話のメグスリ
今日は火曜日。お昼に大阪弁天町のベイタワーへ。その4階にラジオ大阪という大阪のラジオ放送局がある。そこで、ラジオ収録。目の見えない私、網膜色素変性症な私、盲人ウエカジ。6年前にもラジオ出演。はなしのめぐすり、ミュージックソンという視覚障害者のじょうほうばんぐみ。
来週、2024年4月23日火曜日、夜8時からの放送。その収録。ラジオ大阪の任期アナウンサー、ハラダさん、それと目の見えない高齢女性の2人がパーソナリティー。そこにゲストとして出演する私、盲人ウエカジ。
ハラダさんに、トイレからスタジオまで手引きしてもらったりと、とても親切にしてもらった。ただ、いつも思う。羅時やテレビに収録に参加していつもおもう。収録語、なんかモヤモヤ。それは、自分が言いたかったことの3割もはなせないということ。うーん、むずかしいね。やっぱり、私は盲人ウエカジチャンネルYOUTUBEがあっているね。いくらでも、おしゃべりできる盲人ウエカジチャンネル、。いつか、ラジオ大阪のはなしのめぐすりよりも、人気あ番組になりたいね。盲人ウエカジチャンネル。
以下が、私が、事前に用意していた、ラジオ番組台本です。これを読んでから、ラジオ番組をきいてね。あるいは、聞いてから読んでね。よんでから聞くか、聞くから読むか。それはあなたの自由です!!
@ここから ウエカジ作成 ラジオ台本
2024年4月23日火曜日 ラジオ大阪 20時放送 23分番組 話のメグスリ ミュージックソン
アナウンサー
豊中からお越しいただきました上鍛治公博(うえかじきみひろ)さん
ウエカジ
見える世界がすべてじゃないさ、見えないものを探しに行こう。網膜色素変性症、中途視覚障害者、全盲、49歳、ひとり暮らし独身のウエカジです。
アナウンサー
まず、上鍛治さんは 現在49才。視覚障害者でいらっしゃいます。目の状態について教えていただけますか?
ウエカジ
網膜の細胞が徐々に機能低下していき、次第に、視野が狭まり、視力が低下する目の病気、網膜色素変性症のため、全盲になりました。
アナウンサー
いつ頃から目が見えなくなったのでしょう?
ウエカジ
10年ほど前から、全盲になりました。自分の目がおかしいなと気づいたのは、小学校に上がる前だったと思います。ひとりで、近所のおばあちゃんのところに行き、夕方になって、ひとりで家に帰ろうとしたら、とても怖くて帰れませんでした。他の人の目では、まだ明るい夕方だったようですが、私にとっては、夜のように感じました。今、思うと、これが網膜色素変性症の初期症状、夜盲だったんだなと思います。
中学生になると、夜盲のほかに、視野狭窄も現れてきました。天井高くに舞い上がったバドミントンの羽根を見失うようになり、たまたま行った、眼科で、網膜色素変性症の疑いがあると診断を受けました。そして、自分の目が、いつか見えなくなるかもしれないということを知りました。
目が見えなくてもできる仕事はないかということで、当時、全盲の弁護士がテレビで取り上げられていたので、よし、私も、弁護士を目指そう。それで、大阪大学法学部に進学しました。
アナウンサー
弁護士になるための試験、司法試験を受験したんですか?
ウエカジ
はい。受験しました。
アナウンサー
結果はどうでしたか?
ウエカジ
7回受験しましたが、司法試験には合格しませんでした。
アナウンサー
それは、網膜色素変性症という目の病気のため、試験問題を読めないとか、そういった事情があったのですか?
ウエカジ
網膜色素変性症の症状は進行して、より、視野狭窄は進みましたが、当時はまだ視力が0.8ぐらいあったので、問題文はしっかり読めて、試験時間を1.5倍にしてもらえたこともあり、特に、目の症状が原因で試験に不合格となったのではないです。
ただ、司法試験の勉強は、とても、単調で、孤独な勉強をしないといけないので、なんで、将来目が見えなくなるのに、こんな、つらい勉強をしなくちゃいけないんだと、自暴自棄になり、将来に絶望し、ほとんど、勉強に身が入りませんでした。勉強不足が、不合格の原因だったと思います。
宮本佳林さんの曲の歌詞に、答えは、いつだって、未来にしかないという歌詞がありますが、絶望していたそのころの私は、必死で、答えを見出そうとして、結局、答えを見出すことはできませんでした。絶望に打ち勝つための方法をみつけることはできませんでした。答えは、今にはなくて、未来にしかないのに、その答えが見つからない見つからないと、私は今に絶望していたんです。
アナウンサー
お仕事もされていたそうですね?
ウエカジ
司法試験は受かりそうになかったので、30歳になって、市役所の採用試験、身体障害者採用枠の試験を受けて、豊中市役所に採用されました。そこから約20年ほど豊中市役所で働きました。
アナウンサー
視覚障害者の方が仕事をすることは、やはり大変なことですか?
ウエカジ
市役所で働きはじめたころは、まだ視力が0.8ほどあり、文書を読むことも出来ていましたが。35歳ぐらいから、拡大読書機を使って、白黒反転表示させないと、紙の文書が読めなくなりました。
それから数年後には、文字も読めなくなったので、音声パソコンを使って仕事をしていました。
当時は、まだ、拡大読書機や、音声パソコンソフトを、職場が購入してくれるということはなかったので、自分で持ち込んで仕事をしていました。
アナウンサー
自分で持ち込むのは金銭的な負担も大きいですね。
ウエカジ
そうですね。ただ2016年ごろから、障害者差別解消法が施行されたこともあり、豊中市役所でも、音声パソコンソフトを職場が購入してくれるようになりました。
アナウンサー
それはよかったですね。でも、そんな合理的配慮の行き届いた、職場を、退職されたとのこと。それはなぜですか?
ウエカジ
ずっと、定年まで勤めようと思っていたのですが、上司とソリが合わず。人事異動で、職場が変わり。変わった職場では、私には何の仕事も与えられませんでした。業務分担票には、私の名前がなかったんです。
仕事は与えてもらっていないのに、毎日、どんなことをやったか、報告しろと言われて、それが1年続いて、よし、辞めようと決意しました。
アナウンサー
それは大変でしたね。
ウエカジ
こういった、仕事を与えないということは、視覚障害者で事務職をやっている人の多くは、経験していることだと思います。仕事はないけれども給料はもらえるので、いいじゃないかと思われる人もいるかもしれませんが。そんな自分は、自分ではないんです。自分自身が、自分を騙すこと、裏切ることになると思ったんです。
当時、宮本佳林さんの曲、自分ファーストを何度も聴いて、よし、市役所を辞めようと決意しました。
アナウンサー
今度、上鍛治さんがヘルパー事業所を立ち上げられたということを聞いたのですが、これについて教えていただけますか?
ウエカジ
仕事を辞めて、毎日が日曜日になったので、何かはじめたいな、はじめるのなら、日本ではじめてのことをしたいなと思って、視覚障害者の視覚障害者による視覚障害者のためのヘルパー事業所を立ち上げました。
アナウンサー
ヘルパー事業所ということは、介護職員の方がいらっしゃる所ですよね?
ウエカジ
そうです。ヘルパーを、障害者の自宅に派遣して、家事を援助したり、外出支援をしたりする事業所です。
アナウンサー
なぜ、そういったお仕事をしようと思われたのですか?
ウエカジ
ヘルパー事業所を立ち上げようと思ったのは、大きく2つの理由があります。
1つ目は、ヘルパー事業所が減っているからです、豊中市では、一番多い時期に、110事業所あった、同行援護事業所が、現在では75に減っています。3割も事業所が減っています。
2つ目の理由は、同行援護の支給時間を増やすためです。豊中市では、月に50時間しか同行援護の時間が支給されません。これは少ないと、私は、8年ほど前から、豊中市に対して裁判を起こし改善を求め続けています。でも、なかなか、豊中市は、同行援護の支給時間を増やしません。なので、同行援護の時間を増やすために、自らヘルパー事業所を立ち上げました。
アナウンサー
1つ目の理由はわかるのですが、2つ目の理由。同行援護の時間、つまり、視覚障害者の外出をサポートする、ガイドヘルパーの利用時間を増やすためとはどういうことですか?
ウエカジ
ひとりの視覚障害者に対して、国は、ひと月あたり、14万円ほどの補助金を、自治体に出しています。この14万円のうち、約半分は、実際に、視覚障害者を手引きしたガイドヘルパーの報酬となり、約半分が、ヘルパー事業所の経費、利益になります。
話を単純化すると、もし、ヘルパー事業所の経費や、利益が必要なかったら、視覚障害者は倍の時間、同行援護を利用できることになります。
こういった制度、ヘルパー事業所を介さずに、障害者が、直接、ヘルパーを雇用する制度は、パーソナルアシスタント制度と言い、福祉国家の北欧諸国では、すでに実施されています。日本で、こういったパーソナルアシスタント制度を実質的に実現するには、障害者自らが、ヘルパー事業所を立ち上げる必要があると、私は思っています。
アナウンサー
ヘルパー事業所設立のためには、許可が必要になって来るかと思いますが、手続きなど大変ではなかったですか?
ウエカジ
日本で、ヘルパー事業所を立ち上げるためには、3つの条件をクリアしなければいけません。1つ目は、法人を設立すること、2つ目は、事務所を用意すること、3つ目は、ヘルパーを確保すること。この3つの条件をクリアしないと、役所からの事業所指定許可はおりません
アナウンサー
とても大変だと思いますが、ひとりで、その3つの条件をクリアしたのですか?
ウエカジ
なんとか、全盲の私でも、すべての条件をクリアできました。スマホを使って、ネットで法人設立申請も出来ましたし、事務所探しも、豊中市の重度障害者等就労支援特別事業という制度を使って、ガイドヘルパーさんを派遣してもらい、そのガイドヘルパーさんと一緒に、事務所を探し、賃貸契約締結も出来ました。
アナウンサー
その、重度障害者等就労支援特別事業とはなんですか?
ウエカジ
視覚障害者の外出支援、情報支援は、障害福祉サービスとしては、同行援護サービスがありますが、この同行援護サービスは、経済的活動には利用出来ません。営業活動や、通勤などに利用出来ません。でも、新しく出来た、就労支援特別事業では、経済的活動でも、ガイドヘルパーさんを派遣してもらえるんです。この制度を利用して、ガイドヘルパーさんの手助けを受けながら、申請書類の作成などをやることができました。
アナウンサー
そういった、制度があるんですね。そういった制度があるということを知らない視覚障害者も多そうですね。そして、3つ目の条件、ヘルパーさんを確保することはどうやってクリアしたのですか。
ウエカジ
ヘルパーを確保するだけではなく、そのヘルパーのうちのひとりは、サービス提供責任者という資格をもっていないといけません。このヘルパーさんを見つけるのが大変でした。それならば、毎日が日曜日の、私が、サービス提供責任者をやればいいやということで、その資格に必要な研修、介護福祉士実務者研修を受講しました。全盲の人が、その研修を受講した実例がないということで、当初、専門学校は、受講してもいいけど研修の修了証は渡せないとのことでした。でも、それはおかしい、今は、目が見えない人でも医学部を卒業し、医者にもなれる世の中なのだから、目が見えないと言って、介護福祉士実務者研修を修了できないのはおかしいと、その専門学校と話し合いを持ったり、東京都庁までいって、交渉をして、なんとか受講を認めてもらい、修了証をもらうことができました。
アナウンサー
わざわざ東京都庁までいったのはなぜですか?
ウエカジ
その専門学校に許認可を出していたのが、東京都だったので、東京都庁にひとりでいって、交渉をして来ました。
アナウンサー
ヘルパー事業所の場所は決まっているのですか? 名前は?
ウエカジ
豊中市で開設します。6月から本格稼働の予定です。名前は、ウエカジハローセンターという名前です。ハローとは、宮本佳林さんや、モーニング娘。が所属する、ハロープロジェクトのハローから取りました。
アナウンサー
でも、ヘルパー事業所というのは、様々な障害がある方々への訪問介護を行うというイメージがありますが、視覚障害者のためのというのは?
ウエカジ
私のヘルパー事業所は規模を拡大したり、視覚障害者の利用者をどんどん獲得していくことを目的とはしていません。ウエカジが出来るんだったら、俺も、私もと、視覚障害者が、どんどん、ヘルパー事業所を設立したらいいと思っています。そういった意味で、視覚障害者のための、視覚障害者が、自分もやってみようと思える、ヘルパー事業所になればいいなと思っています。
アナウンサー
「ウエカジハローセンター」。どんなヘルパー事業所にしていきたいですか?
ウエカジ
私が経営者なので、私は無報酬で働き、事業所としては、利益は上げず、その利益を、ヘルパーさんや、同行援護の時間を増やすことができるような、ヘルパー事業所にしたいですね。こういったことが本当に可能なのか、実践してみようと思っています。
アナウンサー
利用したいという方は、どうすればよいですか?
ウエカジ
私の事業所は、最小限の規模でスタートしようと思っています。利用者は3人で、ヘルパーは6人です。なので、新規の利用者を受け入れる余裕はまだないです。なので、今すぐに、お受けすることは出来ません。ごめんなさい。
アナウンサー
上鍛治さんのように、視覚に障害があっても事業を立ち上げることが出来るということを、上鍛治さんはブログやホームページ、YouTubeにX(旧Twitter)など、様々な方法で発信されていますよね?
ウエカジ
そうです。Youtubeの盲人ウエカジチャンネルで、毎週土曜夜8時にライブおはなし配信をしています。私が、網膜色素変性症と診断されたときに、私のまわりには、網膜色素変性症の人がいませんでした。もし、その当時、私のまわりに網膜色素変性症で全盲になったけど、楽しく人生を生きている人がいれば、私は、将来に絶望することはなかったと思います。
私が、今、積極的に、配信をしているのは、昔の自分に配信しているようなものです。今の若い人たち、網膜色素変性症の恐怖に慄いている人たちにたいして、私は、伝えたいです。答えは、いつだって、未来にしかないってことを、伝えたいです。将来に絶望したからといって、現在に絶望しなくてもいいよっていうことを伝えたいです。
アナウンサー
上鍛治さんのプロフィールに、特技が日本全国47都道府県白杖ひとり旅と書いてあるように、いろんな所にお出掛けもされていますね?
ウエカジ
同行援護の支給時間が月50時間しかないので、それだったら、逆に、ひとりでどこだっていってやろうということで、先日も、青森ひとり旅をしてきました。青函連絡船博物館に行ったり、ねぶたミュージアムに行って、ねぶたの体験もして来ました。ただ、やっぱり、ガイドヘルパーさんと一緒に行けば、安全に旅行が出来ますし、ひとりで行った時では得られない情報をたくさん得られます。なので、視覚障害者が旅行に行きたいなという時は、友達や、恋人に、ガイドヘルパーの資格を取ってもらって、一緒に旅行をするのが一番だと思います。そうすることが、ガイドヘルパーの数を増やすことにもつながり、より視覚障害者が同行援護を利用しやすくなると思います。
私は、去年の夏、宮本佳林さんのバスツアーがあったので、見ず知らずのファンの人にお願いして、同行援護の資格をとってもらい一緒にバスツアーに行ってもらいました。本来なら、私が、ガイドヘルパーさんのバスツアー代金、交通費など全部負担しないといけないところでしたが、ファンの人だったので、私はその方のバスツアー代金は負担せずに済みました。宮本佳林さんファンはほんとに素晴らしい人たちです。
アナウンサー
ありがとうございました。では、今日は、特別、最後に、ウエカジさんのリクエストをお聞きしたいと思います。
ウエカジ
ありがとうございます。では、宮本佳林さんのファーストアルバム、ヒトリトイロの中の一曲、自分ファーストを、お聞きください。
アイ ウィル ゴー アイ マスト ゴーです。
@ここまで
今日は火曜日。お昼に大阪弁天町のベイタワーへ。その4階にラジオ大阪という大阪のラジオ放送局がある。そこで、ラジオ収録。目の見えない私、網膜色素変性症な私、盲人ウエカジ。6年前にもラジオ出演。はなしのめぐすり、ミュージックソンという視覚障害者のじょうほうばんぐみ。
来週、2024年4月23日火曜日、夜8時からの放送。その収録。ラジオ大阪の任期アナウンサー、ハラダさん、それと目の見えない高齢女性の2人がパーソナリティー。そこにゲストとして出演する私、盲人ウエカジ。
ハラダさんに、トイレからスタジオまで手引きしてもらったりと、とても親切にしてもらった。ただ、いつも思う。羅時やテレビに収録に参加していつもおもう。収録語、なんかモヤモヤ。それは、自分が言いたかったことの3割もはなせないということ。うーん、むずかしいね。やっぱり、私は盲人ウエカジチャンネルYOUTUBEがあっているね。いくらでも、おしゃべりできる盲人ウエカジチャンネル、。いつか、ラジオ大阪のはなしのめぐすりよりも、人気あ番組になりたいね。盲人ウエカジチャンネル。
以下が、私が、事前に用意していた、ラジオ番組台本です。これを読んでから、ラジオ番組をきいてね。あるいは、聞いてから読んでね。よんでから聞くか、聞くから読むか。それはあなたの自由です!!
@ここから ウエカジ作成 ラジオ台本
2024年4月23日火曜日 ラジオ大阪 20時放送 23分番組 話のメグスリ ミュージックソン
アナウンサー
豊中からお越しいただきました上鍛治公博(うえかじきみひろ)さん
ウエカジ
見える世界がすべてじゃないさ、見えないものを探しに行こう。網膜色素変性症、中途視覚障害者、全盲、49歳、ひとり暮らし独身のウエカジです。
アナウンサー
まず、上鍛治さんは 現在49才。視覚障害者でいらっしゃいます。目の状態について教えていただけますか?
ウエカジ
網膜の細胞が徐々に機能低下していき、次第に、視野が狭まり、視力が低下する目の病気、網膜色素変性症のため、全盲になりました。
アナウンサー
いつ頃から目が見えなくなったのでしょう?
ウエカジ
10年ほど前から、全盲になりました。自分の目がおかしいなと気づいたのは、小学校に上がる前だったと思います。ひとりで、近所のおばあちゃんのところに行き、夕方になって、ひとりで家に帰ろうとしたら、とても怖くて帰れませんでした。他の人の目では、まだ明るい夕方だったようですが、私にとっては、夜のように感じました。今、思うと、これが網膜色素変性症の初期症状、夜盲だったんだなと思います。
中学生になると、夜盲のほかに、視野狭窄も現れてきました。天井高くに舞い上がったバドミントンの羽根を見失うようになり、たまたま行った、眼科で、網膜色素変性症の疑いがあると診断を受けました。そして、自分の目が、いつか見えなくなるかもしれないということを知りました。
目が見えなくてもできる仕事はないかということで、当時、全盲の弁護士がテレビで取り上げられていたので、よし、私も、弁護士を目指そう。それで、大阪大学法学部に進学しました。
アナウンサー
弁護士になるための試験、司法試験を受験したんですか?
ウエカジ
はい。受験しました。
アナウンサー
結果はどうでしたか?
ウエカジ
7回受験しましたが、司法試験には合格しませんでした。
アナウンサー
それは、網膜色素変性症という目の病気のため、試験問題を読めないとか、そういった事情があったのですか?
ウエカジ
網膜色素変性症の症状は進行して、より、視野狭窄は進みましたが、当時はまだ視力が0.8ぐらいあったので、問題文はしっかり読めて、試験時間を1.5倍にしてもらえたこともあり、特に、目の症状が原因で試験に不合格となったのではないです。
ただ、司法試験の勉強は、とても、単調で、孤独な勉強をしないといけないので、なんで、将来目が見えなくなるのに、こんな、つらい勉強をしなくちゃいけないんだと、自暴自棄になり、将来に絶望し、ほとんど、勉強に身が入りませんでした。勉強不足が、不合格の原因だったと思います。
宮本佳林さんの曲の歌詞に、答えは、いつだって、未来にしかないという歌詞がありますが、絶望していたそのころの私は、必死で、答えを見出そうとして、結局、答えを見出すことはできませんでした。絶望に打ち勝つための方法をみつけることはできませんでした。答えは、今にはなくて、未来にしかないのに、その答えが見つからない見つからないと、私は今に絶望していたんです。
アナウンサー
お仕事もされていたそうですね?
ウエカジ
司法試験は受かりそうになかったので、30歳になって、市役所の採用試験、身体障害者採用枠の試験を受けて、豊中市役所に採用されました。そこから約20年ほど豊中市役所で働きました。
アナウンサー
視覚障害者の方が仕事をすることは、やはり大変なことですか?
ウエカジ
市役所で働きはじめたころは、まだ視力が0.8ほどあり、文書を読むことも出来ていましたが。35歳ぐらいから、拡大読書機を使って、白黒反転表示させないと、紙の文書が読めなくなりました。
それから数年後には、文字も読めなくなったので、音声パソコンを使って仕事をしていました。
当時は、まだ、拡大読書機や、音声パソコンソフトを、職場が購入してくれるということはなかったので、自分で持ち込んで仕事をしていました。
アナウンサー
自分で持ち込むのは金銭的な負担も大きいですね。
ウエカジ
そうですね。ただ2016年ごろから、障害者差別解消法が施行されたこともあり、豊中市役所でも、音声パソコンソフトを職場が購入してくれるようになりました。
アナウンサー
それはよかったですね。でも、そんな合理的配慮の行き届いた、職場を、退職されたとのこと。それはなぜですか?
ウエカジ
ずっと、定年まで勤めようと思っていたのですが、上司とソリが合わず。人事異動で、職場が変わり。変わった職場では、私には何の仕事も与えられませんでした。業務分担票には、私の名前がなかったんです。
仕事は与えてもらっていないのに、毎日、どんなことをやったか、報告しろと言われて、それが1年続いて、よし、辞めようと決意しました。
アナウンサー
それは大変でしたね。
ウエカジ
こういった、仕事を与えないということは、視覚障害者で事務職をやっている人の多くは、経験していることだと思います。仕事はないけれども給料はもらえるので、いいじゃないかと思われる人もいるかもしれませんが。そんな自分は、自分ではないんです。自分自身が、自分を騙すこと、裏切ることになると思ったんです。
当時、宮本佳林さんの曲、自分ファーストを何度も聴いて、よし、市役所を辞めようと決意しました。
アナウンサー
今度、上鍛治さんがヘルパー事業所を立ち上げられたということを聞いたのですが、これについて教えていただけますか?
ウエカジ
仕事を辞めて、毎日が日曜日になったので、何かはじめたいな、はじめるのなら、日本ではじめてのことをしたいなと思って、視覚障害者の視覚障害者による視覚障害者のためのヘルパー事業所を立ち上げました。
アナウンサー
ヘルパー事業所ということは、介護職員の方がいらっしゃる所ですよね?
ウエカジ
そうです。ヘルパーを、障害者の自宅に派遣して、家事を援助したり、外出支援をしたりする事業所です。
アナウンサー
なぜ、そういったお仕事をしようと思われたのですか?
ウエカジ
ヘルパー事業所を立ち上げようと思ったのは、大きく2つの理由があります。
1つ目は、ヘルパー事業所が減っているからです、豊中市では、一番多い時期に、110事業所あった、同行援護事業所が、現在では75に減っています。3割も事業所が減っています。
2つ目の理由は、同行援護の支給時間を増やすためです。豊中市では、月に50時間しか同行援護の時間が支給されません。これは少ないと、私は、8年ほど前から、豊中市に対して裁判を起こし改善を求め続けています。でも、なかなか、豊中市は、同行援護の支給時間を増やしません。なので、同行援護の時間を増やすために、自らヘルパー事業所を立ち上げました。
アナウンサー
1つ目の理由はわかるのですが、2つ目の理由。同行援護の時間、つまり、視覚障害者の外出をサポートする、ガイドヘルパーの利用時間を増やすためとはどういうことですか?
ウエカジ
ひとりの視覚障害者に対して、国は、ひと月あたり、14万円ほどの補助金を、自治体に出しています。この14万円のうち、約半分は、実際に、視覚障害者を手引きしたガイドヘルパーの報酬となり、約半分が、ヘルパー事業所の経費、利益になります。
話を単純化すると、もし、ヘルパー事業所の経費や、利益が必要なかったら、視覚障害者は倍の時間、同行援護を利用できることになります。
こういった制度、ヘルパー事業所を介さずに、障害者が、直接、ヘルパーを雇用する制度は、パーソナルアシスタント制度と言い、福祉国家の北欧諸国では、すでに実施されています。日本で、こういったパーソナルアシスタント制度を実質的に実現するには、障害者自らが、ヘルパー事業所を立ち上げる必要があると、私は思っています。
アナウンサー
ヘルパー事業所設立のためには、許可が必要になって来るかと思いますが、手続きなど大変ではなかったですか?
ウエカジ
日本で、ヘルパー事業所を立ち上げるためには、3つの条件をクリアしなければいけません。1つ目は、法人を設立すること、2つ目は、事務所を用意すること、3つ目は、ヘルパーを確保すること。この3つの条件をクリアしないと、役所からの事業所指定許可はおりません
アナウンサー
とても大変だと思いますが、ひとりで、その3つの条件をクリアしたのですか?
ウエカジ
なんとか、全盲の私でも、すべての条件をクリアできました。スマホを使って、ネットで法人設立申請も出来ましたし、事務所探しも、豊中市の重度障害者等就労支援特別事業という制度を使って、ガイドヘルパーさんを派遣してもらい、そのガイドヘルパーさんと一緒に、事務所を探し、賃貸契約締結も出来ました。
アナウンサー
その、重度障害者等就労支援特別事業とはなんですか?
ウエカジ
視覚障害者の外出支援、情報支援は、障害福祉サービスとしては、同行援護サービスがありますが、この同行援護サービスは、経済的活動には利用出来ません。営業活動や、通勤などに利用出来ません。でも、新しく出来た、就労支援特別事業では、経済的活動でも、ガイドヘルパーさんを派遣してもらえるんです。この制度を利用して、ガイドヘルパーさんの手助けを受けながら、申請書類の作成などをやることができました。
アナウンサー
そういった、制度があるんですね。そういった制度があるということを知らない視覚障害者も多そうですね。そして、3つ目の条件、ヘルパーさんを確保することはどうやってクリアしたのですか。
ウエカジ
ヘルパーを確保するだけではなく、そのヘルパーのうちのひとりは、サービス提供責任者という資格をもっていないといけません。このヘルパーさんを見つけるのが大変でした。それならば、毎日が日曜日の、私が、サービス提供責任者をやればいいやということで、その資格に必要な研修、介護福祉士実務者研修を受講しました。全盲の人が、その研修を受講した実例がないということで、当初、専門学校は、受講してもいいけど研修の修了証は渡せないとのことでした。でも、それはおかしい、今は、目が見えない人でも医学部を卒業し、医者にもなれる世の中なのだから、目が見えないと言って、介護福祉士実務者研修を修了できないのはおかしいと、その専門学校と話し合いを持ったり、東京都庁までいって、交渉をして、なんとか受講を認めてもらい、修了証をもらうことができました。
アナウンサー
わざわざ東京都庁までいったのはなぜですか?
ウエカジ
その専門学校に許認可を出していたのが、東京都だったので、東京都庁にひとりでいって、交渉をして来ました。
アナウンサー
ヘルパー事業所の場所は決まっているのですか? 名前は?
ウエカジ
豊中市で開設します。6月から本格稼働の予定です。名前は、ウエカジハローセンターという名前です。ハローとは、宮本佳林さんや、モーニング娘。が所属する、ハロープロジェクトのハローから取りました。
アナウンサー
でも、ヘルパー事業所というのは、様々な障害がある方々への訪問介護を行うというイメージがありますが、視覚障害者のためのというのは?
ウエカジ
私のヘルパー事業所は規模を拡大したり、視覚障害者の利用者をどんどん獲得していくことを目的とはしていません。ウエカジが出来るんだったら、俺も、私もと、視覚障害者が、どんどん、ヘルパー事業所を設立したらいいと思っています。そういった意味で、視覚障害者のための、視覚障害者が、自分もやってみようと思える、ヘルパー事業所になればいいなと思っています。
アナウンサー
「ウエカジハローセンター」。どんなヘルパー事業所にしていきたいですか?
ウエカジ
私が経営者なので、私は無報酬で働き、事業所としては、利益は上げず、その利益を、ヘルパーさんや、同行援護の時間を増やすことができるような、ヘルパー事業所にしたいですね。こういったことが本当に可能なのか、実践してみようと思っています。
アナウンサー
利用したいという方は、どうすればよいですか?
ウエカジ
私の事業所は、最小限の規模でスタートしようと思っています。利用者は3人で、ヘルパーは6人です。なので、新規の利用者を受け入れる余裕はまだないです。なので、今すぐに、お受けすることは出来ません。ごめんなさい。
アナウンサー
上鍛治さんのように、視覚に障害があっても事業を立ち上げることが出来るということを、上鍛治さんはブログやホームページ、YouTubeにX(旧Twitter)など、様々な方法で発信されていますよね?
ウエカジ
そうです。Youtubeの盲人ウエカジチャンネルで、毎週土曜夜8時にライブおはなし配信をしています。私が、網膜色素変性症と診断されたときに、私のまわりには、網膜色素変性症の人がいませんでした。もし、その当時、私のまわりに網膜色素変性症で全盲になったけど、楽しく人生を生きている人がいれば、私は、将来に絶望することはなかったと思います。
私が、今、積極的に、配信をしているのは、昔の自分に配信しているようなものです。今の若い人たち、網膜色素変性症の恐怖に慄いている人たちにたいして、私は、伝えたいです。答えは、いつだって、未来にしかないってことを、伝えたいです。将来に絶望したからといって、現在に絶望しなくてもいいよっていうことを伝えたいです。
アナウンサー
上鍛治さんのプロフィールに、特技が日本全国47都道府県白杖ひとり旅と書いてあるように、いろんな所にお出掛けもされていますね?
ウエカジ
同行援護の支給時間が月50時間しかないので、それだったら、逆に、ひとりでどこだっていってやろうということで、先日も、青森ひとり旅をしてきました。青函連絡船博物館に行ったり、ねぶたミュージアムに行って、ねぶたの体験もして来ました。ただ、やっぱり、ガイドヘルパーさんと一緒に行けば、安全に旅行が出来ますし、ひとりで行った時では得られない情報をたくさん得られます。なので、視覚障害者が旅行に行きたいなという時は、友達や、恋人に、ガイドヘルパーの資格を取ってもらって、一緒に旅行をするのが一番だと思います。そうすることが、ガイドヘルパーの数を増やすことにもつながり、より視覚障害者が同行援護を利用しやすくなると思います。
私は、去年の夏、宮本佳林さんのバスツアーがあったので、見ず知らずのファンの人にお願いして、同行援護の資格をとってもらい一緒にバスツアーに行ってもらいました。本来なら、私が、ガイドヘルパーさんのバスツアー代金、交通費など全部負担しないといけないところでしたが、ファンの人だったので、私はその方のバスツアー代金は負担せずに済みました。宮本佳林さんファンはほんとに素晴らしい人たちです。
アナウンサー
ありがとうございました。では、今日は、特別、最後に、ウエカジさんのリクエストをお聞きしたいと思います。
ウエカジ
ありがとうございます。では、宮本佳林さんのファーストアルバム、ヒトリトイロの中の一曲、自分ファーストを、お聞きください。
アイ ウィル ゴー アイ マスト ゴーです。
@ここまで