大学に入ったころ、先輩のアパートでコーヒーを淹れてもらって以来、自分で入れるようになった。当時は、コーヒー豆も売っている店は限られており、珍しかったのだが、その後、コンビニでも売るようになって、爆発的にコーヒーを自分で淹れる人が増えた。
若い頃は、コーヒーの味も少し分かった。定年退職後は、小さな喫茶店でも持って、のんびり好きなコーヒー淹れて生活しようかと思ったこともあった。しかし、飲む量が一日4,5杯になるため、コーヒーの豆購入代金も嵩むばかり。そんなこんなで、本当においしい豆はなかなか手が届かず、ひたすら安い豆を物色して飲み続けた結果、今では、味が分からなくなった。ただ惰性で、がぶ飲みしているだけになった。
私の影響でコーヒーを飲むようになった妻は、私が淹れるコーヒーは香りがないといって、あまり口にしなくなった。それはそうだろう、安い豆を物色しているわけで、そんなにおいしいはずはない。(言い訳け)大体、味の分からなくなった私にとって、おいしいコーヒーとそうでないコーヒーの区別ができないのにわざわざ高い豆を買って来ても始まらない、それこそ、無駄というものだ。そして、ひたすら、出費を抑えるため、安いコーヒーを物色し続けている。