★人間は信じられなくても
この3週間ばかり、業務上発生した事件で、こちらの正しさを証明するため告訴をせざるをえなくなり、その準備などでけっこう神経をすりへらしてしまった。
といっても、何が大変だったかといえば、若いひとたちの予想外の緊張や狼狽をまのあたりにして、その対策に腐心したからだ。外からの揺さぶりよりも、内側の動揺のほうが消耗する。
その一方で、facebookを通じてわかったことだが、まわりの知己の、意外な人が支えになってくれるのだとわかったのが、失ったものを補ってあまりある収穫ではあったが。
困ったとき、あるいは、窮地に追い込まれたときこそ、人間の本質が見えてくる。人を見抜くときの一定の基準が明確にわかったのもよかった。
いつ、どんなときにも心の支えになってくれるのは、やっぱりわんこをおいてほかにない。かつては、シェラやむぎにどれだけ癒されてきたかわからない。つらい時代をともに過ごし、いつも励まし続けてくれた。その存在が心の支えとなってくれた子たちだった。
★そこにいてくれるだけでいい
毎晩、疲れて帰ったぼくをルイが迎えてくれる。大喜びし、跳びついてくるわけではないが、いつも玄関でぼくを待っている。
ドアを開けて目があう。ぼくが若いかけながら、「ただいま。ルイ、待っていてくれたのか。ありがとう」といって頭をなでてやり、一緒にリビングへ向かう。「とうちゃん、おいら、待ちくたびれたぜ」とでもいいたげに振り返るが、まだ、喜色満面とはいかない。
ぼくの着替えがはじまると、ようやく、エンジンがかかって服をひっぱろうとしたり、鞄のなかに顔をつっこもうとする。それでもまだ相手をしてもらえないのを知っているから、ぼくの行動を注視し、いつでも反応できる位置に座っている。それだけでも、ぼくは疲れが抜けていく。
本格的な遊びタイムは、食後、ぼくがソファーに移動してからだ。この相手がけっこう疲れる。しかし、それも現在(いま)だけの至福の時間。まもなく、おとなのわんこになってしまったら相手さえしてくれなくなるだろう。むろん、それでもいい。そこにいてくれるだけで……。
★アレルギーは好転しつつあり
土曜日、ルイの病院へ行った。先週もらった薬のおかげで口のまわりの赤みはピークをこえて落ち着きつつある。足のほうは治癒しているようなので、消炎剤を足用からアレルギー用に切り替えるとのこと。ほかにフィラリアも飲みながら、飲み薬ではないが、ノミやダニ用のフロントラインも欠かせない。
足のほうの症状はでていないものの、ぼくにはまだ一抹の不安が残る。それというのも、15.40kgという体重のせいだ。並外れた太い足だが暴れ方がハンパじゃない。
やっぱり、もう少し痩せさせないと思うけど、おやつの習慣をあらためかぎりむずかしい。
木曜日から予定しているキャンプだが、お医者さんからアレルギーは問題ないといわれているのでひと安心。予定している場所はこれまで20数年にわたって何度も出かけているホームグランドみたいなところ。きれいな白樺の森の片隅でのキャンプである。
今年は陽気がガタガタに狂っているから例年の常識が通用しないはず。とくに吸血昆虫類やらハチの跋扈に気をつけなくてはならない。去年の9月、別のキャンプ場だったが、ルイもぼくも吸血昆虫でひどい目にあっているだけになおさらだ。
夏の終わり、ぼくとルイに棲みついた心と身体の翳りを白樺の森で洗い流してきたい。