☆父母の遺品の写真から……
11月に母が不帰の旅へ発って以来、身辺で懸案になっていたいくつかの事柄がようやくかたづいた。ぼくの手元に父が遺した2冊の写真アルバムと数十枚の写真、そして、父がファイルしていた古い新聞や書きつけの類が届いた。
アルバムは「戦前」と「戦後」の2冊に整理してあった。戦前編は明治初期のものにまでさかのぼる。戦後編も昭和30年代までページがなくなり、あとの写真は封筒にまとめておさめられていた。アルバムには、子供のころ、何度か見た懐かしい写真がたくさんならんでいる。わが家を支えてくださった人々の肖像であり、わが家の歴史の一部ものともいえる。
呼ばれて縁の下から緊張しながら顔を出したコンリー
写真の1枚(上)には、実家で飼っていたコンリーという名の雑種のわんこが写っていた。父親にシェパード、母親は、柴犬というふれこみだったが、たぶん、雑種だったろう。ぼくが高校生のとき、中学生だった妹が同級生の家でもらったオスの犬である。ぼくが自転車で迎えにいき、学生服の上着のポケットに入れて連れてきた。
☆雑種の犬ならなんでもいい
コンリーは、わが家の三匹目のわんこである。初代のペルもペルの弟で、よその家から戻ってきた初代のコンリーも早世だった。それにひきかえ、二代目のコンリーは15歳まで生きて母がずっと世話をしていた。
わが家がいちばん活力にあふれた時代をともに生きただけに、いまなお、家族が集まると二代目のコンリーの思い出話で盛り上がる。彼もまたわが家の歴史の大切なファクターのひとつである。
家を建てるにあたり、ぼくが齢50にして犬を飼おうと強く思ったのは、このコンリーが忘れられなかったからである。とはいえ、雑種で同じような犬がいるはずもなく、とにかく「雑種の犬」を探した。出逢いこそがすべてだと決め、出逢った犬を飼うつもりで探しているときにシェラとめぐりあった。
真っ黒なコロコロした子犬だった。きっと黒いむく犬になるのだろうと想像して、それもまた楽しみにして成長を見守った。たれ目のオヘチャで、きっとまっ黒なチャウチャウみたいになるのだろうと想像していた。
☆なんでコンリーがいるの?
落成した新居にぼくの両親がきたとき、シェラはちょうど生後10か月くらいになっていた。リビングに連れて入ったシェラを見て、父も母も驚いて声を失った。あのコンリーにそっくりのわんこが入ってきたからである。
垂れ目の真っ黒なシェラがすっかり変わってしまった
生後半年くらいを過ぎたあたりから、シェラの毛並みも顔つきも激変していった。まるで、ぼくの心の奥にあるコンリーの面影を察知したかのように、シェラはコンリーとよく似たわんこに変身していったのである。
それはぼくにとっては不思議な現象には思えず、ごく当たり前に感じていたが、たしかに、父母が驚いたように、「なんでここにコンリーがいるの?」と思うほうが妥当だった。
あらためてコンリーの肖像を見ると、細部の違いはあるものの、ぼくにとってシェラはコンリーであり、コンリーもまたシェラだったと思う。オスとメスの違い、性格だって似てはいないが、どちらも従順で、犬としては情緒の豊かな子だった。
☆決して危害を加えない意思表示
せがれが生まれるまでのおよそ10年間、コンリーは家族の愛情を一身に受けて育った。しかし、わが家に初孫が生まれて状況は一変した。コンリーにとっては受難だった。
愛情のすべてが小さな闖入者に移ったことを敏感に察知した彼がもっとも心を砕いたのは、闖入者に対して自分には害意がまったくないと家族にわかってもらうことだった。
家の敷地内を自由に動いていた彼は、昼間、自分の小屋ではなく、縁の下の奥深くに隠れ、自らの気配をけんめいに消そうとした。勇気りんりん、近所の犬たちの番長のようなコンリーが烈しく怖れたのは、突然やってきた小さな闖入者というのがおかしかった。
この写真は、小さな闖入者にもようやく慣れ、その小悪魔が友達に見せようと呼んだので、縁の下の奥からおっかなびっくり挨拶に出てきた瞬間である。このあと、小悪魔とのキスをしている写真もあるはずだ。
むぎはひたすらおとなしく手のかからないわんこだった
☆ワンパクなんていまだけさ
こういう写真を見ていると、ぼくにはシェラがコンリーの生まれ変わりに思えてならない。シェラはシェラ、コンリーはコンリーだとわかっていながら、なぜか彼らがかぶってしまうのである。
むぎを喪った空白をいかんともしがたく迎えたルイではあるが、この子ばかりは、まったく「むぎの生まれ変わり」ではなかった。毛並みだけはだんだん似てきたが、その行動は似てもにつかない。むぎはたおやかなおとなしい子だった。手当たり次第何かをくわえて引きずりまわすようなワルガキではなかった。
そんなワンパクを絵に描いたようなルイに家人は毎日何度か切れているが、「ああ、あのころのヤンチャなルイは……」となつかしむ日がすぐにくることだろう。いまだけのワンパク、いまだけのヤンチャがぼくにはなんとも可愛くて可愛くてならない。
ぼくのスリッパをくわえて持ち去ろうとしている悪ガキのルイ
11月に母が不帰の旅へ発って以来、身辺で懸案になっていたいくつかの事柄がようやくかたづいた。ぼくの手元に父が遺した2冊の写真アルバムと数十枚の写真、そして、父がファイルしていた古い新聞や書きつけの類が届いた。
アルバムは「戦前」と「戦後」の2冊に整理してあった。戦前編は明治初期のものにまでさかのぼる。戦後編も昭和30年代までページがなくなり、あとの写真は封筒にまとめておさめられていた。アルバムには、子供のころ、何度か見た懐かしい写真がたくさんならんでいる。わが家を支えてくださった人々の肖像であり、わが家の歴史の一部ものともいえる。
呼ばれて縁の下から緊張しながら顔を出したコンリー
写真の1枚(上)には、実家で飼っていたコンリーという名の雑種のわんこが写っていた。父親にシェパード、母親は、柴犬というふれこみだったが、たぶん、雑種だったろう。ぼくが高校生のとき、中学生だった妹が同級生の家でもらったオスの犬である。ぼくが自転車で迎えにいき、学生服の上着のポケットに入れて連れてきた。
☆雑種の犬ならなんでもいい
コンリーは、わが家の三匹目のわんこである。初代のペルもペルの弟で、よその家から戻ってきた初代のコンリーも早世だった。それにひきかえ、二代目のコンリーは15歳まで生きて母がずっと世話をしていた。
わが家がいちばん活力にあふれた時代をともに生きただけに、いまなお、家族が集まると二代目のコンリーの思い出話で盛り上がる。彼もまたわが家の歴史の大切なファクターのひとつである。
家を建てるにあたり、ぼくが齢50にして犬を飼おうと強く思ったのは、このコンリーが忘れられなかったからである。とはいえ、雑種で同じような犬がいるはずもなく、とにかく「雑種の犬」を探した。出逢いこそがすべてだと決め、出逢った犬を飼うつもりで探しているときにシェラとめぐりあった。
真っ黒なコロコロした子犬だった。きっと黒いむく犬になるのだろうと想像して、それもまた楽しみにして成長を見守った。たれ目のオヘチャで、きっとまっ黒なチャウチャウみたいになるのだろうと想像していた。
☆なんでコンリーがいるの?
落成した新居にぼくの両親がきたとき、シェラはちょうど生後10か月くらいになっていた。リビングに連れて入ったシェラを見て、父も母も驚いて声を失った。あのコンリーにそっくりのわんこが入ってきたからである。
垂れ目の真っ黒なシェラがすっかり変わってしまった
生後半年くらいを過ぎたあたりから、シェラの毛並みも顔つきも激変していった。まるで、ぼくの心の奥にあるコンリーの面影を察知したかのように、シェラはコンリーとよく似たわんこに変身していったのである。
それはぼくにとっては不思議な現象には思えず、ごく当たり前に感じていたが、たしかに、父母が驚いたように、「なんでここにコンリーがいるの?」と思うほうが妥当だった。
あらためてコンリーの肖像を見ると、細部の違いはあるものの、ぼくにとってシェラはコンリーであり、コンリーもまたシェラだったと思う。オスとメスの違い、性格だって似てはいないが、どちらも従順で、犬としては情緒の豊かな子だった。
☆決して危害を加えない意思表示
せがれが生まれるまでのおよそ10年間、コンリーは家族の愛情を一身に受けて育った。しかし、わが家に初孫が生まれて状況は一変した。コンリーにとっては受難だった。
愛情のすべてが小さな闖入者に移ったことを敏感に察知した彼がもっとも心を砕いたのは、闖入者に対して自分には害意がまったくないと家族にわかってもらうことだった。
家の敷地内を自由に動いていた彼は、昼間、自分の小屋ではなく、縁の下の奥深くに隠れ、自らの気配をけんめいに消そうとした。勇気りんりん、近所の犬たちの番長のようなコンリーが烈しく怖れたのは、突然やってきた小さな闖入者というのがおかしかった。
この写真は、小さな闖入者にもようやく慣れ、その小悪魔が友達に見せようと呼んだので、縁の下の奥からおっかなびっくり挨拶に出てきた瞬間である。このあと、小悪魔とのキスをしている写真もあるはずだ。
むぎはひたすらおとなしく手のかからないわんこだった
☆ワンパクなんていまだけさ
こういう写真を見ていると、ぼくにはシェラがコンリーの生まれ変わりに思えてならない。シェラはシェラ、コンリーはコンリーだとわかっていながら、なぜか彼らがかぶってしまうのである。
むぎを喪った空白をいかんともしがたく迎えたルイではあるが、この子ばかりは、まったく「むぎの生まれ変わり」ではなかった。毛並みだけはだんだん似てきたが、その行動は似てもにつかない。むぎはたおやかなおとなしい子だった。手当たり次第何かをくわえて引きずりまわすようなワルガキではなかった。
そんなワンパクを絵に描いたようなルイに家人は毎日何度か切れているが、「ああ、あのころのヤンチャなルイは……」となつかしむ日がすぐにくることだろう。いまだけのワンパク、いまだけのヤンチャがぼくにはなんとも可愛くて可愛くてならない。
ぼくのスリッパをくわえて持ち去ろうとしている悪ガキのルイ
セピア色の写真に、ほのぼのとした温かいものを感じます。
我が家の老犬も、初代のわんこにウリ二つで、老いるごとに
ますます似てきます。フシギです。
ヤンチャのルイちゃんの表情が憎めないですね!
これからもお写真、楽しみにしてます。
シェラちゃんを見守らせて頂いた一人として、その後私も必死で我が家の愛犬との別れの哀しみと向き合っていました…。
来週からは『犬と生きる幸せ』にお引っ越しと知りました。もしかしたら我が家の愛犬がそれを教えようと導いてくれたのかもしれないです…。
これからは虹の橋へと見送った我が家の愛犬に見護られながら、私も日常を送っていこうと思います…。まだまだ喪失感の涙の毎日ですが…そんな日々の中で、これからはルイちゃんの成長とhiroさんの心安らげる日常を読ませて頂きつつ、私の心の支えにさせて頂きたいと思っています。
hiroさんとシェラちゃんからは大きな大きな優しさを頂きました。本当にありがとうございました。
☆ところで、シェラちゃんは本当にコンリー君だと疑いなく思います。とても可愛い優し気な瞳はそっくりですよね。もしかしたら、ルイちゃんもいつの日かむぎちゃんかと思う日が来るかもしれませんね…。
私も見送った我が家の愛犬といつか何処かで出逢えたらいいなぁ~☆
では、シェラちゃんむぎちゃんのたくさんの思い出の中で、hiroさんとルイちゃんと奥さまとの幸せ毎日をブログで楽しみにしています☆☆☆
お宅のわんちゃんも同じですか。
ほんとうに不思議ですよね。
ブログの記事にも書きましたが、わんこたちは、飼主の心に刻まれている先住犬の面影を読み取って、そのわんこのルックスになろうとするとしかぼくには思えないのです。
容貌もさることながら、「表情」になると、全部、その家の表情になりますよね。
だから、わんこは飼主さんによく似た顔になっている。
とってもうれしい不思議な現象です。
これからルイがどんなふうに成長していくか、楽しみながらここへ上げていくつもりです。
同じ悲しみを共有する者同士として、カーネーションさんのひと言ひとことが心に沁みました。
シェラを送ってまもなくひと月です。
思いがけないほどの時間を苦痛に耐えてわたしたちに看病させてくれたシェラに感謝しつつ、それゆえに思い残すことはなく、「シェラ、ありがとう」という思いでいまもいます。
最期の眠りについた瞬間を思い出すたびにいまも涙が湧いてきますが、悲しみではなく、半分は「楽になれてよかったね」との思いであり、もう半分は「ありがとう!」という感謝です。
シェラの性格上、わたしたちが悲しんでいるといつまでもこの世に想いが残ってしまうでしょうから、それもあって、「また会うときまで待っててくれよ」と思うことにしています。
カーネーションさんも、どうか見送ったわんちゃんとの再会を楽しみに、お心安らかにお過ごしください。
『愛犬と生きる幸せ』を教え遺してくれたワンちゃんたちは、今でも私たちのかけがえのない家族です…☆
ルイちゃんのためにもどうかHiroさんもお身体ご自愛くださいませ。