愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

怖い音いろいろ

2009-09-14 21:30:10 | 日記
☆音に対する反応の個体差
 シェラが雷や花火の音を怖がるようになったのは1歳半のときだった。
 ふたりでキャンプに行った福島の湖で「キーン!」という金属的な音の打ち上げ花火にパニック状態に陥った。このころから雷も怖がるようになった。打ち上げ花火の音は、本格的な花火だろうとおもちゃの花火だろうと同じだった。
 雷鳴は、われわれに聞こえないはるか遠くの音も拾って喘いでいた。
 
 その点、ムギのほうは、となりでシェラがパニック状態になっていてもまったく動じない。シェラを母親代わりにして育ってもまったく関係なかった。音については、学習するのではなく、生得のものだとわかる。
 
 シェラが平気なのに、ムギがおびえる音がある。カメラのシャッター音もそのひとつだが、恐怖に駆られるというほどではない。
 ムギがいちばん苦手にしているのが掃除機の音である。家人が掃除機の準備をはじめたとたん、ベッドが陰に隠れて、あるいは玄関へ逃げていく。
 シェラのほうは、掃除機が近づいてくるといまいましそうに移動するが、音に反応をするわけではない。

☆もう、怖くて、怖くて…
 最近のムギに怖い音がもうひとつ増えた。ミキサーの音である。
 ふた月ほど前から、健康のためとの理由で、家人がぼくと自分のために毎朝野菜ジュースを作っている。たいてい、朝の散歩から戻ってきて、わんこたちの足を拭いてやったあとにジューサーの音が部屋に満ちる。
 
 散歩から戻ってきたあと、シェラはキッチンの入口まで行って朝の食事を待っているが、ムギは寝室に避難しているか、廊下の向こうに待機して、朝の日課となった凶々しい音が鎮まるのをふるえながら待っている(写真)。
 ひとしきりのミキサーの絶叫が終わると、ようやくトコトコとシェラの横にはりついて朝の食事を待つ。まだ恐怖は去っていないから精彩のない表情のままだ。

 ぼくの健康維持と引き換えに、ムギに強いている朝のストレスである。
 ムギよ、ゴメンな。



怖い季節

2009-09-13 22:03:10 | 日記
☆花火がはじまった
 ぼくにとってもわんこたちにとっても忙しい日曜日だった。
 ようやく家に帰り着き、夕飯を食べてひと息つくひまもなく、近所で花火大会がはじまった。南でも、東でも、北側でも……。部屋の中にいると下腹に響く音で落ち着かない。

 以前のシェラだったら、雷鳴に遭遇したのと同様におびえ、大騒ぎになるところだ。一方、ムギは雷にも花火にもまったく動じない。ほかに苦手とする音はあるけれど……。
 シェラもある体験を境にして花火には少し免疫ができている。

 その“ある体験”とは――。
 3年前のゴールデンウィーク、わが家は長野・松本市の三才山にある「美鈴湖もりの国オートキャンプ場」へ出かけた。美ヶ原高原の入口に位置する標高1000メートルのキャンプ場からは松本の市街地を見下ろすことができる。夜ともなると松本の夜景が美しい。

 ゴールデンウィークの期間中、松本市のそこかしこでイベントが行われているらしく、朝から音だけの花火が派手に上がった。おそらく、イベントの開始に打ち上げられるのだろう、長くは続かない。

 それでもシェラにとっては地獄の責め苦に等しかった……はずなのだが、3日目ともなると、すっかり平気になっていた。
 その朝、シェラは「もうどうでもいいや……」とばかり、いかにも億劫そうに寝そべったままだった。10年の桎梏から解放された瞬間でもあった。
 
☆怖い言葉はちゃんと知っているもんね 
 今夜の花火はちょっと辛い。
 それだけに、以前のようにパニックにはならないけれど、やっぱり不安なのだろう。花火が終わってからもぼくの椅子のすぐ脇にきてしばし座り込んでいた。
 その顔には、「やっぱり怖い」と書いてある(写真左)。
 
 シェラにとって、夏は暑さのみならず、雷鳴もあり、花火もあり、心落ち着かない季節である。

 わが家では、いまだに「かみなり」も「はなび」も禁句である。それを口にすると、シェラは息遣いが荒くなり、口からはよだれが流れだす。だから、シェラの前では、「はなび」は「たまや」、「かみなり」は「ごろ」と言い換えて話すことにしている。
 
 言葉に対しては免疫ができないのが面白い。



冴えない休日

2009-09-12 22:02:58 | 日記
☆いつもと違う朝だけど…
 一週間の疲れがドッと出て、昨夜は早々と寝てしまった。おかげで休みだというのに、朝、早々と目が覚めた。

 7時過ぎにベッドから出て、昨夜、やり残してしまった仕事のつづきを終えてしまうために自分の部屋へこもった。
 
 シェラもムギも戸惑っている。
 トーちゃんは早く起きたけど、いつもと様子が違う。会社へ行くのか、それとも休みなのか……?

 落ち着かない様子で、シェラがときどき吠える。ムギも一緒になって動きまわっている。
 
 まもなく家人も起きてきた。
 「雨が降り出さないうちに散歩に行ったほういいわよ」と言われ、空を見るとたしかに雲が垂れ込め、視界も悪い。
 シェラとムギを連れ、急いで散歩に出かけた。歩きだしてすぐに雨が落ちてきた。

☆緑はるかに…
 夕方、雨の合間を見て近所の公園へ行く。芝生が生気を取り戻して青々と美しい。秋の訪れとともに枯れていく芝生の絨毯である。

 トチの木の葉もそろそろ秋色に染まりはじめる。この公園の木々はいまだ深い緑をとどめているけど、気がつけばまたたくまに枯れていく。

 夏の名残りもあと少しだ。天気が悪く、冴えない光ではあるけど、緑豊かな風景が気持ちいい。 
 今日はシェラも走らなかったけど、涼しさとともに確実に元気を取り戻している。
 芝生はこれから春までの眠りにつくが、シェラもムギも寒さとともにますます生気を取り戻す。毎年のことながら、ホッとできる季節である。


冷たい関係

2009-09-09 21:48:17 | 日記
     
☆なんか欲しいよ!
 昨夜は出先からの直帰となったため、いつもより1時間以上早い帰宅になった。
 時間が早いのがわかるのだろう、出迎えにきたムギはふだんよりも興奮していたし、シェラは不意を衝かれて登場が大幅に遅れた。まさか、トーちゃんだとは思わなかったらしい。
 
 久しぶりに女房と並んで平日の夕飯を食べた。ぼくの帰りが何時になるかわからないのでいつも女房は先にすませている。
 昨夜の夕食時、シェラの様子がおかしい。夕飯を食べ終えた女房のまわりをうろつき、見上げては吠えるのである。女房は知らん顔をしているけど、すぐに事情がわかった。ぼくがいないとき、シェラやムギは食事を終えたカーちゃんから何かしら残り物をもらっているのだろう。
 そういえば、土曜日や日曜日の夕食時、騒ぎはしないけどいつも女房に張りつき、物欲しそうな顔で凝視してはわんこ用のおやつをせしめていた。

☆聞き分けのよさ 
 日常の悪癖が露呈した瞬間である。女房は、「撫でて欲しいのよ」なんてとぼけているけど真っ赤なウソだ。ぼくが手を伸ばして頭を撫でてやってもシェラはまったく上の空。決して何も恵んでくれないトーちゃんのうっとうしい手なんかじゃまだとばかり振り払い、カーちゃんに「なんかちょうだい!」と訴えつづけている。
 
 ぼくはシェラを廊下のほうへ連れて行き、「ダメ! 静かにしろ!」と叱責した。首輪をつかみ、顔を寄せて、シェラの鼻先で叱りつけた。
 効果てきめんだった。鼻を噛みつかれそうな剣幕でトーちゃんに怒られ、シェラはしょんぼりとその場から去っていった。聞き分けのいい子なのだ。
 あとはずっと廊下の一角で寝ていた。

☆すねたシェラ
 今朝はいつもどおり6時に起床し、リビングに向かった。入口でシェラが寝そべっていた。いつものように、「シェラ、おはよう」と声をかけて頭を撫でてやろうと手を伸ばしたとたん、シェラ身を翻して逃げた。
 「ん? なんだ、それは……」
 
 テーブルの下へと逃げたシェラを追って、ぼくはもう一度手を伸ばした。その手を軽快なステップでかわして逃げるシェラ……。こんなことはかつてなかった。

 怒っているのである。昨夜、ぼくに怒られたことを根に持っているのだ。なんと執念深いヤツだろう。飼い主そっくりじゃないか。
 
 朝の散歩から帰り、足を拭いてやるとき、話しかけながら顔を寄せていくとぼくの顔をペロリと舐めてくれる……はずなのに、今朝はそれもやってくれなかった。
 会社へ出かけるとき、寝そべっているシェラに、「おい、シェラ、行ってくるぜ!」と言ったのに顔も上げなかった。これはいつものことだけど……。

 夜、さすがにどんな態度で迎えてくれるかと興味津々で帰ってみたら、シェラはいつも以上の熱烈歓迎ぶり。しつく顔を舐めにくる。今朝のことを一日反省して過ごしていたんじゃないかと思えるほど。やれやれの一日だった。


 【注=本文と写真は関係ありません】



孤独なムギ

2009-09-07 22:20:36 | 日記
☆なぜシェラがいちばんなのか
 「ムギちゃんは孤独な子なのよ。やさしくしてあげてね」
 女房から指摘されてぼくはようやく気がついた。
 
 家の中で、ムギがひとりひっそりとしていることがある。
 ふだんのムギは、彼女のお気に入りである観葉植物の大きな植木鉢の陰に寝そべっていたり、ぼくのベッドのカバーを剥ぎ、枕を出してそこへうずくまっていたり、あるいは、ベッドの脇にガムを溜め込んで、それを見張っていたりしている。
 そんなときは感じないのだが、シェラの近くにも寄らず、廊下に寝そべって所在なげに飼い主の様子をうかがっているムギの顔ににじんだ寂寥にハッとすることがある。
 
 声をかけてやってもおどおどした表情を見せるだけであまり反応しない。
 シェラとムギの二匹のわんこがいながら、ぼくたちの情愛がシェラに偏っているのは否めない。シェラが先住犬だというだけの理由ではない。ムギがシェラほどに飼い主のぼくたちに心を開かないできたからである。

☆ボスよりも頼りになるのは…
 わが家にムがきたとき、すでにシェラがいた。ムギにとってシェラは母犬だった。
 ムギがわが家になじんだころ、寝そべっているシェラの尻尾にそっとムギが寄り添った。シェラは拒否せず、やりたいようにやらせてやっていた。以来、またたくまにムギはシェラに張りついて寝るようになった。
 
 もうシェラしか眼中になかった。ぼくはたしかに群れのボスであり、女房は餌をくれる存在ではあったが、母親はシェラだった。シェラもまたムギにこたえて母親の役目を果たしてきた。
 ムギにちょっかいをかけるよその犬がいると、弱いくせに割って入り、文字どおり体を張ってムギを守った。

 「かわいい」といってムギを撫でに寄ってくる人間がいると全身で警戒した。ムギが少しでもおびえた素振りを見せると即座にその人間に吠えついた。
 いずれのときもぼくは傍観しているだけである。ムギにとって自分を守ってくれるのは群れのボスではなく、シェラだった。10年間ずっと……。

☆シェラの老いを感じて
 自分の保護者たるシェラに老いが忍び寄っている。母親が弱っているのをムギも感じているのだろう。
 お気に入りのガムを守るために、ときとして、シェラを威嚇することがある。シェラの衰えを読み取っているとしか思えない豹変ぶりだ。
 
 いま、ムギは10歳にして自立を強いられた。つまり、シェラから独立しなくてはならないと本能で悟ったのだろう。
 ムギを待っていたのは「孤独」だった。
 いまさら飼い主とコミュニケーションをはかるすべもなく、孤独な心を抱いてひとりでうずくまるしかないのである。ムギの孤独を少しでも和らげてやるには、こちらからムギに歩み寄ってやるしかない。
  
 「ムギ、一緒に寝ような」
 涼しい陽気を迎えたのをこれ幸いと、ぼくはムギを抱いて寝る。「迷惑だ」と逆らう勇気もなく、孤独なムギはぼくが寝つくまで、その腕に抱かれたままじっとしている。

        
           ねえ、ママ、寝てばかりいないで遊ぼうよ