神戸の山麓リボンの道は
神戸の東のところから歩き始め
今年の春に須磨離宮に到着しました。
ブログでは30話を終えたところです。
過去のブログを見てみると、
御影から摩耶山、異人街、
鵯越と進んできましたねえ。
で、今回は今年の春に歩いた須磨の
その続きを歩いていくことにします。
今回の目標地は、
日本で一番乗り心地が悪い
という乗り物がこの先にありますので、
それへの乗車が大変楽しみとしています。
ではまずは目的地の「須磨」へと
車で向かいましょう。
車でとなるとやはり駐車場が必要ですねえ。
前回、このコースを歩いた時に
チェックしてあったので、
1日最大設定のある須磨離宮公園の
駐車場へと向かいました。
結構山中ですので、リボンの道までは
少し歩きます。
そして須磨公園前交差点に出たところから
リボンの道が続いて行きます。
方角的には少し海の方に向かって
下がっていくような感じです。
半年ぶりのリボンの道ですねえ。
なんかこの辺りの町の雰囲気が懐かしいです。
須磨池のところに出ました。
この池の向こうが須磨寺ですねえ。
寄っていきましょう。
おっとその前にここの須磨冷泉を
見ていきましょう。
ここの霊泉は須磨寺町の堂谷池周辺から
湧いているといわれています。
みていると、次から次にいろんな人が
水を汲みに来ています。
この冷泉は昔の水害の時に加えて、
あの平成7年の阪神淡路大震災の時に、
多くの人を救った水源だといわれています。
注意事項など張り紙もいろいろ張られていて、
大事にされているんやなあ
とよくわかります。
そんな冷泉から少し歩くと
須磨寺の入り口のところに
やってきますねえ。
この寺の正式名称は上野山福祥寺ですが、
地域の人に親しまれて
通常、須磨寺と呼ばれています。
漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き上げ、
その聖観音像を安置するためのお寺です。
源平の時代からあるもので、
平敦盛遺愛の「青葉の笛」や
弁慶の鐘、敦盛首塚、義経腰掛の松など、
多数の重宝や史跡が存在するお寺です。
では中に入っていきましょう。
長い目の参道が続いて行きます。
参道に面した家には、
介護事業所なんかもありますねえ。
で、右手も左手も小さなお寺があり、
右なかほどにはネパールのお寺を模した
寺院があります。
中に入ってみるとやはり日本のとは、
雰囲気が違いますねえ。
ここには世界の仏像が置かれているようです。
そのお寺の名前も亜細亜万神殿。
他国の仏教に触れるところです。
その先で龍華橋を渡ると、
右手に池があります。
これが大震災の教訓を胸に刻み、
なくなられた方々の追悼で
作られた観音池です。
そしてその向かい側には、
広い戦場のような庭があり、
馬に乗った武士の銅像が
二体置かれています。
源平の庭と名付けられていますが、
平敦盛と熊谷直実の最後の姿です。
こういうのを見ていると
なかなか本尊にたどりつきませんねえ。
頑張って進んでいきましょう。
本尊では堂内で誰かが
お参りをしていましたねえ。
大きなお経が響いています。
寺の横にはこんな巨大な数珠が
ぶら下がってますので、
それに持たれてお参りしておきましょう。
あ、そうそう弘法岩と名付けられ、
石のところに三鈷が置かれていますねえ。
空海が投げたものという
触れ込みですかねえ。
しっかりおがんでおきましょう。
そしてここには四国八十八カ所の
お砂ふみもあるんですねえ。
ある時、源義経が16歳の敦盛の首を
確かめるときに座ったのがこの松です。
どんなふうに座ったのかなあ。
わかりませんね。
他重の塔が東の方に見えているので
歩いていくと、そこには
敦盛の首塚があります。
小さな塚ですねえ。
もっと巨大なものを想像していました。
これらの遺物なんかを眺めて、
須磨寺は終わりです。
なかなかいいお寺でした。
では、リボンの道の
続きを歩いていきましょう。
続く