え~一人旅は
艮神社まで書きましたね。
続きを書いていきます。
ーーーーーーー
艮神社を出たところにあるのが
千光寺ロープウェイ乗り場です。
結構多くの観光客が集まっていますから、
周りにお土産屋さんや飲食店も
並んでいます。
ああ、うまそ~というお店もありましたが
時間も早朝に送ってもらったのでまだ早いし、
それにこの日の昼に食べようと
思っていたのは決まっていたのです。
それは「尾道ラーメン」です。
鳥ガラに平子イワシのスープ、
豚バラを入れるなど種類は
結構豊富なようです。
さてどんなラーメンを食べようかと、
まあそれもまた楽しみのひとつでした。
まあ、ここはまだお店に入らずに
次に進んでいきましょう。
次は妙宣寺と慈観寺。
坂道と並行につけられた横道を入っていくと、
ここが妙宣寺です。
この寺は古寺というには
ちょっと新しいです。
幕末明治維新の史跡です。
加藤清正の清正堂というのがありました。
京都の琵琶湖疏水の近くにあった
本圀寺の彼の墓にも行きましたねえ。
どん底からはい上がった彼は
開運勝利の神様と尊崇されましたからねえ。
尾道のこんなところにも
祀られています。
そして慈観寺はというと、
この寺は難民を使って
建てたんだそうです。
さぞや経費を安く、とお思いかも
しれませんが、じつは
天保の大飢饉のときに機転を利かせて
難民で建てたそうで、
おかげで尾道では一人の餓死者も
出さなかったんだといわれています。
時宗のお寺の境内には、
根元で日本に分かれた夫婦松があったり、
有名な画家が描いたりする
ふすま絵もあるそうです。
それを書いたのが
平田玉薀。
江戸時代末期の女流画家です。
この名前、ちょっと聞き覚えないですか?
そうあの一番最初のお寺持光寺に
お墓があった人ですねえ。
画家である「頼山陽」と
暑い日々をすごした人で、
なんかもう彼女のことは
小説になりそうな感じなんですが、
誰か書いているのかなあ。
あればまた読みたいなあ
と思っています。
こういう仕事をしている人は
後世にまで作品が残っていいですねえ。
doironの作品も少しは
残ったりするのかなあ。
孫の世代とその次くらいまでは
楽しんでもらえるかもねえ。
頑張って楽しみながら
作品を残していきましょう。
まあそういえばこのブログも
残っていたらいいですねえ。
ご先祖が旅したところを
歩いてみましたなんて言う
子孫が出てきたりしてねえ。
さぞや歩きがいがあるでしょうって。
この慈観寺のもう一つの特徴が
ボタンの花がとっても
きれいなことだそうです。
ああ季節は違いましたねえ。
仕方ないですねえ。
ではこういう道を歩いて
次のお寺を目指しましょう。
段差のないこういう道は、
あちこちでつながっているんでしょうねえ。
意外にもこういう狭い道でも
車がどんどん入ってきます。
でもなんか欲求不満に
なりそうな感じがしますねえ。
広い道に出たらぶっ飛ばしたくなるような。
それに都市計画なんかも
きっと大変でしょうねえ。
「ああ、ここの道は段差がないように
しないと車が行き詰ってしまうよ」
みたいな見当が激しくされるんでしょう。
そして地蔵さんなんかを眺めながら、
階段道を上がっていきますと、
そうここなんです。
階段を登り続ける重機みたいので
荷物を運んでいます。
いやあ、大変です。
荷物はまあいいですよ、
こうして運べるからね。
でもねえ高齢者はどうするんでしょう。
階段に囲まれた場所に住んでる
高齢者は動けませんよねえ。
人間を快適に歩ける坂道高齢者カー
なんてあったりしてね。へへ
そうしているうちに天満宮に到着です。
こんな道標も道にありましたよ。
それにしてもここに住んでて
人に自分の家を教えるとなると
大変ですよねえ。
尾道の人たちの日常生活の
大変さが歩いているだけでも
ひしひしと感じますねえ。
と続く。