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点滴で訪れた病院の待合室から逃げようとする(23日)
☆あと何日世話してやれるのか
休日の朝、午前中にシェラを病院へ連れていく予定はあったが、それでもせめて8時くらいまでは寝ていたかった。昨夜は、このブログのエントリーを上げるころになって激しい睡魔に襲われ、とりあえず投稿だけはしてそのまま寝袋にくるまってベッドで寝込んでしまった。
シェラが動いていると気づいたのは、たしか午前5時30分ころだった。次にシェラの荒い息づかいで目が覚めた。2時間が経過していた。
ハアーハアーいいながら玄関と廊下を行き交うのはオシッコがしたいときだ。決して催促はしない。「気づいてちょうだい! お願いだから……」とでもいいたげに、だが、遠慮がちに動きまわる。もっとせっぱ詰まってきてようやく玄関までいって吠える。
シェラが吠える前にぼくはあわてて飛び起きた。こんな世話をしてやれるのだってあとわずかだろうから……。そう思っただけで切なさがこみ上げてくる。
シェラをクレートに入れ、ルイを肩に抱いてエレベーターで1階におり、エントランスを横切って2枚の重い扉を押して外へ出る。ルイが重くなってきたのでけっこうな負担である。でも、それさえもいまだけの幸せと思う。
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点滴の最中は寄り添ってやらなくてはならない(23日)
☆点滴を使うのはぼくの意志
今朝の散歩のシェラの様子はこのところと変わりなかった。動きが緩慢になっているであろうことは、日を追ってのそれこそ緩慢な変化だからあまりわからないのかもしれない。むしろ、日を追って力強さを増すルイの動きに翻弄されてなかなか見極められずにいる。
祭日の病院は意外に空いていた。12時近くなると混んでくるのかもしれない。シェラの点滴をおこなうには空いてくれていたほうが気兼ねせずにすむからちょうどいい。
今日は院長先生からの指示で、ぼくが実際に点滴をやってみることになった。文字どおり手取り足取りで教わる。明日と明後日は家でぼくがやることになる。昨夜のO先生も途中で顔を出して細かいところまで教えてくれた。
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点滴の最中、不安がるとこうして抱きしめてやる(23日)
シェラに対する点滴は、いくつかの選択肢の中からぼくが迷わず選んだものである。当面、毎日、病院へかよわなくてはならないということで家人には躊躇があった。ぼくが連れてきてやれるかどうかわからないという戸惑いである。しかし、点滴がいまのシェラにもっとも有効なら、なんとしてでもやってやりたかった。
☆少しでも楽にしてやるために
ただの延命ではない。院長やO医師の言葉は明快だった。血液検査の数値からみて、腎臓の機能はよくて30%以下、もしかしたら10%ほどに落ちているかもしれない。その機能でまわってくる毒素を懸命にきれいにしている。脱水症状にもなり、両方の影響で全身がだるくなっている。
そうした腎臓の働きを助け、身体を少しでも楽にしてやるための点滴なのだという。
シェラが痛みを感じていないのかをしきりに心配していた家人はその説明を伺って少し気持ちが和んだようである。
寿命を迎えたシェラを送ることはしかたない。しかし、可能なかぎり痛みや苦しみを軽減してやりたい。それがぼくと家人の切なる願いである。だからこそ、点滴はただの延命ではないのだ。先生たちの言葉を借りれば、病気のつらい症状を軽くする「手助け」の手段なのである。
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夕方、買いものに近くのスーパーまで散歩がてら出かけた(23日)
今日、シェラの晩ご飯はステーキである。食べられるうちに、おいしいものを少しでも食べさせてやりたい。たんぱく質は腎臓の負担を増やすからもってのほかではあるが、それで死期が2、3日早まってしまったとしてもいいじゃないかと思う。せめて最後においしいものを食べて、「ああ、おいしかった」と幸せを感じてくれればそれに勝る喜びはない。
お相伴にあずかれるルイはもっと幸せものである。