今回は、趣向を変えて、「後絵(?)の柿右衛門の皿」(色絵 鶉文 中皿)の紹介です。
表面
表面の上方部分の拡大
表面の右方部分の拡大
表面の下方部分の拡大
表面の左方部分の拡大
口縁の一部分の拡大
口縁に施した上絵の口紅がかなり剥落しています。
側面
底面
折り枝梅文が3か所に描かれています。
折り枝梅文の一部の拡大
これを見た方は、「おおっ! 名品だ!!」と思われることでしょう(^_^)
私も、これを見て、即座に気に入り、即、購入に至ったものです(^-^*)
しかしね~、骨董の世界というのは因果な世界なんですよね。常に「真贋」という問題がつきまとうんです(~_~;)
これを連れ帰ってから毎日のように眺めていましたら、だんだんと不安が募ってきたんです(~_~;) これは、もしかしたら、「後絵(あとえ)」ものではないだろうかと、、、。
<疑問点第1>
まず、疑問点の第1点目ですが、それは、古いボデーに、後から色絵付けをしたのではないかということです。
見込部分の周辺部に陽刻の如意頭文や松竹梅文などを施した白磁は、明暦(1655~57)頃から作られ始め、寛文(1661~72)・延宝(1673~80)頃に多くが作られているのに対しまして、この皿の絵付け文様は、延宝頃から元禄(1688~1703)の前半頃に盛んに行われているからです。つまり、ボデーの作られた時代と色絵が行われた時代がちょっと合わないのではないかということです。
でも、この点につきましては、延宝頃には、このようなボデーが作られましたし、このような絵付もされていたわけですので、両者が一致する時点はあったわけですから、このような皿が作られた可能性はあったわけですね(^_^)
<疑問点第2>
疑問点の第2点目は、この手の皿の場合、普通、口紅は、焦茶色の色絵ではなく、鉄錆を塗って本焼きしていることが多いと思われることです。そのため、この皿のように、色絵の口紅が剥げ落ちますと汚らしくなってしまいます。
そのようなことを防ぐためもあってか、このようなケースの皿は作られることがなかったのかもしれません。それで、図録等にも載っていないのかもしれません。また、私も、まだ、このようなケースの皿を見たことがありません。
<疑問点第3>
3番目の疑問点は、この手のボデーは、「白磁 陽刻如意頭文 皿」等の名称で、白磁皿として完結した姿で図録等に登場していることです。このように、完結した白磁皿に、更に色絵を付加した例を、まだ、私は知らないからです。
以上、私の感想としましては、このような皿は、他にこれまでに見たこともないですし、図録等でも見たことがないものですから、後絵なのかな~と思ったわけです。
ボデーの白磁だけでも立派な古伊万里なのですが、そこに、このような素晴らしい柿右衛門の代表的な文様を付加したなら、さぞや名品となるであろうとの願望から、その意図は善意なのか悪意なのかはともかく、後絵を施したものであろうと判断したものです。
生 産 地 : 肥前・有田(ボデー部分に限る)
製作年代: 江戸時代前期(ボデー部分に限る)
サ イ ズ : 口径;20.8cm 高さ;3.5cm 底径;12.9cm
伊万里素人の出る幕ではありません。
確かに上絵の口紅などはちょっとおかしいですね。
ただ、裏面の折り枝梅文の幹は染付のようにも見えるのですが・・・もしそうなら、後絵ではなく、大名品ですね(^.^)
やはり、上絵の口紅というものに、一番引っ掛かりますよね。いかにも、不自然ですものね。
「こんなものは見たこともない。あり得ない」とするのが素直な見方なんでしょうね。
ちなみに、裏面の折り枝梅文の幹も色絵になっています。
色絵を加えた「後絵」が存在することが載っていますが、私も現物を見たことがありません。
たしかに口紅が一番違和感を感じさせますが、絵付けが全体的に盛期柿右衛門と微妙に違うような気も・・・
以前に柿右衛門の見分け方として、盛期に近い柿右衛門の青は澄んだ発色をしている
というのを聞いたことがありますが、これとて個人の感覚でしかないんだと思います。
後絵の他に某国出来と思われる贋作まで存在する訳ですから
あらためて難しい部分を抱えていることを認識しました。
特に後絵は難しいですね。
なにせ、ボデーは古いものですものね。
このような名品と言われるものの後絵ものは、市場に出てくることもなく、手にする機会もないものですから、勉強の機会もありませんので、何時までたっても見分けられませんね(~_~;)
まっ、「君子危うきに近寄らず」という態度が正解でしょうか(^_^)