8月20日から2泊3日で宮城県の気仙沼市でのボランティア活動に妻と一緒に参加してきました。参加者は保育園の先生やこれまでボランティア活動をされてきたパワーあふれるとてもステキな女性の皆さんです。そんな中男性は草笛名人、マジック名人、そして私の3人。ボランティア初心者の私と妻は申込書の特技の欄には「力仕事何でもやります」としか書けませんでした。とにかく何かお役に立ちたいという気持ちと、妻に被災地の現実を見せたいという思いだけで参加しました。
まず南三陸町に入りました。瓦礫はそこそこ片付いたのですが一面の空き地が広がっており、復興はまだこれからでした。現地のホテルマンの方に被災地を案内していただき、被災された状況などを語っていただきました。
そんな中のひとつ、南三陸町の防災庁舎を訪れました。ここで最後まで防災無線で避難を呼びかけた女性職員の方がいらっしゃったのですね。津波は3階建の防災庁舎の上まできたそうです。祭壇がつくられていて、私たちもお参りをしました。
何もない空き地に仮設店舗による商店街が建てられていました。買い物をすることも大切な支援だと聞いていましたのでお土産を買い求めました。
二日目は3つの班に分かれて保育園を訪れました。私たちが訪れた保育園は民間の保育園でした。園舎が流されてしまったため事務所の1階を借りて保育を行っていました。庭もなく保育の環境としては劣悪でしたが、子供たちはとても元気で保育士さんたちも熱心に取り組まれていました。
読み聞かせをしたり、手遊びをしたり子供たちと楽しい時間が持てました。私は初めての読み聞かせに挑戦しました。
午後は仮設住宅で被災された皆さんと交流しました。仮設住宅の入り口に私たちとの交流会の案内が掲示されていました。
皆さんから被災された状況をお聞きしました。とても印象的だったのはお話を聞いて涙を流した私たちの仲間の姿を見て、女性部長さんが「私たちは泣けないんですよ」といった言葉でした。目の前を自分の家が流れて行くのを見たり、大勢の身内を亡くして心が壊れてしまったというのですね。とても衝撃的でした。
こんなに大きな船が津波で内陸部に打ち上げられていました。被災地は瓦礫が片付いただけで復興までの道のりはまだまだ緒についたばかりでした。
最終日、泊まったホテルの前で写真を撮りました。2泊3日のボランティア活動でしたがとても得るものがたくさんありました。計画された皆さんに感謝申し上げます。気仙沼のお土産を買い求めるために魚市場に行きました。そこで前の日にお世話になった女性部長さんに偶然お会いしました。また話し込んで別れがたい気持ちでした。
帰りのバスの中で誰彼となく「また来たいね」という声があがりました。被災された皆さんも「世間から忘れ去られるのが一番怖い」とおっしゃっていました。来年もまたボランティアで気仙沼を訪れることを心に決めて現地を後にしました。
まず南三陸町に入りました。瓦礫はそこそこ片付いたのですが一面の空き地が広がっており、復興はまだこれからでした。現地のホテルマンの方に被災地を案内していただき、被災された状況などを語っていただきました。
そんな中のひとつ、南三陸町の防災庁舎を訪れました。ここで最後まで防災無線で避難を呼びかけた女性職員の方がいらっしゃったのですね。津波は3階建の防災庁舎の上まできたそうです。祭壇がつくられていて、私たちもお参りをしました。
何もない空き地に仮設店舗による商店街が建てられていました。買い物をすることも大切な支援だと聞いていましたのでお土産を買い求めました。
二日目は3つの班に分かれて保育園を訪れました。私たちが訪れた保育園は民間の保育園でした。園舎が流されてしまったため事務所の1階を借りて保育を行っていました。庭もなく保育の環境としては劣悪でしたが、子供たちはとても元気で保育士さんたちも熱心に取り組まれていました。
読み聞かせをしたり、手遊びをしたり子供たちと楽しい時間が持てました。私は初めての読み聞かせに挑戦しました。
午後は仮設住宅で被災された皆さんと交流しました。仮設住宅の入り口に私たちとの交流会の案内が掲示されていました。
皆さんから被災された状況をお聞きしました。とても印象的だったのはお話を聞いて涙を流した私たちの仲間の姿を見て、女性部長さんが「私たちは泣けないんですよ」といった言葉でした。目の前を自分の家が流れて行くのを見たり、大勢の身内を亡くして心が壊れてしまったというのですね。とても衝撃的でした。
こんなに大きな船が津波で内陸部に打ち上げられていました。被災地は瓦礫が片付いただけで復興までの道のりはまだまだ緒についたばかりでした。
最終日、泊まったホテルの前で写真を撮りました。2泊3日のボランティア活動でしたがとても得るものがたくさんありました。計画された皆さんに感謝申し上げます。気仙沼のお土産を買い求めるために魚市場に行きました。そこで前の日にお世話になった女性部長さんに偶然お会いしました。また話し込んで別れがたい気持ちでした。
帰りのバスの中で誰彼となく「また来たいね」という声があがりました。被災された皆さんも「世間から忘れ去られるのが一番怖い」とおっしゃっていました。来年もまたボランティアで気仙沼を訪れることを心に決めて現地を後にしました。