■ まさかの雨と雷におびえたのは
初日の夕方、食料の買い出しから帰ると雨になった。とっぷり日が暮れてからサイトへ戻ると心細いものだが、雨に追われていたのでそれどころではない。
まずはランタンに灯りをともし、まだ小降りのうちにとルイの散歩をすませてテントに逃げ込んだ。
事前の天気予報では、12日(木)から撤収予定日の15日(日)まで雨の予報はなく、敬老の日の16日(月)だけが傘マークになっていた。むろん、雨具は持参したが、傘を持ってこなかった。クルマにルーフボックスを積んでいた当時はいつも何本かのビニール傘を放り込んであったのであらためて積み込む習慣がなかった。
雨はすぐに本格的な降りになった。しかも、遠いとはいえ、雷鳴が聞こえてきた。向こうっ気はつよいが臆病を絵に描いたような女房は遠雷ながらすっかりおびえている。シェラが生きていたころは、雷となると女房とシェラのふたりがおびえるのでなだめるのにひと苦労だったが、いまのところルイは反応しない。
シェラも3歳になるまでは雷にも花火にも平気だった。臆病わんこのルイのことだから、いつ怖がるようになるかわかったものではない。
もし、雷がひどくなったらどこへ避難したらいいかの段取りだけを教えてぼくたちは食事をしながらテントの中で雨が通り過ぎるのを待った。
管理人の奥さんが、「雨がひどくなったらロッジへ避難してください」とわざわざ知らせにきてくれた。ロッジのひとつの鍵を開けておいてくれたのである。ありがたい。これを聞いてもう女房はすっかりロッジへ避難する気になっている。
■ テント中で行儀よく過ごす
幸い、9時を過ぎたころには雨はほとんどやんで、頭上の木から落ちてくる雨のしずくがテントをたたくだけになった。ぼくたちが食事を終える間、ルイはずっとおとなしくぼくの足元にうずくまっていた。
せっかくの高原だというのに、気温は低くても湿度が高いので汗ばんでしかたない。こうなるとシャワーを浴びる気にもなれず、濡れタオルで身体をふいてごまかした。元々、キャンプとはそういうものだった。
慣れない環境でルイが疲れ果てているのはひとめでわかる。ぼくたちはコットというキャンプ用のベッドで寝たが、ルイはコットの下の床で寝ていた。去年の9月のころは不安げにコットへ上ってきてぼくのシュラフに潜り込んできたが、いまはおとなしい。それだけ成長したということだろう。
寝るためにテントの入り口を閉じると、開閉のファスナーを気にしてしきりに鼻を突っこんでくる。去年、ファスナーの隙間に鼻をねじこみ、強引に開けて外へ出ようとしたことを覚えているのだろう。今度はきっちり閉めたのでそうはいかない。
かくしてぼくのコットの下でルイは朝までぐっすり眠った。
2日めは、朝こそ雲が残っていたが次第に切れて気持ちのいい秋晴れとなった。朝食後、女房とともに散歩に出た。どこへいってもシェラやむぎの記憶が濃厚である。ルイと歩いているのが不思議に思えてくる。
これ以上、死んだ子たちの思い出で悲しみを新たにすまいとの思いが無意識のうちにはたらいたのか、ぼくたちは早々にサイトへ戻った。
■ シェラとの最後のキャンプの思い出
午後になると従姉夫妻が到着した。にぎやかになってルイは大喜びである。従姉の連れ合いは、死んだむぎをことのほかかわいがってくれた。むぎもそれを知っていて、キャンプではいつも彼に張りついていたほどだった。むぎが家族以外に心を許すなんて珍しい。ルイも彼が犬好きだとわかっている。
去年の7月に八千穂駒出池キャンプ場で一緒だった彼らによると、去年のルイは暴れまくっていたそうだ。ぼくにも女房にもまったく記憶にない。一緒にキャンプしたことすら忘れていた。2月に死んだシェラのショックからまだ立ち直れていなかったのだろう。
いまテントを張っているサイト自体、たまたまシェラとの最後のキャンプとなった一昨年の9月のサイトの隣だった。気づいてもすでに気持ちが乱れそうにはならない。それよりも、ルイとのキャンプを楽しもうという意欲がまさってくれるからだ。
まだまだ落ち着きのないガキわんこではあるが、シェラともむぎとも違うルイならではの個性を発揮してくれそうだ。
その日の未明、南方洋上で発生した台風18号の影響で天気予報はさらに大きく変わった。ぼくたちが予定していた最終日の15日(日)が傘のマークに変わってしまった。こうなったらもう日程を1日切り上げて帰るしかない。
ぼくも9か月ぶりのキャンプで身体がなかなかなじみきれていなかった。早く帰るいい口実になった。この時期の2泊3日はぼくにとってもルイにとってもちょうどいい日程だったようだ。
仕事の段取りさえつけば10月も11月にも機会がある。とりあえず家に帰ろう。また出直してくればいいのだから。