ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

太子道9 安堵町から

2018年12月16日 21時49分12秒 | ウォーキング

太子道も南北から歩き始めて、
ブログではもう8話となりました。

同行二人じゃないですけど、
聖徳太子とぼちぼち二人で
歩いているようなそんな散歩です。

ああ、太子はこんな景色を眺めたのかなあ。



こんな花や木も同じように
眺めたのかなあ。



タチションしたかなあ。
ここのコンビニにも寄ったかなあ。
などと妄想は膨らみます。

こんな太子道の続きを
早く歩いてみようと
思っていたのですが、
ちょっと天気の悪い日が続きました。
行きたいところがあるのに、
出かけられないのはストレスですねえ。

そもそもあまりストレスのない
暮らしを送っていますから、
これくらいは全然歓迎ではあるのですが、
ちょっと悔しいですよねえ。

そこでまあ、天気の加減を見つつも
いけそうな日を選んで、
よーしと出かけていくことにしたのです。

予報を詳しく見ながらね。

前回は飛鳥から八木に向かって
歩きましたので、今回は北から
南へと歩いていくことにします。

法隆寺から安堵町までは歩いていますので、
その続きということですねえ。

でもねえこれはちょっと
厄介ですねえ。
もし車で行くとなると、
頑張って歩いてから車に戻るのが
路線が変わるので厄介です。
遠回りをしないといけません。
でもかといって車じゃないと、
全部電車では大変不便な感じです。

まあ、頑張って元の位置に
戻れるような電車などの
交通機関をしっかり検討したうえで、
歩くことにしましょう。

まずは車で「法隆寺駅」に向かいます。

空は曇り空ですが、
降水確率は低いので大丈夫だ
と予想していました。

法隆寺駅でなじみの
安い駐車場に車をとめ、
さあでは安堵町まで歩いていきましょう。

以前は天理軽便鉄道の痕跡を
探しながら歩いたコースを
逆行ですね。
住宅街を抜けて田んぼ道の方に
入って行きますと、
跡地のところにこんなワイヤーの
カバーのようなものが
いっぱい落ちています。



軽便鉄道の関係物品かなあ。

それと、水路のところにも
こんなレンガ敷きがありますよ。
これは間違いなくかつての線路下でしょうねえ。



こんな秋の景色の中を
ルンルンと進んでいきます。



ああ、ここの交差点には
安堵町があかりのまちと
書かれていますねえ。



もうこのブログの読者なら
わかりますよねえ。
ここで灯芯引きしたイグサが
和ろうそくの芯に
使われていたんですねえ。
湿り気の多い土地で
イグサが育ったのでしょう。
ま、そういう土地だったから
あかりのまちなんですねえ。

そんな案内を見ながらも、



ここが軽便鉄道の跡地かな





と想像しながらたどり着いたのが、
飽波神社です。



ここから太子道に合流ですね。

ここでよっこらしょっと
太子も座って休憩しはりましたね。



その神社から南向いて歩いていき、



この高架下の高塚のところから



先が太子道の未知の部分になります。

太子未知といいます。

あ、高塚というのは別名では鷹塚です。
お殿様が鷹狩の鷹を埋めたとか、
太子の可愛がっていた鷹を
埋めたとか言われるところです。



ここからまっすぐ南に下っていく
通りを歩いていきましょう。



車はあまり通らないのですが
広い道ですねえ。
今は紅葉もきれいです。



あ、その先に空き地があって、
そこに案山子がいっぱい立っていますよ。







そう安堵町ではこうい案山子作りも
今は熱心なんですねえ。

それにしても、こんな駐車場みたいな
ところにいっぱい案山子が
ありますねえ。
どんな活動をしていたら
こんなところに案山子が集まるのでしょう。

と、そんなことを考えながら
歩いていると、ああ、そうかあ、
ここはあの巨大案山子の聖徳太子が
立っているところだったんですねえ。



秋口の斑鳩を歩いた時と、
ところどころで経路が重なります。

続く