タイトな仕事が入り、先週一週間更新が滞ってしまったら・・・在庫のネタは
まだ梅が咲き始めだったりします。(/・。\)
花、特に春は次から次へと変遷するので1週間前でも致命的。それが3週前の
情報ですから・・・でもまぁ、記録は残して置きたいので、アップしておきます。
3月9日、長岡天満宮を訪ねた時のものです。
天神さんと言えば梅ですね。神紋も梅鉢ですしね♪
北野天満宮ほどではないですが、ここにも梅林があります。
天神さん(菅原道真)を祀っているのですから、縁の牛もちゃんと居ります。
ここは「見返り天神」ともいわれ、道真公が太宰府へ西下される途中、
「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた地だとか。
創建は不明?なのですが、かつての社地は10万余坪だったのを明治維新後
上地し、それでも現在2万余坪あるそうです。
現在の社殿(ご本殿、祝詞舎、透塀)は、昭和16年に京都の平安神宮の
社殿を拝領移築したものですからそんなに古くは無いですね。
末社として稲荷神社もありますが、そこを登って行くと・・・
その先に、長岡公園梅林があります。
HPの開花情報を見ると3/9日「早咲きは見頃、遅咲きは蕾」とありました。
ちなみにその後の開花情報は「3/17 梅見頃です」「3/27 梅ほぼ終わりです」
菅原道真公の邸宅は紅梅殿・白梅殿と呼ばれ、梅をこよなく愛されたようです。
“美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある”
道真公、5歳の時に詠まれた歌だとか・・・
椿もちらっと♪
境内の東には八条ケ池がひろがります。この八条ケ池は1638(寛永15)年に
当時の領主・八条宮が造らせた灌漑用の溜め池で、外周は約1㎞あります。
「水上橋」は改修工事中で入れませんでした。
たけのこ会席が有名な「錦水亭」の水上座敷もこの池の風景に。
池を二分する中堤は参道になっており、中堤真ん中には石の太鼓橋があります。
4月の末頃、この中堤は樹齢130年前後といわれるキリシマツツジに包まれ
真っ赤な花の壁が見事です。「3年前のGW」
長岡京はあまり知られてないかな、桓武天皇が784年に平城京より遷都された
正式な首都であり、そのスケールは平城京よりわずかだけれど大きかったほど。
近くには桂川、宇治川、淀川などがあり水上交通が利用できる利便さと
豊かな水源(現在サントリーがある山崎など)に恵まれた地でもあり、
首都機能としては万全。当時、力をつけてきた東大寺など仏教勢力と
大伴氏などの貴族勢力から距離を置く必要性から遷都を決断した桓武天皇。
藤原種継を責任者として、わずかな期間に難波宮から宮殿を移設するなど
都を造営するのだが、その最中、種継は暗殺されてしまう。
これを首謀、加担した多くの反対勢力が処罰されるが、その中には
桓武天皇の弟、早良親王も流罪を言い渡される。親王は配流先に向かう途中、
恨みを抱いたまま死去。怨霊と化す?
なんだかんだ、最初っからどたばたの長岡京。結果わずか10年後の794年には、
平安京に遷都するハメになります。ただ発掘が進むにつれ、かなり完成度が
高かったことなどで、期間が短かった故に従来言われていた形だけの遷都、
大規模な遷都への準備だったというのは間違いかも。
また、余談が長くなってしまった・・・
命短し、長岡京。花の命もまた儚し・・・ってことで。
2014.3/9、長岡天満宮にて。
まだ梅が咲き始めだったりします。(/・。\)
花、特に春は次から次へと変遷するので1週間前でも致命的。それが3週前の
情報ですから・・・でもまぁ、記録は残して置きたいので、アップしておきます。
3月9日、長岡天満宮を訪ねた時のものです。
天神さんと言えば梅ですね。神紋も梅鉢ですしね♪
北野天満宮ほどではないですが、ここにも梅林があります。
天神さん(菅原道真)を祀っているのですから、縁の牛もちゃんと居ります。
ここは「見返り天神」ともいわれ、道真公が太宰府へ西下される途中、
「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた地だとか。
創建は不明?なのですが、かつての社地は10万余坪だったのを明治維新後
上地し、それでも現在2万余坪あるそうです。
現在の社殿(ご本殿、祝詞舎、透塀)は、昭和16年に京都の平安神宮の
社殿を拝領移築したものですからそんなに古くは無いですね。
末社として稲荷神社もありますが、そこを登って行くと・・・
その先に、長岡公園梅林があります。
HPの開花情報を見ると3/9日「早咲きは見頃、遅咲きは蕾」とありました。
ちなみにその後の開花情報は「3/17 梅見頃です」「3/27 梅ほぼ終わりです」
菅原道真公の邸宅は紅梅殿・白梅殿と呼ばれ、梅をこよなく愛されたようです。
“美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある”
道真公、5歳の時に詠まれた歌だとか・・・
椿もちらっと♪
境内の東には八条ケ池がひろがります。この八条ケ池は1638(寛永15)年に
当時の領主・八条宮が造らせた灌漑用の溜め池で、外周は約1㎞あります。
「水上橋」は改修工事中で入れませんでした。
たけのこ会席が有名な「錦水亭」の水上座敷もこの池の風景に。
池を二分する中堤は参道になっており、中堤真ん中には石の太鼓橋があります。
4月の末頃、この中堤は樹齢130年前後といわれるキリシマツツジに包まれ
真っ赤な花の壁が見事です。「3年前のGW」
長岡京はあまり知られてないかな、桓武天皇が784年に平城京より遷都された
正式な首都であり、そのスケールは平城京よりわずかだけれど大きかったほど。
近くには桂川、宇治川、淀川などがあり水上交通が利用できる利便さと
豊かな水源(現在サントリーがある山崎など)に恵まれた地でもあり、
首都機能としては万全。当時、力をつけてきた東大寺など仏教勢力と
大伴氏などの貴族勢力から距離を置く必要性から遷都を決断した桓武天皇。
藤原種継を責任者として、わずかな期間に難波宮から宮殿を移設するなど
都を造営するのだが、その最中、種継は暗殺されてしまう。
これを首謀、加担した多くの反対勢力が処罰されるが、その中には
桓武天皇の弟、早良親王も流罪を言い渡される。親王は配流先に向かう途中、
恨みを抱いたまま死去。怨霊と化す?
なんだかんだ、最初っからどたばたの長岡京。結果わずか10年後の794年には、
平安京に遷都するハメになります。ただ発掘が進むにつれ、かなり完成度が
高かったことなどで、期間が短かった故に従来言われていた形だけの遷都、
大規模な遷都への準備だったというのは間違いかも。
また、余談が長くなってしまった・・・
命短し、長岡京。花の命もまた儚し・・・ってことで。
2014.3/9、長岡天満宮にて。