西国三十三所観音霊場、札所以外の番外はいずれも巡礼を復興された
花山法皇がらみかな?
『東光山 花山院(とうこうざん かざんいん)』は、兵庫県三田市にあり
菩提寺とも呼ばれています。他の番外二ヶ所、法起院(奈良)・元慶寺(京都)に
比べると、大きなお寺でした。
ここから約900m山道を登って行きます。結構急勾配の所もありますが、
お年寄りでも歩いて・・・ちなみに杖が常備されています。
距離は900mですが、標高差は170m。杖無しでは厳しそうです。
クルマで行けば山門の直ぐ側に充分な駐車場があります。(他の番外2寺とは違い)
ここで「番外」、「花山法皇」について・・・
そもそも西国三十三所観音霊場ツアーを開始されたのは「徳道上人」。
突然の病で死にかけた時、閻魔大王より『お前はまだ死ぬな。世に三十三の
観音霊場があり、これを巡礼すると清められ、苦しみ悩みから救われる。
まだ誰もこの霊場のことを知らないので、人々に知らせて広めよ』と言われ
宝印を授けられるとこの世に戻されました。そこで三十三の観音霊場の霊験を
人々に説いて回ったのですが、信じてもらえず。ツアー企画は失敗、破綻。
落ち込んだ徳道上人は、ヤケになって(?)その宝印を中山寺に埋めてしまい、
晩年隠棲した寺が奈良桜井市の「番外・法起院」でした。
時が流れ270年後、この宝印を掘り起こし観音霊場巡りを再興されたのが
「花山法皇」。16歳で第65代天皇に即位するも、わずか2年程で政治的陰謀
により、落飾(出家)された寺が京都市山科の「番外・元慶寺」でした。
また落飾前には寵愛された后をお腹の子と共に亡くされ、非運の人でもあります。
仏門に入られてからは西国三十三所巡礼を再興する大事を成し遂げ、41歳で
崩御される前14年間を過ごされたのがここ「番外・花山院」です。
お寺までの山道は「琴弾坂」と呼ばれています。近くの山中にも「琴弾峠」と
言う地名が残っていたり、この辺りは「尼寺(にんじ)」という地名だったり。
その訳は・・・花山法皇を慕い追っかけてきた(?)11人の女官たち、お寺の
領域は女人禁制なので近寄れず、山上の法皇に思いを馳せながら、法皇の
心を癒さんと琴をつま弾いた場所なんだそうです。
法皇が亡くなった後も11人の女官たちは尼となり、生涯この地で法皇の供養に
努めたと言います。そのため麓の村にこの地名が残っているのだとか。
なお、この麓には花山天皇が若くして亡くされた后、弘徽殿女御(こきんでんのによご)と
11人の女官たちを弔った十二妃の墓があるそうですが、見逃しました。(^_^ゞ
『山門』大きくは無いですが、しっかり阿吽の仁王像が立っている仁王門です。
『花山法皇殿』
小ぶりな堂宇ですがここでは大きいほうかな、観音堂にあたります。
法皇が帰依された十一面観音像、花山法皇像、弘法大師像が祀られています。
『賓頭盧尊者像』
写真奥が観音堂(花山法皇殿)、手前が薬師堂(瑠璃光殿)
『薬師堂』(本堂)
こちらにご本尊「薬師瑠璃光如来」が祀られています。
縁起によれば、開祖の「法道仙人」は念持仏、仏舎利と鉄鉢だけを持って
天竺(インド)から雲に乗ってこの地に渡来したと言われています。
この法道仙人は役行者と並ぶ法力を持った修験僧であり、このお寺も
その修行の聖地として開かれました。
雲に乗って来たかどうかは別として、播磨一帯の山岳地にある多くの寺院の
開山、開基として名を残してます。
なお、日本に渡るときに牛頭天王(ごずてんのう)と共に渡ったとされ
その牛頭天王、現在は京都八坂神社の祭神として中の座に祭られています。
『鐘楼』と写真奥のお堂には不動明王が。
『荒神堂』三寶大荒神が祀られています。
標高418mの境内からの眺望は素晴らしく、眼のあたりに有馬富士、南には
六甲連山、西には広く播州平野から播磨灘、そして小豆島まで見えるという
「有馬富士」標高374m、ちょっと見下ろす感じ。「千丈寺湖」
図によると千丈寺湖の右上くらいに小豆島が見えているはずですが
確認はできませんでした、つか、小豆島ってどんなカタチか分んない・・・
さて花山法皇の御廟所は、本堂など伽藍とは広場を隔てて石垣が積まれたところ。
「13仏」他にも宝篋印塔や石碑、石像仏が並べてありました。
『花山法皇御廟所』
石垣が積み上げられ小高くなったところに玉垣に囲まれ供養塔があります。
石段を上がり向こう側にいくと正面、後ろに本堂が控えて見えます。
石でできた扉は閉ざされ、玉垣の内部には入れないようです。
それなりに立派ではありますが、御陵としてはどうなのかな・・・
ここのお寺にも新しい企画商品(?)が・・・『幸福(しあわせ)の七地蔵』
HPには「全国初のお地蔵さま」
家族の絆・その幸せ・そして自分の人生の幸せ・成就のお地蔵さま
・・・とあります。7体のお地蔵様(それぞれに意味がある)は、いずれも
右手を差し出しています。その手を両手でしっかり握ってお願いするのだとか。
私も全部握ってきましたが・・・(^_^ゞ
「本坊」と「納経所」
2011.11/25、花山院菩提寺にて。
○宗派:真言宗花山院派 ○開基:法道
○御本尊:薬師瑠璃光如来 ○創建:白雉2年(651年)
御詠歌「有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風」
花山法皇がらみかな?
『東光山 花山院(とうこうざん かざんいん)』は、兵庫県三田市にあり
菩提寺とも呼ばれています。他の番外二ヶ所、法起院(奈良)・元慶寺(京都)に
比べると、大きなお寺でした。
ここから約900m山道を登って行きます。結構急勾配の所もありますが、
お年寄りでも歩いて・・・ちなみに杖が常備されています。
距離は900mですが、標高差は170m。杖無しでは厳しそうです。
クルマで行けば山門の直ぐ側に充分な駐車場があります。(他の番外2寺とは違い)
ここで「番外」、「花山法皇」について・・・
そもそも西国三十三所観音霊場ツアーを開始されたのは「徳道上人」。
突然の病で死にかけた時、閻魔大王より『お前はまだ死ぬな。世に三十三の
観音霊場があり、これを巡礼すると清められ、苦しみ悩みから救われる。
まだ誰もこの霊場のことを知らないので、人々に知らせて広めよ』と言われ
宝印を授けられるとこの世に戻されました。そこで三十三の観音霊場の霊験を
人々に説いて回ったのですが、信じてもらえず。ツアー企画は失敗、破綻。
落ち込んだ徳道上人は、ヤケになって(?)その宝印を中山寺に埋めてしまい、
晩年隠棲した寺が奈良桜井市の「番外・法起院」でした。
時が流れ270年後、この宝印を掘り起こし観音霊場巡りを再興されたのが
「花山法皇」。16歳で第65代天皇に即位するも、わずか2年程で政治的陰謀
により、落飾(出家)された寺が京都市山科の「番外・元慶寺」でした。
また落飾前には寵愛された后をお腹の子と共に亡くされ、非運の人でもあります。
仏門に入られてからは西国三十三所巡礼を再興する大事を成し遂げ、41歳で
崩御される前14年間を過ごされたのがここ「番外・花山院」です。
お寺までの山道は「琴弾坂」と呼ばれています。近くの山中にも「琴弾峠」と
言う地名が残っていたり、この辺りは「尼寺(にんじ)」という地名だったり。
その訳は・・・花山法皇を慕い追っかけてきた(?)11人の女官たち、お寺の
領域は女人禁制なので近寄れず、山上の法皇に思いを馳せながら、法皇の
心を癒さんと琴をつま弾いた場所なんだそうです。
法皇が亡くなった後も11人の女官たちは尼となり、生涯この地で法皇の供養に
努めたと言います。そのため麓の村にこの地名が残っているのだとか。
なお、この麓には花山天皇が若くして亡くされた后、弘徽殿女御(こきんでんのによご)と
11人の女官たちを弔った十二妃の墓があるそうですが、見逃しました。(^_^ゞ
『山門』大きくは無いですが、しっかり阿吽の仁王像が立っている仁王門です。
『花山法皇殿』
小ぶりな堂宇ですがここでは大きいほうかな、観音堂にあたります。
法皇が帰依された十一面観音像、花山法皇像、弘法大師像が祀られています。
『賓頭盧尊者像』
写真奥が観音堂(花山法皇殿)、手前が薬師堂(瑠璃光殿)
『薬師堂』(本堂)
こちらにご本尊「薬師瑠璃光如来」が祀られています。
縁起によれば、開祖の「法道仙人」は念持仏、仏舎利と鉄鉢だけを持って
天竺(インド)から雲に乗ってこの地に渡来したと言われています。
この法道仙人は役行者と並ぶ法力を持った修験僧であり、このお寺も
その修行の聖地として開かれました。
雲に乗って来たかどうかは別として、播磨一帯の山岳地にある多くの寺院の
開山、開基として名を残してます。
なお、日本に渡るときに牛頭天王(ごずてんのう)と共に渡ったとされ
その牛頭天王、現在は京都八坂神社の祭神として中の座に祭られています。
『鐘楼』と写真奥のお堂には不動明王が。
『荒神堂』三寶大荒神が祀られています。
標高418mの境内からの眺望は素晴らしく、眼のあたりに有馬富士、南には
六甲連山、西には広く播州平野から播磨灘、そして小豆島まで見えるという
「有馬富士」標高374m、ちょっと見下ろす感じ。「千丈寺湖」
図によると千丈寺湖の右上くらいに小豆島が見えているはずですが
確認はできませんでした、つか、小豆島ってどんなカタチか分んない・・・
さて花山法皇の御廟所は、本堂など伽藍とは広場を隔てて石垣が積まれたところ。
「13仏」他にも宝篋印塔や石碑、石像仏が並べてありました。
『花山法皇御廟所』
石垣が積み上げられ小高くなったところに玉垣に囲まれ供養塔があります。
石段を上がり向こう側にいくと正面、後ろに本堂が控えて見えます。
石でできた扉は閉ざされ、玉垣の内部には入れないようです。
それなりに立派ではありますが、御陵としてはどうなのかな・・・
ここのお寺にも新しい企画商品(?)が・・・『幸福(しあわせ)の七地蔵』
HPには「全国初のお地蔵さま」
家族の絆・その幸せ・そして自分の人生の幸せ・成就のお地蔵さま
・・・とあります。7体のお地蔵様(それぞれに意味がある)は、いずれも
右手を差し出しています。その手を両手でしっかり握ってお願いするのだとか。
私も全部握ってきましたが・・・(^_^ゞ
「本坊」と「納経所」
2011.11/25、花山院菩提寺にて。
○宗派:真言宗花山院派 ○開基:法道
○御本尊:薬師瑠璃光如来 ○創建:白雉2年(651年)
御詠歌「有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風」