ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

太子道10 川西町へ

2018年12月17日 21時12分17秒 | ウォーキング

では巨大聖徳太子の足元にある
案山子を見てみましょう。



ここには西郷どんが犬を連れて
立っていますねえ。



それをカメラで撮影しているのが
「MHK」のカメラマンでした。



これは落穂ひろいですねえ。
のどかな秋の風景ですねえと、
この絵は単に景色を楽しむものではなくて、
貧しい人々が他人の畑で
落穂を拾って食つなぐという
貧しさをも表しているんですねえ。



服はこちらの方が派手ですが
上手に再現されています。

こんな亀に乗った浦島太郎もいますねえ。



そしてでっかい聖徳太子の



足元には黒駒もいますよ。



そこには、この取り組みの
看板も立っていましたねえ。

そんな安堵町は人口約7500人。
一般会計予算で33億。
特別会計を合わせても、
年間57億の年間予算だ。

頑張って人間と案山子を合わせて
人口を10000人を
目標にしているらしい。

まあ町内のスペースから見れば
十分な目標なんですが、
なかなかこんな高齢化社会で
増加はむつかしいよなあ。
doiron自身も「安堵町」なんて
ここに来るまで知らなかったもんなあ。

町の人々がこうしていろんなアイデアを
出して案山子づくりをしてる
なんてもっと宣伝したらいいのにねえ。

教育はどうかなあ、
高齢者対策はどうかなあ。
施策はよく知らんけど、
まあ静かないい町です。
頑張ってねえと応援しときましょう。

さて太子道はここから南に続いていきます。
太子は黒駒に乗りながら
往きは
「やっと法隆寺に近づいてきたぞ、
仕事とするぞ」
そして帰りは
「さあて飛鳥に帰ったらビールでも飲むかあ」
って考えていた頃合いですな。

ああ、この道も歩きましたねえ。



大和川改修の時にここに
移転してきたというこの杵築神社にも
お参りをしましたねえ。



この神社から今度はまた南向いて
歩いていくことになりますが、
まあこのコース取りは初めてです。

きょろきょろしながら
歩いていきましょう。



左手には、前回とても気持ちのいい場所だなあ
と喜んで休憩したあの
「馬場塚五輪塔地輪附馬場塚」と
名付けられた遺跡が見えています。

まあこれは聖徳太子より
後の時代ですけどね。
でもきっとこんな風に日陰のない地域では、
太子の大好きな休憩場所とか
あったんでしょうねえ。

古い家が立ち並ぶ田舎道を



歩いていきます。
前方には大きな堤防らしきところが
見えていますねえ。

地図を見ると「大和川」のようです。



この辺は大きく付け替え
してないんでしょうねえ。
地蔵さんや



地元のお寺を見ながら



堤防に上がり、「馬場尻橋」を
渡っていきます。



この橋は昔はかつて

「新太子橋」

と名付けられていたそうです。
そしてもっとさらに昔は、
川底に木を渡しただけの
流れ橋だったそうです。



そういえばなんか川底の様子が
ちょっと周りと違っているように
見えたのは気のせいかなあ。



この辺りではロードバイクに
乗っている人たちを多く見ましたねえ。

大和川ってこんな練習コースが
続いていたりするのかなあ。

一度もバイクで来たことが
ないなあとか思いながら
地図を見ていましたら、
ああランニングでは来たことがあるなあ。
職場から一度どんどん東向いて
走って行ってみようと思い、
ロング走に来たなあ。

ウルトラの練習を始めたころに
わけわからんままロングの練習を始めて、
先のことを考えずにメタメタ走って
いたころだったなあ。

途中で帰らなきゃと、
田原本線の電車に乗って
汗だくのまま帰宅したことが
あったのを思い出しました。

いやあ、もうなんか世の中の中心が
自分で、世間はランニングメインで
動いているみたいな
そんな時代だったんでしょうねえ。





川から景色を眺めると
この辺りは飛鳥川が
そそいでいたりしますねえ。
湿気の多い土地だったんでしょう。

続く