カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

しょうぶの藤森神社

2015-06-18 15:58:38 | しゃじ
先日(5月5日)、駈馬神事を見に行ったもののバイクが停められず
断念した藤森神社、今度は紫陽花を見に行ってみました。

藤森(ふじのもり)神社は、武神と学問、菖蒲の節句発祥の神社、
勝運と馬の神としても知られています。
社伝によると、神功皇后が203(摂政3)年、新羅より凱旋の後、
山城の国 深草の里 藤森の地を神在の聖地として撰び
「いくさ旗」纛旗(とうき)を立て、兵具を納め、塚を造り、
神祀りされたというのが起こりだそうです。
かなり古い縁起ってことになりますね。




この神社、京都の紫陽花の名所として知られていますが、まだ行った
ことがなかったので訪ねてみましたが、紫陽花苑が開苑したばかりの
週末で、3部咲きくらい。ちょっと早かったようです。(6/7)



思ったより広い境内、特設の茶店では、あじさいだんごも
売られています。社務所・宝物殿も立派。



〈神馬像〉
勝運と馬の神様として競馬関係者(馬主・騎手等)また、
競馬ファンの参拝者でにぎわっているそうです。
ま、クルマで20分程走れば淀競馬場もあるしね・・・(^_-)v



〈斎館〉
中には鎧兜や武具が置かれているとか。軒にはデカい太刀が!
ちなみに宝物殿には重文の紫絲威大鎧や大鎧や刀、大筒など
100点余りが展示されているそうです。
斎館に置かれているのはお祭り用の衣装かな?(確証は無いです)
最近では、オンラインゲーム刀剣乱舞の効果で鶴丸国永の聖地として
人気なんだそうですが、今はその名刀「鶴丸」はここにはありません。



〈拝殿〉
真ん中が開いている割拝殿は珍しいですね。
御所より移築されたもののようです。



昔は名前通り“森”だったのでしょうね・・・


〈藤森七福神〉
キャラクターっぽい七福神さん達♪
藤森祭の時は、武者行列とともに七福神に扮した行列もあるとか。


歴史を辿ると、当初は現在の伏見稲荷大社の位置にあったようです。
稲荷大社が建てられることになったため、現在地に遷座。
この地はもともと真幡寸(まはたき)神社があったので、それに伴い
同時に真幡寸神社(現・城南宮)は、今の位置に移ったそうです。

〈藤森稲荷社〉



ご神水〈不二の水〉
二つとないおいしい水という意味で、特に勝ち運を授ける水として
信仰されているとか。みなさん、ペットボトルに入れて持ち帰られる
のでしょうが、樹脂製のロートは風情が無いな・・・


〈御旗塚〉神功皇后が軍旗を立て祭祀を行った場所で、当社の発祥
であるとしている、イチイガシの木株。「いちのきさん」と呼び親しまれ
お参りすると腰痛が治るとか。近藤勇も足しげく通ったのだそうです。

〈本殿〉
祭神は、本殿中央(中座)に素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、
仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。東殿(東座)に学問の神として
舎人親王、天武天皇の二柱。西殿(西座)には早良親王、伊豫親王、
井上内親王の三柱。十二柱が祀られている御霊社です。



〈金太郎像〉auのCM、濱田岳には似ていないね。
藤森神社は「菖蒲の節句発祥の地」といわれています。
菖蒲は尚武、勝負に通じ、勝運を呼ぶ神として信仰を集めてきた。


〈舎人親王崇敬碑〉と〈白松(はくしょう)〉の木。
舎人(とねり)親王は、日本書紀の編者で、日本最初の学者。
それ故、学芸上達絵馬が奉納されている。
この碑の後ろにある白松は、白皮松、白骨松とも称され、中国では
宮殿などに植えられる非常に貴ばれる木。

摂社〈大将軍社〉(重文)

摂社〈天満宮社〉

大将軍社は、桓武天皇が平安京を造営したとき、王城鎮護のため、
京の四方に祀られた大将軍神社のうちの南方の守護神。
ちなみに東方=大将軍神社(東三条大将軍)、西方=大将軍八神社。
北方=今宮神社境内大将軍社。



〈神鎧像〉
菖蒲の節句発祥の地であり、節句に飾る武者人形には、藤森の神様が
宿るといわれており、その象徴として建立されたもの。

〈七宮社〉

〈粗霊社〉


〈絵馬舎〉
かつては拝殿だった。白馬、黒馬の絵馬は、江戸時代のもので、
京都でも古いもののひとつなんだそうです。

摂社〈八幡宮〉(重文)

〈かへし石〉
力石とも呼ばれ、この石を拝殿より鳥居まで転がすという行事が
昔はあり、祭りの時は石を持ち上げて力試しもしたとのこと。


こんな自販機が・・・




運試し?数字が揃えばもう1本ってやつだが・・・
私は、見事に外れ(やったんかいッ!)
必勝絵馬でも奉納すれば当たったのかな・・・(^_^ゞ



2015.6/7、藤森神社にて。

この日のお持ち帰り・・・変わりみくじは、お馬さんでした♪