死ぬことさえ、許されない。
ならば、運命を斬り開くまで。
あの日、あの時、何かが狂い始めた──。
仁義と愛慕。
武士道と政道。
組織と個人、そして男と女。
生きるほどに生じる運命の不条理を、江戸の世を舞台に静謐な筆で描き切る藤沢周平“隠し剣”シリーズ。
中でも
現代に通じる傑作と名高い「必死剣鳥刺し」が、名匠・平山秀幸の手により、
人間普遍の物語として甦る。
剣豪ゆえに陥る宿命に対し、最後は己を爆発させる主人公の姿は
「人生のままならなさ」、「人はいかに命を全うするか」という永遠の問いを観る者の胸に刻みこむ。
そして文字通り激烈なクライマックスは、邦画史における新たな神話となるであろう。
悲運の剣の達人・兼見三左エ門に今スクリーンで最も輝く男、豊川悦司。三左エ門の姪でありながら、密かに想いを寄せるヒロイン・里尾に池脇千鶴。
情緒纏綿たる世界がここに見事に誕生した。
【あらすじ】
時は江戸。
東北は海坂藩の近習頭取・兼見三佐ェ門(豊川悦司)には、消そうにも消せない過去があった。
物頭をつとめていた三年前、藩主・右京太夫(村上淳)の愛妾・連子(関めぐみ)を城中で刺し殺したのだった。
最愛の妻・睦江(戸田菜穂)を病で喪った三左ェ門にとって、失政の元凶である連子刺殺は死に場所を求めた武士の意地でもあった。
しかし、意外にも寛大な処分が下され、一年の閉門後、再び藩主の傍に仕えることになる。
腑に落ちない想いを抱きつつも、身の周りの世話をする亡妻の姪・里尾(池脇千鶴)との日々の中で三左ェ門は再び生きる力を取り戻してゆく。
そんなある日、中老・津田民部(岸部一徳)から思わぬ話を持ちかけられる三左ェ門。
それは、彼を天心独名流の剣豪だと知っての相談であり、「鳥刺し」という必勝の技(わざ)を「お上のために役立てろ」という秘命でもあった。
その者の名は直心流の達人であり、藩主家と対立しているご別家の帯屋隼人正(吉川晃司)だった。
そして待ち受ける隼人正との決着の日。三左ェ門は、想像を絶する過酷な運命に翻弄されていく。
SOURCE:
http://cinema-magazine.com/f/2075/i
デンマン注: 写真はデンマンが貼り付けました。
赤字は強調のためにデンマンが施(ほどこ)しました。
僕が赤字で強調した部分が、まさに映画『切腹』と共通するところなのですよう。
つまり、生きるほどに生じる運命の不条理を、江戸の世を舞台に描いているのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
。。。んで、現代に通じる人間普遍の物語なのですか?
その通りですよう。
ただそれだけでござ~♪~ますか?
卑弥子さんは、なんだかつまらなそうに言いますねぇ~。。。
だってぇ、それだけでは、あたくしの胸に訴えてくるものがござ~♪~ませんわ。
分かりました。。。だったら、卑弥子さんの胸にぐっとこみ上げてくるものがあるように、ちょっぴり詳しく話しますよう。
では、あたくしの胸に熱いものがこみ上げてくるようにお話しくださいませぇ。
あのねぇ、『切腹』という映画では、何よりも不条理に観る者が憤(いきどお)りを感じるのですよ。
その不条理とは、どのようなものでござ~♪~ますか?。。。?
寛永7年というのは西暦では1630年なんですよう。 天下分け目の関が原の戦いが1600年。 つまり、寛永7年は戦後30年目です。 このときの将軍は3代目の徳川家光でした。 関が原の合戦を太平洋戦争とすれば、戦後30年は昭和50(1975)年ですよう。 戦争は、もう遠い昔という風潮で、日本は当時、経済大国を目指してまっしぐらだった。
つまり、寛永7年の江戸は平和そのものだったとデンマンさんはおっしゃるのですか?
その通りですよ。 1975年の日本を思い浮かべてください。 この年にベトナム戦争が終わった。 日本では8月2日に 『男はつらいよ・寅次郎相合い傘』が封切られた。
僕も見ましたよう。 函館で寅さんが、浅丘ルリ子さんが演じる旅回りのキャバレー歌手リリーと再会するのですよ。でも、小樽でケンカ別れ。 話の筋はいつもの調子で、最後は、リリーさんとの仲はまとまらず、寅さんはまた旅にでるのですよう。
要するに、寛永7年も、そのような太平な時代だったとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?
そうですよう。 もう街中でチャンバラする人なんて、めったに居なかった。 でもねぇ、仲代達矢さんが扮する主人公の津雲半四郎は浪人ですよう。 つまり、仕事にあぶれた無職です。 関が原の合戦で敗れた藩の武士は浪人にならなければならなかったわけで、津雲半四郎も、そのような浪人の一人だった。
仕事に就けばよいではござ~♪~ませんか!?
あのねぇ~、当時の江戸幕府は日本全国に鎖国令を布(し)いていたから、仕事を増やして製品を作って海外に輸出するというわけには行かなかった。1975年当時の日本のように経済大国を目指す事は不可能だった。 しかも、武士だから表向き町人のような仕事をするわけにもゆかない。
要するに、浪人者は現在のホームレスのような存在だったのでござ~♪~ますか?
早い話が、そのような境遇だったのですよ。 でもねぇ、津雲半四郎は借家に娘夫婦と孫と4人で暮らしていた。娘・美保の婿が千々岩求女(ちぢいわ・もとめ)という若者です。主君に殉死した半四郎の親友の忘れ形見だった。
つまり、美保さんと求女(もとめ)さんは幼馴染(おさななじみ)だったのでござ~♪~ますわね?
そうなのですよう。 こうして幸せな時期もあったのですよう。 岩下志麻さんが美保に扮しているのです。
デンマンさんは岩下志麻さんのファンなのですか?
いや。。。熱烈なファンではないけれど、なかなか見応えのある演技をする人だと思いつつ感心して見ていましたよう。
それで、美保さんと求女(もとめ)さんは苦労するのでござ~♪~ますか?
求女(もとめ)さんは寺子屋の先生をしながら、半四郎さんは美保さんと一緒に傘張りの内職をしながら生活費を稼いでいたのだけれど、充分とは言えなかった。 そんな時に、美保さんは肺結核にかかってしまう。孫も高熱を出して寝込んでしまった。 箪笥(タンス)貯金も、すぐに底をついてしまう。 もう薬を買うお金もなくなってしまった。
それで、どうしたのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~、当時、浪人して喰い詰めていた侍が結構居たようです。 それで、もう生きるのが嫌になってしまった。 思い余って「この藩に仕官できないのなら、切腹のためにお庭を拝借したい」と言って大名の上屋敷へ訪ねてゆくのですよう。
上屋敷の人たちは迷惑するでしょう?
そうですよう。。。だから、少しばかりのお金を浪人に包んで渡して引き取ってもらうのですよう。
要するに、窮迫した浪人者が切腹すると称して、なにがしかのお金を“たかり”に行くのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。 そういう事が浪人の間で流行したらしい。
それで、求女(もとめ)さんも思い余って「切腹のためにお庭を拝借したい」と言って大名の上屋敷へ訪ねて行ったのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。。。自分の刀まで売って薬代にしたほどだから、もう他に売るものがなくなってしまった。 それで思い余って求女(もとめ)さんも寛永七年の春、井伊家の上屋敷に訪ねて行った。
それで、お金をもらえたのですか?
ところが、井伊家の上屋敷では、そんな風にしてお金をたかりに来る浪人が多すぎて手を焼いていたのですよう。
それで。。。?
家老・斎藤勘解由(かげゆ)さんは、このような事が今後無いようにと、この際、見せしめにしてやろうと思い立ったのです。
あらっ。。。それでは求女(もとめ)さんは、マジで切腹しなければならないような状況に追い込まれてしまったのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。 あれよあれよと思っている内に切腹の場が求女(もとめ)さんの目の前にしつらえられた。 見せしめにしようと思っているくらいだから、家老・斎藤勘解由は、家臣のものがたくさん集まっている前で恥をかかせてやろうと思ったのでしょうね。
それで、求女(もとめ)さんは、どうなさったのでござ~♪~ますか?
事の成り行きから逃げ出す訳には行かなくなってしまった。
では。。。では。。。切腹するつもりになってしまったのでござ~♪~ますか?
だってぇ、仕方がないでしょう。。。もともと、求女(もとめ)さんは「切腹のためにお庭を拝借したい」と言ったのだから。。。
でも、それは。。。それは。。。薬代のお金をもらえると思ったのが事の始まりなのでしょう。。。
そうですよう。。。求女(もとめ)さんだって、家老がマジで切腹の用意をするとは思わなかったでしょうね。
それで。。。?
家老だってぇ、それを眺めている家臣だってぇ、そのような事は十分に分かっている。。。分かっていながら、見せしめのために、求女(もとめ)さんに腹を切らせようとしたのですよう。そうでもしなければ、これからもお金をせびりにやって来る浪人が後(あと)を絶たない。 だから、家老は言ったのですよう。 「お望みどおり、立派に腹を切ってくだされ」
。。。で、求女(もとめ)さんは家老の申し出に応じたのですか?
仕方ないでしょう。。。求女(もとめ)さんも武士です。 だから、事の成り行きで、覚悟を決めたのですよう。 ただ、「一両日待ってくれ」と最後の頼みを家老にぶつけた。 おそらく、何とかしてお金を集めて美保さんに渡して最後の別れをしたかったのでしょう。
家老は、何と言ったのでござ~♪~ますか?
「いや、ならぬ。我等とて、これ程までにしてこの場をしつらえたからには、今日中に切腹してもらわねば困る」 家老は頑として求女(もとめ)さんの最後の願いを拒絶したのです。
でも。。。、でも。。。求女(もとめ)さんの刀は竹光(たけみつ)でしょう?
そうですよう。 刀は売って薬代に変えてしまったから、腰に挿している刀は竹で作った飾りですよう。
そのようなものでは。。。あのォ~。。。切腹できないでしょう?
もちろんですよう。。。竹の刀で腹が切れるわけがない。
それなのに。。。、それなのに、分かっていながら家老は求女(もとめ)さんに腹を切れと。。。?
そうですよう。 とにかく誰かを見せしめにしないと、金をせびりに来る浪人が後を絶たない。 だから、何が何でも求女(もとめ)さんに腹を切らせようとしたのですよう。 お前はそれでも武士かア! 求女(もとめ)さんは、そのような罵声、嘲笑の中で竹光で腹を切らねばならなかった。
その様子を映画で見せたのでござ~♪~ますか?
少しだけ見せたけれど、もう、映画を観る人のオツムの中では、おもちゃのような竹の刀で自分の腹を切ることを考えて、もう見たくもないですよう。
。。。んで、求女(もとめ)さんは切腹する事ができたのでござ~♪~ますか?
竹の刀で腹が切れる訳がないのですよう。
でも、竹の刀を自分のお腹に突き刺したのでしょう?
そうです。。。悲惨なものですよう。。。もう痛くて痛くて、どんなに突き立てても、それだけで死ねるわけがない!
そうれで。。。それで。。。求女(もとめ)さんは、どうしたのでござ~♪~ますか?
もう、どうにも死に切れなくて、最後は舌をかみ切ったのですよう。。。あまりにも無惨な死にざまでした。
この上のお写真は、どのようなシーンなのでござ~♪~ますか?
あのねぇ、知り合いの者が求女(もとめ)さんの切腹を知らせにやってきたのですよう。 半四郎さんにとっても、妻の美保さんにとっても青天の霹靂(へきれき)ですよう。 “ん。。。切腹。。。?” 半四郎さんが、そう言うのが聞こえてくるようでしょう? 肺結核で、いわば寝たきりになっていた美保さんも、驚きのあまり起きだして来たところです。
。。。んで、半四郎さんは、どうなさったのでござ~♪~ますか?
寛永7年5月13日、半四郎さんは井伊家の上屋敷に訪て行ったのですよ。
苦情を言うためですか?
違いますよ。 「切腹のためにお庭を拝借したい」と言う用件を伝えたのです。
マジで。。。? 半四郎さんも切腹するつもりになってしまったのでござ~♪~ますか?
もちろん、言うべき事を言わねば死に切れないと思ったのでしょうね。
それで。。。?
苦々しい顔をして家老の斎藤勘解由が出てきたのですよう。 そして家老は次のように言ったのですよ。
「春先、同じ用件で来た千々岩求女なる者がおりました。
窮迫した浪人者が切腹すると称して、なにがしかの金品を得て帰る最近の流行を私は苦々しく思っていたのですよ。
それで、見せしめのつもりで切腹の場をしつらえてやりました。
すると求女は「一両日待ってくれ」と狼狽したばかりか、刀は竹光を差しているていたらくで。。。
死に切れずに舌をかみ切って無惨な最後をとげたのです。
貴殿は覚悟はできておりますか?」
それで、半四郎さんは何とお答えしたのでござ~♪~ますか?
静かに聞き終った半四郎さんは、語りだしました。
「求女とは拙者の娘・美保の婿で、主君に殉死した親友の忘れ形見でした。
孫も生れささやかながら幸せな日が続いていた矢先、美保が胸を病み、孫が高熱を出したのでござる。
赤貧(せきひん)洗うが如(ごと)き浪人生活で薬を買う金もなく、思い余った求女が先ほどの行動となったのでござるよ。
そんな求女に、せめて待たねばならぬ理由ぐらい聞いてやるいたわりはなかったのか!?
武士の面目などとは表面だけを飾るもの……。ご家老も、そのようには思われぬのか?」
半四郎さんは、そのように厳しく詰め寄ったのですよう。
。。。んで、ご家老は何と。。。?
「井伊家の家中には浪人しても武士の魂である刀を売るような者はおらぬ。
貴殿の気持ちは分からぬではないが、私は井伊家の家風にしたがって対応したまでのこと。。。
では、さっそく、貴殿にも切腹していただこうか。。。」
あらっ。。。ご家老は半四郎さんにも切腹するようにと言い渡したのでござ~♪~ますか?
(すぐしたのページへ続く)