愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

そんな悲しい目をしないでくれ

2011-12-25 23:25:54 | がんばれ、シェラ!

そんな暗く悲しげな目なんてシェラらしくないのに(24日)

☆もう立ち上がるのさえ大儀なのか 
 今日はぼくの母の納骨の日だった。午後2時に多磨霊園なので急ぐ必要はないが、シェラのコンディションが気になって、8時半に起きた。すぐに着替え、自分のベッドで寝ているシェラに朝の散歩に出かけようと催促しても起き上がってこない。身体を持ち上げようとしても動かないのである
 「もう歩けなくなっちゃったのか」と声をかけると、昨夜から泊まってシェラの近くで寝ていたせがれが、「いや、さっき水飲みに歩いていったよ」と教えてくれた。そうか、身体がだるいだけなのか。昨夜、遅くトイレ散歩に出ているのから排泄が切羽詰まってはいないのかもしれない。

 なかば強引にハーネスをつけ身体を起き上がらせるとようやく、ゆっくりとだが玄関に向かった。それでも歩みは遅い。立ち止まり、じっとしている。ぼくを見上げる目が悲しげである。この数日前から目の力がなくなった。ぼくや家人に向けるときの目がいかにも悲しそうだ。
 「そんな目をしないでくれ。シェラらしくないよ」
 ぼくと家人は異口同音にシェラにいってきた。


カート内で気分がすぐれないまま(25日)

 ほんとうは気分が悪いだけなのだろうが、まるで自分の命の限界を悟り、別れの悲しみを感じているかのように思えてならない。この子なら、そんな感情があっても不思議ではないといえば、他人様にはただの親バカ、犬バカにしか映らないだろうが、こればかりは当事者同士にしかわからない不思議な情感である。その目の中に「さよなら」を感じてしまうからだ。
 
☆朝晩二度の嘔吐に気持ちが沈む 
 散歩の途中でシェラが吐いた。黄色い胃液の中にいつ食べたのか草の葉が混じっていた。シェラはわりと吐く子である。草の葉と胃液を吐いたからといって、いまさら珍しくもないのだが、こんなときだけに心が凍る思いだ。吐いた直後の気分の悪さがかわいそうでならない。
 それでも家に戻ってからの朝ご飯はちゃんと食べてくれた。それだけでも安堵感にこちらの気持ちが軽くなる。
 
 そして夕方の散歩はシェラをクレートではなく、カートに乗せて外へ出た。しばらく歩かせたあと、カートに乗せてスーパーまで出かけた。気分転換になってくれればと思う。カートの前をいくルイは歩けるのがうれしくて大騒ぎである。家人がカートを押し、ぼくがルイを受け持った。


シャッターを押す瞬間、ルイが跳びかかっていた(25日)

 家人が買物をすませる間、ルイを見張りながらスーパーの外で一緒に待った。ちょっと油断をするとルイがシェラに跳びつく。シェラはカートの中でずっと座ったままだった。ここでもずっと悲しげな目である。だが、そうとは知らない人々には命の火が燃え尽きようとしている犬には見えないだろう。
 
 帰りがけ、マンションの前でカートから降ろすとすぐにウンコをしてくれた。もう一度、21.5キログラムの身体を抱き上げてカートに乗せ、家の玄関の前までくるとカートの中に吐き、出かける前に食べたおやつが出てきた。そろそろ胃腸が弱りはじめているのだろうか。
 ぼくと家人は顔を見合わせ、頷きあってさらに弱ってきたシェラの様子を無言のうちに確認した。


少しは気分転換になってくれたらよかったのだが(25日)

☆せめて17歳の誕生日を迎えようよ 
 まだ少し大丈夫かもしれないと思わせてくれるのが、食欲を完全には失っていないことである。ぼくたちの食事に寄ってきて何か欲しいと見上げている。肉ならば、「もっと欲しい。もっとちょうだい」とキリがない。こんなときの顔からはあの暗い表情の目は消えて、キラキラとした目になる。

 だが、今日の点滴は苦労した。250ミリリットルを入れるおよそ30分ががとてつもなく長い時間に感じられた。途中でシェラが嫌がって逃げようとするからである。シェラも疲れたろうが、こちらもヘトヘトである。
 それでも30分、家人とふたりで抱き締め、身体を、あるいは頭を、耳を、胸を、喉を撫でてやりながらやさしく語りかけるこの時間は、いまや至福のときである。これもまたひとつ、まもなく訪れるであろうシェラとの別れのセレモニーとなっている。


家での点滴はかなり大変だがシェラのためならば(25日)
 
 明日は病院へいく日である。きっと血液検査をやってもらえるだろう。好転するはずはないが、余命の時間がある程度わかるだろう。知りたくなどないが、心の準備にはやっぱり知っておいたほうがいい。
 シェラの暗く悲しげな目を見るたび、せめて一緒に新しい年を迎えたいと思う。シェラと出逢ったのが95年の4月、捨てられていた子だから誕生日はわからなかったが、生後3か月くらいということで、1995年1月1日が誕生日と決めた。だから、17歳になる元旦を一緒に迎えたいのである。
 

さらに悪化しているのがわかる

2011-12-24 18:14:39 | がんばれ、シェラ!
☆変わってないように見えるけど
 朝、目が覚めたのは9時30分近かった。仕事で出かける予定がある家人が飛び起きた。シェラはリビングで寝そべっている。オシッコをがまんしているに違いない。急いで着替え、散歩に出ようとするとルイがケージの中でトイレの外へオシッコをやってくれた。なんていうヤツだ。
 
 外でのシェラの様子は、一見、いつもと変わらない。すぐにたくさんオシッコをして、ウンコもやってくれた。ただ、だんだん歩く距離が短くなったのと、動作がのろくなっている。
 昨日と比べればさしたる変化はないように映るが、数日前の様子を思い出すと衰えは明らかである。日々、力強さを増していくルイがうらめしく見えるほどだ。

 散歩から戻り、フードをやろうとすると、においは嗅ぐが食べようとしない。とうとうそのときがきたかと暗然たる思いになる。食べられなくなったら5日から一週間と何度も病院で聞いている。
 WDというドライフードをお湯でふやかし、においづけにペースト状の餌を混ぜて与えている。昨日の朝はいつもの半分くらいしか食べなかった。今日はまったく口をつけようとしない。それでは、と家人がシェラの好きなお米のご飯に、昨夜のステーキを混ぜて与えてみた。さすがに牛肉だけはよく食べた。ご飯はまったく食べようとしない。


だるそうに寝ているこんな姿さえもまもなく見ることができなくなる(24日)

☆むしろ苦しまないだけいいじゃないか
 シェラもルイも、今日が休日でぼくが家にいるというのを朝から承知している。当然、いつものようにどこかへ連れていってもらえると思い込んでいて、落ち着かなかった。しかし、もう、シェラを連れての外出はやめたほうがいい。近所の散歩がせいぜいである。それも、歩ける距離は知れている。

 仕事で出かける家人をクルマで送りながら、あらためて確認する。
  ・シェラの死が近いこと。たぶん、年内がいいところだろう。
  ・シェラの死はもう仕方ない。16歳をたっぷり生きたのだから。
  ・ボケて徘徊したり、寝たきりにならなかったのがせめてもだ。
  ・16年間、ひたすら愛情を注いでやった。悔やむことは何もない。
 すっかり心の準備はできている、それでも、やっぱりいざとなったら悲しみに押しつぶされそうになるのは火を見るよりも明らかである。
 
 ひとりで家に戻ると玄関の前に寝て、シェラが待っていた。この子がもうすぐいなくなる。そう思っただけで喪失感がこみ上げてくる。
 ぼくのそばへ寄ってくるが、いかにもだるそうだ。目の力が日々弱くなっているのわかる。気分の悪い様子が全身ににじんでいる。これもまたしかたのないことだ。いや、むしろ、痛みで苦しみ悶える姿を見ないでいるだけでもよかったと思う。

☆夕方の食欲に胸を撫で下ろす
午後4時、夕方の散歩に出かける。今日は昼過ぎにシェラの夕飯用に鶏のササミを買いに出ただけでずっと家の中でシェラと一緒にいた。散歩も、オシッコをしたあと、最初の15分ほどは動こうとしなかったシェラだが、後半はずいぶん歩いた。帰りのことを憂慮して強引に引き返したほどである。


夕方の散歩では最初なかなか歩かなかった(24日)


いかにも気分が悪そうだった(24日)


しばらく歩いたらすっきりしたらしい(24日)

 家に戻ってから食事を作る。食べないかもしれないし、鶏のササミもあるからと定量の半分のドライフードにした。その前ににおいづけ用のペースト状のフードに飲み薬を混ぜて出してみると、すごい勢いで食べる。これは期待できそうだとドライフードのほうを出すとこれもガツガツと食べるではないか。
 朝、抜いてお腹が空いたのかもしれない。鶏のササミも一本分を与え、さらにドライフードも足してみると、においづけやら鶏肉が混ざるとさっさと食べてくれた。よかったと胸を撫でおろす。

 食べないリスクもあれば、片や肉を食べることで腎臓に負担をかけるリスクもある。いずれにしてもリスクがあるのならどうすべきかは明白である。


死期を早めても好きなものを食べさせたい

2011-12-23 21:17:30 | がんばれ、シェラ!

点滴で訪れた病院の待合室から逃げようとする(23日)

☆あと何日世話してやれるのか 
 休日の朝、午前中にシェラを病院へ連れていく予定はあったが、それでもせめて8時くらいまでは寝ていたかった。昨夜は、このブログのエントリーを上げるころになって激しい睡魔に襲われ、とりあえず投稿だけはしてそのまま寝袋にくるまってベッドで寝込んでしまった。
 シェラが動いていると気づいたのは、たしか午前5時30分ころだった。次にシェラの荒い息づかいで目が覚めた。2時間が経過していた。

 ハアーハアーいいながら玄関と廊下を行き交うのはオシッコがしたいときだ。決して催促はしない。「気づいてちょうだい! お願いだから……」とでもいいたげに、だが、遠慮がちに動きまわる。もっとせっぱ詰まってきてようやく玄関までいって吠える。
 シェラが吠える前にぼくはあわてて飛び起きた。こんな世話をしてやれるのだってあとわずかだろうから……。そう思っただけで切なさがこみ上げてくる。

 シェラをクレートに入れ、ルイを肩に抱いてエレベーターで1階におり、エントランスを横切って2枚の重い扉を押して外へ出る。ルイが重くなってきたのでけっこうな負担である。でも、それさえもいまだけの幸せと思う。


点滴の最中は寄り添ってやらなくてはならない(23日)

☆点滴を使うのはぼくの意志 
 今朝の散歩のシェラの様子はこのところと変わりなかった。動きが緩慢になっているであろうことは、日を追ってのそれこそ緩慢な変化だからあまりわからないのかもしれない。むしろ、日を追って力強さを増すルイの動きに翻弄されてなかなか見極められずにいる。

 祭日の病院は意外に空いていた。12時近くなると混んでくるのかもしれない。シェラの点滴をおこなうには空いてくれていたほうが気兼ねせずにすむからちょうどいい。
 今日は院長先生からの指示で、ぼくが実際に点滴をやってみることになった。文字どおり手取り足取りで教わる。明日と明後日は家でぼくがやることになる。昨夜のO先生も途中で顔を出して細かいところまで教えてくれた。


点滴の最中、不安がるとこうして抱きしめてやる(23日)

 シェラに対する点滴は、いくつかの選択肢の中からぼくが迷わず選んだものである。当面、毎日、病院へかよわなくてはならないということで家人には躊躇があった。ぼくが連れてきてやれるかどうかわからないという戸惑いである。しかし、点滴がいまのシェラにもっとも有効なら、なんとしてでもやってやりたかった。


☆少しでも楽にしてやるために 
 ただの延命ではない。院長やO医師の言葉は明快だった。血液検査の数値からみて、腎臓の機能はよくて30%以下、もしかしたら10%ほどに落ちているかもしれない。その機能でまわってくる毒素を懸命にきれいにしている。脱水症状にもなり、両方の影響で全身がだるくなっている。
そうした腎臓の働きを助け、身体を少しでも楽にしてやるための点滴なのだという。

 シェラが痛みを感じていないのかをしきりに心配していた家人はその説明を伺って少し気持ちが和んだようである。
 寿命を迎えたシェラを送ることはしかたない。しかし、可能なかぎり痛みや苦しみを軽減してやりたい。それがぼくと家人の切なる願いである。だからこそ、点滴はただの延命ではないのだ。先生たちの言葉を借りれば、病気のつらい症状を軽くする「手助け」の手段なのである。


夕方、買いものに近くのスーパーまで散歩がてら出かけた(23日)

 今日、シェラの晩ご飯はステーキである。食べられるうちに、おいしいものを少しでも食べさせてやりたい。たんぱく質は腎臓の負担を増やすからもってのほかではあるが、それで死期が2、3日早まってしまったとしてもいいじゃないかと思う。せめて最後においしいものを食べて、「ああ、おいしかった」と幸せを感じてくれればそれに勝る喜びはない。
 お相伴にあずかれるルイはもっと幸せものである。


治療と延命のはざまで

2011-12-22 23:52:45 | がんばれ、シェラ!

やっぱり家にいると顔がなごんでいる(22日)

☆自宅での点滴をやりましょうか
 今日の拙稿も昨日の記録からになる。
 午後7時半に病院へ到着。院長はじめドクターの方々がそろっている。遅くまでお疲れ様である。待合室のシェラは、前夜ほどではないもののかすかにふるえていた。名前を呼ばれて処置室に入ろうとすると嫌がった。抱き上げ、処置室の台の上に置く。体重21.58キログラム、昨日と変わりない。点滴をはじめる前に、「今日は血液検査をやってみましょう」ということで前足から血液を採取する。シェラは院長先生にはなすがままである。

 やさしく、毅然とした先生である。ぼくたちはこの院長先生と病院に全幅の信頼を寄せている。せっかくのいい病院だったのに、引越しで仕方なく変えざるをえなかったときもあったが、この病院とめぐりあうまでは不満の連続だった。自信なげな先生、乱暴な先生、ぶったくりの病院……いろいろ変遷してようやくこの病院へたどりついた。シェラが最後にこの先生のお世話になれるだけで満足している。「シェラ、いい先生でよかったね」と常日頃からいっているくらいである。


シェラがいて当たり前の日がまもなく終わろうとしてる(22日)

 血液検査の数値は変わってなかった。先週、悪化してから点滴で持ち直し、そこでとまっていた。すでに腎臓の70パーセント以上の機能を失い、回復は望めないものの、まださらなる悪化の段階へは移っていなかった。この日、200mlの点滴をおこなった。
 
 問題はこれからどうするかである。院長からはいくつかの選択肢を示された。フードによる対応、薬による対処、点滴の持続、そして、何もせずに経過観察をすること等である。ぼくは迷わず点滴を続けることを選んだ。
 「毎日通うのは大変でしょうから、おうちでやれるようにしましょうか」
 家人はためらったが、ぼくは「お願いします」と返事をした。病院でふるえながらやるよりも家でやってやったほうがいいと思ったからだ。
 「二度ばかり練習すればすぐに覚えますから……」
 院長の言葉を聞きながらぼくは覚悟を決めた。

☆決して見捨てないからね
 今日も午後7時に家に戻り、クルマで病院へ出かけた。今夜の待合室のシェラもまたかすかに震えている。今夜は院長先生ではなく、若いほうの先生である。このO先生にもまたぼくたちは院長と同様の信頼を寄せている。
 さっそく、O先生から点滴の方法を詳しく教わる。最後にO先生が手書きの図解入りの説明書をいただいた。


病院の待合室でふるえながら呼ばれるのを待つ(22日)

 月曜日からはじまった平日の点滴で、ぼくが連れてきたのは今夜で3日目、一昨日は家人にシェラを任せて近くの公園へルイを散歩に連れていった。不安がるシェラに家人が寄り添った。そして、昨日はぼくがシェラの身体をくるむように抱いて寄り添った。
 どのくらいの時間を要したのだろうか。最初に15分か20分といわれているのでそんなものなのだろう。診察台の上で荒い息を吐きながら点滴を受けているシェラに寄り添っていると時間が二倍ほどに感じられる。


点滴を受けながらふるえはとまったが緊張で呼吸が荒くなっている(22日)
 
 助かる見込みがまったくないシェラに、はたして点滴を受けさせて、“延命”をはかることがいいのだろうか? 。動物を飼ったことのなり人の目には、「ペットにそこまでやるの?」と映るだろう。しかし、人間も医療の恩恵を受けながら生きているのと同等に、大切なパートナーである犬や猫たちに医療を施すのは当たり前である。ぼくたちが決して見捨てないと信じながら犬たちも一緒に生きてきているはずである。
 この問題は、次回、稿を改めて考えてみたい。


まだ衰えていない気力に望みをつなぐ

2011-12-21 21:26:22 | シェラとルイの日々
☆病院でふるえていたシェラ
 昨日のレポートである。
 平日の午後7時過ぎの動物病院の待合室には先客がひと組いるだけだった。可愛いシェルティーがふるえながら飼主の足許に座っていた。飼主さんの話では、この子はクルマが大嫌いなのだという。ときおり、病院の前を通るクルマが怖いのだそうだ。でも、怖いもの見たさでついのぞいてしまい、ふるえている。

 それを話を聞きながら足許にいるシェラを撫でてやろうとすると、シェラもかすかにふるえていた。そういえば、いましがたも病院へ入りたがらなかった。これまでシェラがそんな態度をしたことは一度もない。本来、弱虫わんこではあるがこれは異例だった。点滴が怖いのか、それともひと晩、この病院の狭いケージに閉じ込められて過ごした悪夢の記憶がよみがえったのか……。


 診察を終えた先生の説明によると、体重が落ちはじめているという。食べられなかった日が2、3日あったのだから当然だとも思うが、体重が減っていくのは危険の兆候らしい。たぶん、1キロほどの減少したようだ。
 一見、食欲は元に戻ったようではあるが、食事のあとのおやつなどをほしがらない。それでいて、ぼくたちが食べているものは以前以上にほしがる。これはひとえに家人がますます甘やかしているからだ。昨晩も、病院から帰ってからの夕飯で、鯒(こち)の刺身を全部シェラに取られたと嘆いている。むやみに食べ物をやるほうがいけないのだが、こんなときなので黙っていた。

☆今夜の散歩は一緒にいこう
 10時過ぎ、家人のところねにじり寄ったシェラが今夜もなんとなく落ち着かない風情を見せはじめた。もともと家人に甘えっぱなしのシェラではあるが、身体が衰えるのと比例して家人への依存がますます高くなった。夜の散歩も家人のところへいって、「外へいきたい」と訴える。「最後はお母さんじゃないとダメなのよね」と、家人はまんざらじゃないが、連れていくのはいつもぼくである。

 昨夜はルイも一緒に連れ出した。ふたりが一緒に散歩できるのも、そう長くないだろう。シェラにしてみればルイは鬱陶しい存在かもしれないが、ルイにしてみればお母さんわんこに出逢えたようでうれしくてならないのがわかるからだ。いつもケージに閉じ込めているルイにも、少しくらいはシェラとの楽しいひとときプレゼントしてやりたい。そう思って連れ出した。


 外でのルイのはしゃぎぶりは大変なものだった。油断するとシェラに跳びつき、じゃれようとするのは相変わらずだが、それ以外はシェラのマネをして、シェラがにおいを嗅いでいれば写真のように一緒に顔を突き出していた。心身ともに疲れるが、多頭飼いならではの喜びをもっと味わっていたいと痛切に思う。だから、シェラ、まだまだ元気でいてくれと心の中で祈った。

☆シェラがルイに見せた教育的指導
 そんなぼくの気持ちがシェラに通じたのであろう。家に戻ると、ビックリするようなことが目の前で起こった。シェラがルイにマウンティングをやろうとしたのである。
 ルイをすぐにケージに入れてしまうのがかわいそうで、しばらくソファーの上に乗せておいた。ルイは高いところが怖いので容易に降りることができない。したがって、シェラにじゃれつく心配はないからだ。

 ところが、昨夜はシェラがルイに寄ってきた。しかも、顔を近づけ互いににおいを嗅ぎあいながら仲良しぶりを見せてくれた。もう、すっかり仲間になったとぼくたちは目を細めて眺めた。ひとしきり顔を寄せ合ってからシェラが去ったあと、ぼくがルイを床におろし、転がしながら遊んでいると再びシェラが戻ってきた。そして、腰をかがめマウンティングのポーズをとったのである。


 むぎが生きているときにはしじゅうむぎにやっていた行為である。特に外出から家に戻るとよくやっていた。ぼくたちはこれを「シェラの教育的指導」と呼んでいた。シェラのマウンティングを見ていると、自分の支配性、優越性を示すというよりも、あたかも、外でのむぎの態度をたしなめているかのような、まさしく「教育的指導」のように見えたものだった。それをいま、ルイにもやろうとしている。ルイに対してのシェラの初めての教育的指導である。

 とはいえ、いまや身体の自由がきかないシェラにとって動きの早いルイにマウンティングを仕掛けるのはとうてい無理である。そんなことをしたらすぐにルイの逆襲にあって転がされるのがオチだ。しかし、シェラの最後の衝動も満たしてやりたい。
 ぼくはルイを押さえ込み、シェラのほうにルイのお尻を向けた。不完全ながらシェラはルイにのしかかり、自分の腰を振って見せた。何度かそうやって遊んだ。


☆気力だけは失っていないから
 今朝のシェラは、昨朝とは違って、ぼくが「さあ、散歩にいこう」と身体を撫でてやると、ゆっくりだが立ち上がり、ゆらゆらと玄関に向かってくれた。クレートへの出入りが次第にしんどくなっているのがわかるが、今のところは時間がかかるもののなんとか自力で乗り降りしてくれる。それもいつまで続いてくれるのだろうか。
 
 昨夜のシェラの気力にぼくたちはかすかな望みをつなぎながら年の瀬を迎える。