☆降る雪にシェラを思い出す
午後6時30分、会社を出るとはらはらとヌカのような小雪が舞っていた。寒いので帰りは飯田橋から地下鉄に乗ろうと思っていたのに、ぼくは反対方角の九段方面へと歩き出した。雪を見て、真っ先にシェラを思い出していたからである。シェラがもし元気でいたら、この雪をどんなにか喜ぶだろうか。そんな思いが頭をよぎる。シェラの鎮魂のためにも、シェラが去って最初の雪のなかを歩きたかった。
雪が大好きだったシェラのために、雪が降らなかった年や、もう雪を望めない春先になると、ぼくたちは八ヶ岳の山麓や富士の裾野までクルマを走らせたものだった。道端の汚れた残雪でさえシェラは身体をこすりつけて喜んだ。冬はまぎれもなくシェラの季節だった。
☆激変したルイとぼくとの朝の散歩
雪で喜んでくれるシェラがいない今年の冬、例年と変わったのは、朝夕の散歩がルイだけになったことである。夕方は家人がやっているので、シェラが中心だったころとの落差の実際はわからないが、朝の散歩はルイとふたりだけで歩く距離が飛躍的にのびた。
シェラがいたころは、シェラが歩こうが立ち止まっていようが、30分ほどの散歩時間の大半をシェラのために使ってきた。むろん、その間もルイは一緒だったが、運動量はほとんどなかった。そのあと、シェラをクレートに入れて待たせ、ルイのためだけにふたりで急いで歩いた。時間にして10分足らず、距離も知れていた。
いまはルイのためだけに散歩時間のすべてのを費やし、ぼくのケータイの歩数計で、毎朝、2500歩を目安に歩いている。この間、ルイはあちこちでにおいを嗅ぎ、こまめにオシッコをかけ、それをぼくが持参の水で洗い流し、前日、あまり食べていないはずなのにウンコもきちんと3回排泄する。
排泄された量を見ると、「今日も食べなかった」という家人の言葉が信じられなくなる。もっとも、ドッグフードはほとんど食べないので、家人がご飯におかずをまぜた「特別食」を作ってやるとなんとか食べているそうである。
☆ルイにどうやって食べさせようか
昨日は会社を終業の定刻から遅れること30分ほどで出ていたので、家に帰り着いたのも早めだった。ルイの食器には、例によってドライの上にウエットがかけられたフードがもっこりと盛られて放り出されていた。
ぼくが食事をしている間、ルイはやっぱりお腹が空いていたのだろう、しつこく「ちょうだい!」とぼくや家人の膝に前足をかけてきた。むろん、ぼくたちはルイのわがままを無視した。
自分の食事が終わってから、ぼくはルイのドライフードをルイの別の食器に入れて与えてみた。「そのままじゃ食べるわけないでしょう」と家人は冷ややかである。たしかに、ルイはそっぽを向いた。ためしに食器をキャンプのときにシェラやむぎが使っていたスチール製の皿に変えてみたが結果は同じだった。
次の手段として、ジュリーさんやノエママさんのコメントでご教示いただいたとおり、「遊び」あるいは「トレーニング」もどきでやってみることにした。
まず、ルイに「おすわり」を命じ、それに答えた直後、ベタほめにほめてドライフードを手のひらに数粒乗せ、「ほら、いい子だからごほうびだよ」と差し出すと。条件反射のように口に入れて食べた。次に「お手」で同じことをやる。成功だ。次は「おかわり」、次が「伏せ」、「待て」と一巡して、あとはアトランダムにコマンドを発し、こたえるたびに大げさにほめて「ごほうび」としてやった。
後半は飽きてきてダレはじめたので、身体をひっくりかえして遊んでやったりしたあとに、もう一度、集中力を取り戻させて「トレーニング→ごほうび」で予定の分量をなんとか与え終えることができた。
「毎回毎回、そんなことやってられないわよ」とは家人の反応。「ルイちゃん、明日から、夜のご飯は全部お父さんから食べさせてもらってね」と(今夜の様子は写真つきで明日のエントリーに記す)。
食後は、ルイのリクエストにこたえてボール投げでとことん遊んだ。呼吸(いき)が上がってしまい、喉もカラカラに渇いても、まだルイは音を上げない。「もう倒れる前にやめよう」と言い聞かせて遊びタイムを終えた。ケージに入れてやると、死んだように眠ってしまった。
☆あきらかにルイの心に宿った深い闇
ルイの元気な様子を見ていると、単にわがままから餌を食べなくなっているようにしか思えないが、少なくともきっかけはシェラの呻吟がつづいた最後の夜にある。翌朝のルイの哀しみと絶望をないまぜにしたような険しい表情を思い出すとぼくはいまも胸が痛む。ルイはたしかに元気に遊ぶが、その裏で傷ついた心を抱えているとしたら、なんともやるせない。
あの朝のルイは、これからシェラが死地に向かおうとするのをすでに知っているかのようだった。むろん、シェラもまた、もう二度とここへは戻れないと悟った静謐をたたえた表情でぼくの腕のなかにおさまった。
やっぱりふたりとも、迫りくるシェラの命運に気づいていたのだろう。
親犬から離されてようやくめぐりあえた代理の母ともいいうべきシェラをまたすぐに失ってしまったルイの寂しさをぼくらは憫察してやるべきだろう。いかにもはかなげな細雪くらいでシェラの面影を追っているぼくなどの何倍もルイは寂しさを感じているのかもしれない。
食欲の減退ばかりではない。シェラの亡きいま、ルイが苛立っているのもたしかだ。具体的にはあらためて記すが、情緒不安定とでもいうようなルイの行動ぶりである。
むぎを、そして、シェラを愛してきたように、いや、それ以上の愛情でルイの心に宿った漆黒の闇を取り除いてやるのがぼくの急務だろう。
今はきっと虹の橋でむぎちゃんと楽しく遊んでいる
ことだと思います。我家のももも一緒にいるでしょうか?
自分の事と重なってしまって、なかなかコメントが
書けませんでした。
我家も15歳のリュウが少しでも長生きしてくれるようにと願っています。今は2歳のももがリュウの生きる力になっているようです。
ルイちゃんが食欲を取り戻してくれるように祈っています。それに、Hiroさんのブログ続けていただきたいな?と願っています。
15歳のリュウちゃんと2歳のももちゃんですか。
しかも、ももちゃんがリュウちゃんの生きる力になっているなんて素晴らしいですねぇ。
短い何か月かでしたが、シェラにとってもルイが少しは生きる力になってくれていたはずです。
むぎがいなくなって寂しそうでしたし、もし、ガンにおかされなければ、あるいは、腎不全が避けられていたら、やっぱりルイがシェラの生きる力になっていてくれたと確信しています。
リュウちゃんとももちゃんとの幸せな日々を大切になさってください。
いいお話をありがとうございました。