愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

さらに悪化しているのがわかる

2011-12-24 18:14:39 | がんばれ、シェラ!
☆変わってないように見えるけど
 朝、目が覚めたのは9時30分近かった。仕事で出かける予定がある家人が飛び起きた。シェラはリビングで寝そべっている。オシッコをがまんしているに違いない。急いで着替え、散歩に出ようとするとルイがケージの中でトイレの外へオシッコをやってくれた。なんていうヤツだ。
 
 外でのシェラの様子は、一見、いつもと変わらない。すぐにたくさんオシッコをして、ウンコもやってくれた。ただ、だんだん歩く距離が短くなったのと、動作がのろくなっている。
 昨日と比べればさしたる変化はないように映るが、数日前の様子を思い出すと衰えは明らかである。日々、力強さを増していくルイがうらめしく見えるほどだ。

 散歩から戻り、フードをやろうとすると、においは嗅ぐが食べようとしない。とうとうそのときがきたかと暗然たる思いになる。食べられなくなったら5日から一週間と何度も病院で聞いている。
 WDというドライフードをお湯でふやかし、においづけにペースト状の餌を混ぜて与えている。昨日の朝はいつもの半分くらいしか食べなかった。今日はまったく口をつけようとしない。それでは、と家人がシェラの好きなお米のご飯に、昨夜のステーキを混ぜて与えてみた。さすがに牛肉だけはよく食べた。ご飯はまったく食べようとしない。


だるそうに寝ているこんな姿さえもまもなく見ることができなくなる(24日)

☆むしろ苦しまないだけいいじゃないか
 シェラもルイも、今日が休日でぼくが家にいるというのを朝から承知している。当然、いつものようにどこかへ連れていってもらえると思い込んでいて、落ち着かなかった。しかし、もう、シェラを連れての外出はやめたほうがいい。近所の散歩がせいぜいである。それも、歩ける距離は知れている。

 仕事で出かける家人をクルマで送りながら、あらためて確認する。
  ・シェラの死が近いこと。たぶん、年内がいいところだろう。
  ・シェラの死はもう仕方ない。16歳をたっぷり生きたのだから。
  ・ボケて徘徊したり、寝たきりにならなかったのがせめてもだ。
  ・16年間、ひたすら愛情を注いでやった。悔やむことは何もない。
 すっかり心の準備はできている、それでも、やっぱりいざとなったら悲しみに押しつぶされそうになるのは火を見るよりも明らかである。
 
 ひとりで家に戻ると玄関の前に寝て、シェラが待っていた。この子がもうすぐいなくなる。そう思っただけで喪失感がこみ上げてくる。
 ぼくのそばへ寄ってくるが、いかにもだるそうだ。目の力が日々弱くなっているのわかる。気分の悪い様子が全身ににじんでいる。これもまたしかたのないことだ。いや、むしろ、痛みで苦しみ悶える姿を見ないでいるだけでもよかったと思う。

☆夕方の食欲に胸を撫で下ろす
午後4時、夕方の散歩に出かける。今日は昼過ぎにシェラの夕飯用に鶏のササミを買いに出ただけでずっと家の中でシェラと一緒にいた。散歩も、オシッコをしたあと、最初の15分ほどは動こうとしなかったシェラだが、後半はずいぶん歩いた。帰りのことを憂慮して強引に引き返したほどである。


夕方の散歩では最初なかなか歩かなかった(24日)


いかにも気分が悪そうだった(24日)


しばらく歩いたらすっきりしたらしい(24日)

 家に戻ってから食事を作る。食べないかもしれないし、鶏のササミもあるからと定量の半分のドライフードにした。その前ににおいづけ用のペースト状のフードに飲み薬を混ぜて出してみると、すごい勢いで食べる。これは期待できそうだとドライフードのほうを出すとこれもガツガツと食べるではないか。
 朝、抜いてお腹が空いたのかもしれない。鶏のササミも一本分を与え、さらにドライフードも足してみると、においづけやら鶏肉が混ざるとさっさと食べてくれた。よかったと胸を撫でおろす。

 食べないリスクもあれば、片や肉を食べることで腎臓に負担をかけるリスクもある。いずれにしてもリスクがあるのならどうすべきかは明白である。