冬瓜も夕顔もともにウリ科の植物、非常に良く似ているが、味や食感が若干違うようだ。冬瓜は主に煮て食べられることが多く、夕顔は干瓢に加工されるということらしい。冬瓜に比べ夕顔は実が固く、種の周りに隙間がないのだという。
冬瓜は、比較的安いので、味噌汁や煮物に良く使っている。実の味はあまりなく、出汁で味を付け、さっぱりとした味で、餡かけなどにすると、つるんとして食べやすいのが好きだ。
関東で生まれた私は冬瓜しか知らずに育ったが、妻は日本海側の出身で、夕顔を食べることが多かったようだ。
冬瓜も夕顔もともにウリ科の植物、非常に良く似ているが、味や食感が若干違うようだ。冬瓜は主に煮て食べられることが多く、夕顔は干瓢に加工されるということらしい。冬瓜に比べ夕顔は実が固く、種の周りに隙間がないのだという。
冬瓜は、比較的安いので、味噌汁や煮物に良く使っている。実の味はあまりなく、出汁で味を付け、さっぱりとした味で、餡かけなどにすると、つるんとして食べやすいのが好きだ。
関東で生まれた私は冬瓜しか知らずに育ったが、妻は日本海側の出身で、夕顔を食べることが多かったようだ。
また痛ましい事件が起こってしまった。被害者は容疑者と関係なかったようで、災難としか、言い様がない。容疑者は、精神障害が疑われているようだが、こんな取り返しが付かない事件を起してしまった。何で周りで気付いてあげられなかったのであろうか?
テレビの報道によると、母国の姉は、本人が(私からみれば)被害妄想を思わせる話をしていたことを認識していながら、それが病気から来る被害妄想という認識はなかったようだ。彼の生まれた地域がどのような医療水準のところか分からないが、もし、母国できちんとした治療を受けていれば、このような悲惨な事件は起さずに済んでいただろう。
また、日本で十年以上にわたって働いており、発症した時期は定かではないが、日本のどこかの会社で働いていたことが十分考えられるし、最近まで働いていた会社でも、精神変調を思わせる言動があったと考えられ、もう少し職場の中に、彼を見守る雰囲気があったならば、治療を受けさせることも可能だったのではないかと思う。
日本では、毎年、3万人近くが自殺している。職場の中に、学校の中に、あるいは社会の中に、精神医療にもう少し手を差し伸べてくれる環境があったら、防げる自殺はたくさんあるのではないでしょうか?中学生、高校生が自殺する事件が起こると、すぐに「いじめ」があったかに目が行きがちだが、いじめがあったからといってすぐに自殺に結びつくとは限らない。私が思うのは、なぜ周りでもっと早く気付けなかったのか、そちらの方が重要なのではないかということです。
医療機関に繋げたから、それで解決するかというと、そうではないかも知れないが、少なくとも、今できる最善のことは、医療機関に繋げ、治療を受けさせることだと思う。ただし、周りが病気ではないかと気付くためには、精神障害についての正しい知識とその対応策について正しい知識を身に付けておくことだと思う。何しろ、交通事故の3,4倍に上る死者を出していることなので、行政ももっと真剣に取り組んで欲しいものだ。
この時間帯(朝6時頃)は、街に人通りはあまりなく、地元の老人たちや犬を連れた人が散歩をしているのを数多く見かける。同時に、ハトも、道路に降り立って、餌を物色してうろうろしている。ちょうど、明るくなり、まだ道路を通行する車、人が少ないが少なく、ハトも安心して食事ができるのだろう!
もう少ししたら、私は、部屋の掃除、それから朝食の準備に取り掛かるのだ。そして、7時半頃に妻を起し、着替えさせ、朝食にする。
爆睡記事を書いた後、やはり寝ておこうと思って布団に入ったのだが、色々考えが浮かび、眠気は一向に訪れず、2時間半頑張ったが、だめでした。寝ようと努力するなんて、時間の無駄としか思えない。だいたい、自然と起きてしまうのは、睡眠が足りたからで、それ以上、寝ようとするのは、無駄な努力だ。
起きようとする時刻から逆算して、それまで頑張って起きていて、寝る時刻になったら、布団に入れば良い。これで、だいたいが解決するものだが、私の場合、いや他の人も添うかも知れないが、寝るタイミングを逸してしまうと、その後は、また眠れなくなることが多い。
私の場合、夕飯食べて、食器洗って、フロに入って、洗った食器を片付ける、洗濯機を回す。ここまで出、9時くらいになる。この時間帯が家事が一段落して、家事から開放され、一番眠くなる時間帯にあたる。この時間帯に眠るつもりではなく、ちょっと体を伸ばしたいとベッドに横たわると、万事急須、爆睡してしまうのだ。面白いテレビ番組でもやっていれば、それを見ていて寝ることはないのだが、最近、面白いテレビ番組がめっきり減ってしまった。
昨夜9時半ころ、ちょっと体を伸ばそうかと、ベッドの上に横になったら、その後の記憶が全くなく、気付いたときは、日付が変わっていた。居間を見ると、すでに妻の姿はなく、もう寝たらしい。頭がちょっとすっきりしてくると、「あれ!洗濯物、干した?嫌、干してない!」というわけで、洗濯物干して、パソコン前に戻って、これを書いている。まあ、こんな風に爆睡できるのはまだまだ幸せなのかも知れない。今はまだ妻が一人で歩行器につかまり移動できるが、妻がもう少し病状が進んで、一人で動けなくなると、私がこんな風に爆睡してしまったら、トイレにも行けず、ベッドに行くことすらできなくなる。それはそれは大変なことだ。そうなる時期が刻々と近づいているのは確かなのだから、そろそろ生活のリズムを妻のリズムに近づけないといけないとあらためて思った。
それにしても、本当に妻が一人で立ち上がれなくなったら、ずっと付きっ切りで介護に当たらねばならないことは分かっているのだが・・・・・・・。思いつくのは、どうやってストレスを解消するか、と、どうやって自分の時間を作るかとか、そんなことが最初に思いつく。こんな具合だから、「あなたは、自分のことしか考えていない、私のことなどどうでも良いんだろう!」と嫌味を言われることになるのだ。そうなのだ。動けないで不自由している妻の思いよりも、自分の思いを真っ先に考えてしまうのだから、言われても仕方ないことなのだ。「でもでも、妻の思いを考えていないわけじゃないんだぞ」と、言いたい。