鬼怒川決壊、洪水騒ぎで、先週は持ちきりだった。濁流に押し流される家、水に浸かった家屋や自動車、どれだけの人を不幸のどん底に突き落としたことか。こんな大惨事をいったい誰が予想しただろうか。これだけの惨劇を引き起こした空も、翌日にはすっきり晴れ、嘘のようだ。東日本大震災の津波もそうだったが、今回も、現実離れした光景が一日中、テレビで流されていたが、どんな思いでテレビを観ていたのだろうか。あそこに自分が住んでいたらと思うと、悲痛と混乱が押し寄せ、背筋が冷たくなってくる。自然の力に比べ、人の力はこれほどまでに非力だったのかと改めて思う。被災地のみなさんが元気な笑顔を取り戻せるよう祈るばかりだ。
ところで、江戸時代、江戸の街は何度も大火に襲われ、ほとんどが消失し、そして、復活してきた。当時は、ほとんどが木と紙でできた家で、燃えてしまえば、後が残らない、瓦礫の処理も、楽だったと思う。そして、住民の多くが長屋住まいで、持ち物も今では信じられないくらい少なかった。大きな風呂敷に包んで、持ち運べる程度のものだったらしい。古道具屋や古着屋や貸布団屋がはやっていたという。焼け出されたといっても、一時的に住む家に困ることがあっただろうが、今のように自分の家というわけではないので、借金が残るということもない。一方、大家は、耐火の蔵を持っていて、火事から財産を守り、そして、新たに借家を建てる。長屋ができれば、店子が戻ってきて、また、元通りの生活に戻る。その繰り返しだったようだ。
そんな江戸時代と違い、今は、持ち家が非常に多く、いったん災害が起こると、そこの住民には、住宅の借財だけが残り、その後の人生に多大な影響を与えてしまう。生活を切り詰め、蓄えた金を全て注ぎ込み、さらに長いローンを組んで家を持つ。そして、家を持つことができた喜びに浸る。しかし、今回のような自然災害があると、一瞬にして家はなくなり、借金だけが残るという悲惨なことが起こる。
借金で一番苦しいのは、せいぜい数百万の借金だ。その返済に困って自殺する人は多い。しかし、数億円、数十億円と巨額の返済に困って自殺した人の話はあまり聞いたことがない。頑張って返せる金額ではないし、また、返済を取り立てる方も、本気で取り返せるとは思っていないから、損益処理で片付けてあきらめてしまうからだ。
物が持てるということは嬉しいことだが、持ち物を増やしすぎるのも、気苦労が増えるだけで、ろくなものじゃない。身の回りはできるだけすっきりさせておきたいものだ。家も、持ち家に拘りすぎるのもどうかと思う。いったん今回のようなことがあると、それが、手かせ足かせになってしまい、身動きが取れなくなってしまう。