今日は、私にとって、月に一度の、定例の骨董市の日でした(^-^*)
今日は、快晴という程ではなく、曇りがちではありましたが、暖かく、しっかりと春を思わせる日でした(^_^)
今日など、もう、すっかり春を思わせますが、でも、また、寒さが戻るとか、、、。三寒四温で、だんだんと春本番となるのでしょうね。
そんなことで、いそいそと出発です!
会場内はというと、相変わらずで、かつての本格的な「骨董市」の雰囲気は少なくなり、古着の店が多く出店するようになっています。ただ、外人さんがチラホラと見られるようになりました。また、こんな田舎の骨董市なのに、中国人が、ガサゴソとガラクタをかき回し、どんどんと買い漁っている様子が見られるようになりました。
以上のように、これまでとはチョット変わった光景が見られるようにはなりましたが、私の狙っている古伊万里などは、殆ど見るべきものはありませんでしたので、なにも買わずに終りました(><)
今日は、何も買わずに終りはしましたが、ちょっとした収穫がありました(^-^*)
それは、物の収穫ではなく、知識の収穫でした。その状況は以下のとおりです。
ぶらぶら歩いていましたら、「あれっ、後期鍋島だ!」と思うものが目に留まりました。
それは、次の写真のようなものでした。もっとも、次の写真とは違い、酒注1個には盃が5個付いていました。但し、酒注の形は、次の写真のような形のものではなく、更にその次の写真にあるような形のものでした。なお、酒注の注ぎ口の根本と盃5個の高台内には鍋島家の家紋の「杏葉紋」が描かれていました。
小木一良著「鍋島 後期の作風を観る」のP.191から転載
小木一良著「鍋島 後期の作風を観る」のP.192から転載
それで、近寄って手にしましたら、新しいものであることが分かりました。
そうしていましたら、店主が近寄ってきて、「それには、ちゃんと箱が付いているんですよ」と言って、奥のほうから木箱を出してきました。
その木箱は、ちゃんと酒注1本と盃5個がセットで入るように作られていて、箱表には、販売している会社名や作者名が書かれ、箱の中には作者の陶歴栞(しおり)まで入っていました。
店主は、「このような物に目を留める方は少ないです。これも、なにかの縁、勉強しますから、どうですか、、、」と水を向けてきました。
それで、私も、参考品として買おうかなと、かなり、心が傾きましたが、心を鬼にしてパスしました(~_~;)
小木一良著「鍋島 後期の作風を観る」のP.191には、「根引松文は人気文様であったと思われ、明治期作品も精巧社、鍋島家支援窯でいろいろ作られている。同文は現在でも大川内山の諸窯で製作されている。」と書かれています。
以上のように、今日の骨董市で、このような物は現在でも大川内山の諸窯で作り続けられていることを実際に体験することが出来たわけです。その意味では、今日の骨董市では大きな知識の収穫があったということになります(^-^*)