一見、ナニコレ的な神社。京都・八幡市にある『飛行神社』です。
日本で初めて飛行器を考案、ゴム動力による「模型飛行器」を製作、飛行に
成功した人物。二宮忠八氏が自邸内に私財を投じて1915(大正4)年に創建。
これって航空マニアならずとも、非常に興味がわきますよね。
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忠八の死(1936(昭和11)年)により廃絶していたものを息子、二宮顕次郎に
よって1955(昭和30)年、復興されました。今は宗教法人となり、
三代目宮司に二宮裕二が就任されているとのこと。
設備も近代的?建物の下が駐車場になっています。
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祭神は大阪府交野市の磐船神社より勧請した饒速日命(ニギハヤノミコト)。
饒速日命は神話において天磐船(アメノイワフネ)に乗って地上に降臨した
とされることから、空の神・飛行機の神として結び付けられ、飛行神社の
祭神に選ばれたようです。
向かって右の社殿には、航空殉難者諸神が。左には薬祖神が祀られています。
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それにしてもギリシャ神殿風の拝殿は、独創的。
拝殿の前後にはステンドグラスが嵌められています。柄はそれぞれトンボと
トビウオのようでした。どこまでも飛行にこだわっていますね。
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鳥居はジュラルミン製、その両脇にはプロペラの狛犬?(^_^ゞ
ひとつは綺麗なプロペラが石灯籠の台座、アルミ合金の支柱に付いています。
もうひとつは、無残な姿のプロペラ。破損したエンジン部分も残っています。
実は大阪湾の漁場で漁師が底引き網に引っかかったものを引き揚げたとか。
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の機首部だそうです。(昭和58年)
戦争で悲惨な運命を辿った航空機の部品、一方の綺麗な方のプロペラは
平和を願って建てられているようにも見えました。
さてここらで、二宮忠八という人物と、この飛行神社を設立された経緯なども。
1866(慶応2)年、まだ幕末、池田屋事件、第二次長州征伐が勃発した年。
アメリカでは、やっと南北戦争が終結した年です。そんな年に生まれた忠八。
今の愛媛県八幡浜市の商家の四男坊ですが、12歳で父親が亡くなり生計を
助けるため働きつつも、物理学や化学の書物を夜遅くまで読み耽けっていた。
その頃から学資を得るために自ら考案した凧を作って売り、この凧は
「忠八凧」と呼ばれて人気を博したといいます。
1889(明治22)年、陸軍従軍中に「飛行器」を考案。この飛行器という言葉も
忠八が考えたもののようです。もちろん日本で初めて飛行原理を確立したと
いえます。この時は「烏型飛行器」で、1891年に模型での飛行に成功しました。
翼幅は45cm、全長は35cmで翼の後ろに推進式の四枚羽プロペラを配し、動力は
ゴム紐(聴診器のゴム管を流用)。3mの自力滑走の後、離陸して10mを飛行。
・・・そんなん、僕でも飛ばしたことあるわ!模型のゴム飛行機ってあったもん。
喝ッ!当時はそんなもんありまへん。世界でもまだまだ珍しい偉業でした。
ましてやプロペラを推進方法にするなど画期的。
この後も、有人飛行を前提にした飛行機「玉虫型飛行器」の模型(翼幅2m)を
作成。その実用化への開発を軍に申請するが、受け入れられず実機の完成を
実現することは出来なかった。
見る目のある人が軍に居たなら、世界初の有人飛行は日本人の手で成されたかも。
ちなみに、この時の上官は後に忠八に宛てて詫び状をしたためたとか・・・
また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ
忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に
飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。
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結局、飛行機製作の資金を作ってから独力で研究することにした忠八は退役し
大日本製薬株式会社に入社、支社長にまで昇進するものの資金をまかなえず、
ほかにスポンサーも現れなかったため飛行器の開発は停滞した。
この間、1903(明治36)年12月17日、ついにライト兄弟が有人飛行に成功する。
しかしこのニュースはすぐには日本には伝わらず、なおも忠八は飛行器への
情熱を持ち続けていた。ちなみに忠八の設計した玉虫型飛行器の動力には
ライト兄弟のフライヤー1号と同じく12馬力のエンジンが予定されていた。
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ライト兄弟の偉業を知った忠八は、動力源以外完成していた飛行器の開発を
取りやめ、製薬の仕事に打ち込むことになる。
忠八はその後、飛行機事故で死去した多くの人を弔うために私財を投げ打って
飛行神社を設立、自ら神主になっている。
自らも飛行機開発に携わった者として責任を感じたのでしょう。
ここ八幡市に私邸を構えたのは、故郷愛媛県八幡浜市への思いからとも。
日本で唯一といわれる航空関係の神社(世界でもここだけかも?)、
ここには世界中の全ての航空事故の犠牲者の御霊が合祀されています。
日本国内の航空事故犠牲者についてはひとりひとり表名で、国外の犠牲者に
ついては無表名で合祀されているようです。
宮司さんの話では、拝殿も「ギリシャ風というわけではなく、全世界の
航空事故で亡くなった方を祀っているので、外国の方も参拝しやすいように、
西洋風にしているんです」とのことです。
絵馬も世界各国の言葉で書かれたものがあるようです。もちろんCA志望、
航空業界就職祈願とか旅行の安全祈願や合格祈願もね。
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もうひとつの社殿には、薬業の祖神とする武田長兵衛と金毘羅神と
地主神である白龍神を祀っています。
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大阪湾で引き揚げられたというゼロ戦の機首部分です。
ここにはまた「二宮忠八資料館」(有料:一般300円)があります。
私はこの日、ゆっくり観る時間が無かったのでパスしましたが、
航空マニア(そうでなくとも?)ぜひともご覧アレの施設のようです。
二宮忠八氏関連のものはもとより、さまざまな飛行機の模型や実際の機器が
置かれ、人工衛星やロケットの模型も多数あるとのこと。
また別室には全国の有志による飛行機プラモの展示室と航空機に関する図書室に
なっており自由に閲覧できるそうです。プラモはどれもこれも飛行機ファンなら
垂涎の品ばかりで、日本一の飛行機模型コレクションではないかとまで。
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これまたレアな!道路側に展示されているこの巨大なブツは・・・
F104戦闘機のジェットエンジンです。
ジェット戦闘機と言えば、このF104が強烈な印象があります。僕らの世代は?
『ロッキード F-104 スターファイター』
航空自衛隊では、三菱重工がライセンス生産したF104Jが「栄光」と
呼ばれていました。またの名を「三菱鉛筆」(^_^ゞ
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2014,3/16、飛行神社にて。
日本で初めて飛行器を考案、ゴム動力による「模型飛行器」を製作、飛行に
成功した人物。二宮忠八氏が自邸内に私財を投じて1915(大正4)年に創建。
これって航空マニアならずとも、非常に興味がわきますよね。
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忠八の死(1936(昭和11)年)により廃絶していたものを息子、二宮顕次郎に
よって1955(昭和30)年、復興されました。今は宗教法人となり、
三代目宮司に二宮裕二が就任されているとのこと。
設備も近代的?建物の下が駐車場になっています。
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祭神は大阪府交野市の磐船神社より勧請した饒速日命(ニギハヤノミコト)。
饒速日命は神話において天磐船(アメノイワフネ)に乗って地上に降臨した
とされることから、空の神・飛行機の神として結び付けられ、飛行神社の
祭神に選ばれたようです。
向かって右の社殿には、航空殉難者諸神が。左には薬祖神が祀られています。
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それにしてもギリシャ神殿風の拝殿は、独創的。
拝殿の前後にはステンドグラスが嵌められています。柄はそれぞれトンボと
トビウオのようでした。どこまでも飛行にこだわっていますね。
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鳥居はジュラルミン製、その両脇にはプロペラの狛犬?(^_^ゞ
ひとつは綺麗なプロペラが石灯籠の台座、アルミ合金の支柱に付いています。
もうひとつは、無残な姿のプロペラ。破損したエンジン部分も残っています。
実は大阪湾の漁場で漁師が底引き網に引っかかったものを引き揚げたとか。
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の機首部だそうです。(昭和58年)
戦争で悲惨な運命を辿った航空機の部品、一方の綺麗な方のプロペラは
平和を願って建てられているようにも見えました。
さてここらで、二宮忠八という人物と、この飛行神社を設立された経緯なども。
1866(慶応2)年、まだ幕末、池田屋事件、第二次長州征伐が勃発した年。
アメリカでは、やっと南北戦争が終結した年です。そんな年に生まれた忠八。
今の愛媛県八幡浜市の商家の四男坊ですが、12歳で父親が亡くなり生計を
助けるため働きつつも、物理学や化学の書物を夜遅くまで読み耽けっていた。
その頃から学資を得るために自ら考案した凧を作って売り、この凧は
「忠八凧」と呼ばれて人気を博したといいます。
1889(明治22)年、陸軍従軍中に「飛行器」を考案。この飛行器という言葉も
忠八が考えたもののようです。もちろん日本で初めて飛行原理を確立したと
いえます。この時は「烏型飛行器」で、1891年に模型での飛行に成功しました。
翼幅は45cm、全長は35cmで翼の後ろに推進式の四枚羽プロペラを配し、動力は
ゴム紐(聴診器のゴム管を流用)。3mの自力滑走の後、離陸して10mを飛行。
・・・そんなん、僕でも飛ばしたことあるわ!模型のゴム飛行機ってあったもん。
喝ッ!当時はそんなもんありまへん。世界でもまだまだ珍しい偉業でした。
ましてやプロペラを推進方法にするなど画期的。
この後も、有人飛行を前提にした飛行機「玉虫型飛行器」の模型(翼幅2m)を
作成。その実用化への開発を軍に申請するが、受け入れられず実機の完成を
実現することは出来なかった。
見る目のある人が軍に居たなら、世界初の有人飛行は日本人の手で成されたかも。
ちなみに、この時の上官は後に忠八に宛てて詫び状をしたためたとか・・・
また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ
忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に
飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。
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結局、飛行機製作の資金を作ってから独力で研究することにした忠八は退役し
大日本製薬株式会社に入社、支社長にまで昇進するものの資金をまかなえず、
ほかにスポンサーも現れなかったため飛行器の開発は停滞した。
この間、1903(明治36)年12月17日、ついにライト兄弟が有人飛行に成功する。
しかしこのニュースはすぐには日本には伝わらず、なおも忠八は飛行器への
情熱を持ち続けていた。ちなみに忠八の設計した玉虫型飛行器の動力には
ライト兄弟のフライヤー1号と同じく12馬力のエンジンが予定されていた。
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ライト兄弟の偉業を知った忠八は、動力源以外完成していた飛行器の開発を
取りやめ、製薬の仕事に打ち込むことになる。
忠八はその後、飛行機事故で死去した多くの人を弔うために私財を投げ打って
飛行神社を設立、自ら神主になっている。
自らも飛行機開発に携わった者として責任を感じたのでしょう。
ここ八幡市に私邸を構えたのは、故郷愛媛県八幡浜市への思いからとも。
日本で唯一といわれる航空関係の神社(世界でもここだけかも?)、
ここには世界中の全ての航空事故の犠牲者の御霊が合祀されています。
日本国内の航空事故犠牲者についてはひとりひとり表名で、国外の犠牲者に
ついては無表名で合祀されているようです。
宮司さんの話では、拝殿も「ギリシャ風というわけではなく、全世界の
航空事故で亡くなった方を祀っているので、外国の方も参拝しやすいように、
西洋風にしているんです」とのことです。
絵馬も世界各国の言葉で書かれたものがあるようです。もちろんCA志望、
航空業界就職祈願とか旅行の安全祈願や合格祈願もね。
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もうひとつの社殿には、薬業の祖神とする武田長兵衛と金毘羅神と
地主神である白龍神を祀っています。
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大阪湾で引き揚げられたというゼロ戦の機首部分です。
ここにはまた「二宮忠八資料館」(有料:一般300円)があります。
私はこの日、ゆっくり観る時間が無かったのでパスしましたが、
航空マニア(そうでなくとも?)ぜひともご覧アレの施設のようです。
二宮忠八氏関連のものはもとより、さまざまな飛行機の模型や実際の機器が
置かれ、人工衛星やロケットの模型も多数あるとのこと。
また別室には全国の有志による飛行機プラモの展示室と航空機に関する図書室に
なっており自由に閲覧できるそうです。プラモはどれもこれも飛行機ファンなら
垂涎の品ばかりで、日本一の飛行機模型コレクションではないかとまで。
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これまたレアな!道路側に展示されているこの巨大なブツは・・・
F104戦闘機のジェットエンジンです。
ジェット戦闘機と言えば、このF104が強烈な印象があります。僕らの世代は?
『ロッキード F-104 スターファイター』
航空自衛隊では、三菱重工がライセンス生産したF104Jが「栄光」と
呼ばれていました。またの名を「三菱鉛筆」(^_^ゞ
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2014,3/16、飛行神社にて。