愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

神様がくれた犬

2009-08-17 22:48:36 | 日記
☆ブサイクだけど愛敬のある顔
 わが家のシェラは正統派の雑種である。何が正統派かというと、いろんなDNAがほどよく混じっていて、あえてこの犬種とこの犬種の間に生まれたと特定しがたいからだ。捨てられた子なので親犬の情報はおろか、正確な誕生日さえわかっていない。

 シェラとの出会いは当時住んでいた埼玉・与野市(現大宮市)のペット病院だった。
 休日の朝、ひとりで散歩していたぼくは、玄関のドアに「子犬差し上げます」と書かれていた札を目にして迷わずもらいにいった。檻から出されたのは、丸々太った真っ黒な小熊のようなメスの子犬だった。
 檻から抱き上げられたとたん、病院スタッフの女性から、「わぁ、のけぞってるわ」と笑われたくらい元気な子犬だった。ぼくに渡されても、きょとんとして逃げる様子もない。

 顔はお世辞にも美形とは言いがたい。小さな目なのに垂れている。
 「おまえ、ブサイクな器量だけど愛敬あるよな」
 ぼくは心の中で語りかけながら、ひと目で気に入ってしまった。ぼくに抱かれて動じないところに運命を感じた。

☆ぼくを受け入れてくれたシェラ
 前日、見ず知らずの女性が、「捨てられていてかわいそうだから、だれかもらってくれる人を探してください」と言って病院へ持ち込んだという。院長は、「あの奥さんが飼い主だと思う」と言っていたが、おそらくそうだろう。
 院長は、子犬の月齢を「3か月くらい」と言った。はじめて抱いたとき、母犬の乳のにおいがした。直前まで授乳していたと思える。それだけで憐れを感じた。

 引き取るための手続きを終え、ぼくは子犬を抱いて外へ出た。晴れてはいたが、まだ、肌寒さの残る1995年4月22日だった。
 ぼくは子犬をブルゾンの中に入れた。ふわふわの毛の黒い塊は、嫌がるどころか、ブルゾンの内側の奥へと進み、背中で落ち着いてしまった。どうやらぼくを全面的に受け入れてくれたらしい。
 ぼくはひとりほくそえみながら帰路を急いだ。犬との生活がはじまるのがうれしくてならなかった。

 出逢いこそが運命だ。どんな性格の犬であっても心からかわいがってやろう――ぼくはかたく決心していた。

☆必然の出逢い
 ほどなく、ぼくとぼくの家族は、シェラの心の哀しみを知ることになる。生まれてまだ3か月にして、犬といえども捨てられた恐怖に支配されているらしいことを……。

 さらに、ぼくたちとシェラはやっぱり運命的な出逢いだったとまもなく思い知ることなる。やがてぼくたちの身にふりかかる残酷なまでの現実を乗り越えるために神様がそっと送ってくれたとさえ思えるのだが、むろん、そのときはすぐそこに待ち受けている辛い試練を予想もできないでいた。
 【写真=あくびをするシェラ。これは最近のもの。子犬のころの写真を見つけ次第アップ予定】