頑張った人が報われる社会とは?

2011-10-30 03:53:35 | 雑感
私は現職の時企業の人事制度設計のコンサルタントをしていました。それまでの年功序列型人事制度に替わり実績にもとづく人事制度を提案してきました。その際良く口にしたのが「頑張った人が報われる人事制度」というフレーズでした。

頑張った人が報われるということはそれ自体としてはなんら間違っていません。むしろ当然のことです。しかしこの言葉の裏には世の中には頑張った人と頑張らなかった人がいるという思いがあります。

そうなのでしょうか。頑張りを誰がどのような基準で判断するのでしょうか。頑張りとは実は業績のことではないのでしょうか。頑張ったけれど実績に結びつかなかった人と、運よく実績をあげることができた人なのではないでしょうか。

それではどのような要因が業績に結びつくのでしょう。その人の頑張りだけでその実績は可能だったのでしょうか。これまでの多くの先輩の努力、まわりの同僚からの目に見えない支援、そして万一失敗してもそれを許容してくれる制度などが無数にからみあって実績が上げられたのではないでしょうか。

それを本人の能力や努力に注目して、数値化し、詳細な基準をつくってきました。いまそれが正しかったかどうか私は自信がありません。

3・11以後、人々の絆の大切さが見直されてきています。人間はまだ信ずるに足りると思わせる取り組みが次から次へと実施されて来ました。被災された方々が自分さえ良ければというのではなく、まわりの人々に気を使って行動されてきたことは海外から賞賛されています。そして多くの人々は被災者に対して募金活動を行い、全国の自治体からは被災された自治体に対して職員を派遣して来ました。多くのボランティアが被災地に駆けつけ、生活支援の地道な取り組みを実施してきました。

あれから7ヶ月がたちました。私たちの人間理解はまさにその表層をなぞっただけの浅はかなものであったのではないかと思いつつあります。人間を評価するにはその本人の資質だけではなく、まわりの人々とのかかわりを除いて考えられるものではありません。

私はいまの若者が仕事を選ぶ基準に「人の役に立つ仕事」をあげていることに希望を見出します。私たちのころは「寄らば大樹の陰」で仕事を選んできました。時代はますます厳しさを増していますが、こうした若者が一人でも増えることを願うものです。

聖区の写真を撮ってきました

2011-10-27 01:18:14 | 雑感
滋野地区を紹介する「滋野ガイドブック」を作るために聖区に写真撮影をしてきました。とても良いお天気で紅葉も見頃で半日かけて見て回りました。聖区は滋野地区で一番小さな区で世帯数は20数戸です。山沿いの開拓集落として60数年前に入植されたそうです。聖とは昔は樋尻、あるいは日尻と書いたそうです。尾根の末端だとか山に遮られて空が狭く日が短かったという意味なのでしょうか。それが良い文字に付け替えたのです。


ここは昔、大正年間に日尻の湯という温泉があったそうです。場所は聖の集落の北側の沢。田中の紡績工場の女工さんたちが大勢やってきたそうです。


日尻の湯の北側の斜面に桜が植えられている草地があります。地元の方が植えたもので桜公園と呼ばれています。標高が高いせいか、なかなかソメイヨシノが育たないそうです。


聖には何箇所も掘りぬき井戸はあります。


聖には学校林があります。学校林とはあまり聞かない言葉ですが、旧滋野村当時、小学校や中学校の建物を補修したり建て替えをしたりする際、ここから木材を切り出し建設資材にあてるための林です。


聖の道筋に憩いの道と称する碑があります。道路沿いに植木や花壇が整備されています。


聖公民館の一郭に開拓の碑があります。かつて開拓のために聖に入植したことを記念して建設されたものです。碑の裏面に入植された方のお名前が記されていました。


聖公民館の全景です。右手前に開拓の碑があります。公民館の庭には桜の木がたくさん植えられています。毎年ゴールデンウィークには満開になります。滋野におけるもっとも遅くお花見のできるところです。


聖の集落の入り口には大けやきがあり、聖のシンボルとなっています。このけやきの根本には山の神と呼ばれる神様が祭られています。


聖集落に入る手前の右側には高い土手が続いています。ここは小諸市分ですがかつて和田産業という廃棄物処理業者が産業廃棄物を埋め立てした場所です。深い沢に20数年にわたって埋め立てを続け今は見上げるような小山になっています。この沢は下流で東御市に入り大石沢川となり赤岩・片羽集落を流れています。すでに和田産業もなくなり、ここから漏れ出した汚水による地下水や川への影響が心配されています。小諸市の地籍ですが区長さんは聖の負の遺産だとおっしゃっていました。


最後に水芭蕉をご紹介します。毎年聖の沢には水芭蕉が花をつけます。これは長野の戸隠の水芭蕉を地元の方が移植されたものです。長年丹精されてこれまでになりました。そのご苦労に感謝します。


京都府南丹市から視察がありました

2011-10-26 23:30:00 | 議会だより
25日、京都府の南丹市(なんたん)議会から当市の議会広報調査特別委員会に対する視察がありました。南丹市とは京都市の北部にある人口3万4千人の自然豊かなまちです。これまでいろいろな議会に視察に行くことはあっても、広報調査特別委員会の委員長として視察を受けることは初めての経験です。東御市議会においても議会だよりの刷新を進めている最中であり、率直に言って驚きでもありました。お互いに学び合いましょうということでお受けすることにしました。

当日は女性の委員長さんをはじめ7名の議員さんがいらっしゃいました。東御市議会からは私のほか副委員長以下都合のついた5名の委員で対応させていただきました。

南丹市からの視察内容は「紙面が見やすい」「特集の組み方がよい」などいうものでした。これまでの私達の努力が他の議会から評価されているかと思うとうれしい限りです。お互いに率直な意見交換があり、とても刺激を受けました。


滋野ふれあいのつどいでした

2011-10-23 23:11:11 | 雑感

10月23日、滋野コミュニティセンターで「第16回滋野ふれあいのつどい」が開かれ、終日大勢の区民の皆さんで賑わいました。

現在滋野公民館には生涯学習として20件以上の生涯学習講座が開設されています。歌や踊り、俳句や川柳、書道、絵画、郷土史など様々な講座があり多くの区民の皆さんが学んでいます。ふれあいのつどいはそうした活動の発表の場です。

歌や踊りなどはステージ発表、書道や絵画などは展示発表、茶道のグループからは抹茶の接待がありました。庭では片羽の皆さんによる屋台とお囃子の演奏、隣の片羽公民館では青少年育成会と子どもたちによる風船のバルーンアートや竹トンボ工作が行われました。駐車場では温かい豚汁がふるまわれました。

私も「地域ふるさとに学ぶ」という講座に参加しており、毎月1回滋野の歴史について専門の先生のお話をお聞きしてきました。「原始・古代の滋野地域」「中・近世の滋野地域の領主支配」「街道交通と滋野地域」「水利と滋野地域」「滋野地域の創設期の小学校」など5回にわたるお話は、講師の先生による地域に伝わる古文書研究の成果でありきわめて内容の濃い充実したもので毎回楽しみにしていました。

参加された区民の皆さん、つどいを支えられてこられた実行委員の皆さん、ご苦労さまでした。それにしてもステージ発表にしても展示にしても大勢の女性の皆さんの参加が目につきました。参加された女性の皆さんが生き生きとして輝いていました。女性が輝いていれば地域も元気になります。滋野の元気を実感した一日でした。

来年の手帳を買い求めました

2011-10-23 00:11:40 | 雑感
先日本屋さんに行った時、店頭に来年の手帳が並んでいました。もう来年の手帳が並ぶ季節になったのですね。私はこうした手帳が大好きです。新しい手帳を手にする時、新しい年する期待でわくわくします。どんな手帳がいいか使い勝手のことを考え、いろいろ探し求めることが好きです。



そんなふうに毎年一番いい手帳を買い求めるのですが、なぜか選ぶ手帳は毎年同じものになっています。最初からこれにしようと決めているわけではありませんが、なぜか「能率手帳キャレルA6バーチカル1」、「商品番号2021」になってしまいます。もうこの手帳を十数年使い続けています。たぶん私の手にしっくり来ているのでしょう。



手にしっくりくる事情はまず月別一覧表があることです。これで1か月のスケジュールが大づかみすることができます。



そして1週間の予定が見開きで見ることができます。この予定表が縦に表示されていることがいいですね。以前は日記形式に横書きのものが多かったのですが、最近では縦型のものがたくさん出てくるようになりました。

この予定表はウィークデイは1列全体を使っていますが、土日はあわせて1列になっています。ビジネスの場合はこれでいいのでしょうが、毎日が日曜日になった今の状況では土日もそれぞれ1列とってほしいと思うのです。議員になって休日の催し物が多いのでスペースが足りなくなります。

以前手帳に凝っていた時はバインダー形式の手帳で、リファイルできるものを使っていました。そして白紙の紙にパソコンで自分専用の用紙を作っていました。さすがに今ではそこまではしませんが、なぜ土日もウィークデイと同じスペースにしないのか不思議でなりません。

そんなこんなで文房具にはこだわりがあります。どんなボールペンがいいのか、取材のための7つ道具はどんなものがいいかなどなど。また機会がありましたら書きたいと思います。

議会報告会がありました

2011-10-22 23:56:06 | 議会活動
10月22日、午後議会報告会がありました。議会報告会とは議会改革の一環として取り組まれたものです。市民に直接議会活動について説明し、市民の意見をお聞きするために昨年から実施されてきました。当日は雨模様の中、約100名の市民の方にご参加いただきました。

最初に議会活動を紹介するDVDをご覧いただきました。これは昨年に引き続き今年も作成したもので、議会活動の模様を映像でわかりやすく紹介しています。本会議や委員会審議の模様を実際に撮影したもので、その場の雰囲気や迫力が伝わってきます。



その後行われた市民の皆さんとの意見交換会では、8名の市民の方から質問が出され、議会側から答弁がありました。質問は市政のあり方を問いただすもので、答弁する議員側もたじたじ。活発な議論は議会に対する市民の皆さんの期待の現われだと思います。参加された市民の皆さん、議員の皆さん、ご苦労様でした。


滋野地区の配布終了です

2011-10-22 02:56:30 | 議会だより
議会だよりの滋野地区内への1500部の配布が終わりました。滋野地区は私の地盤ともいうべき地域です。13日から始めて9日間かかりました。まだ地域外への配布がありますのでまだ数日かかりそうです。

昨日も配っていると「議員さんですよね」と声をかけられたり、「読んでいますよ」と言っていただく方もいらっしゃいます。夜、わざわざお電話をかけていただいた方もいらっしゃいました。私にとってなによりの励みです。ありがたいことだと思っています。

郵送すればと言われたこともありますが、こうして一軒一軒訪ねて配るということが大切なのだと思います。足を運ぶことで地域の変化がわかります。お会いして声をかけることで地域の生の声に接することができます。時には市政への要望をお聞きすることもあります。郵送ではこうした地域の声をすくいあげることはできません。

それにしても地域をまわっていて空き家が多いことに気づかされます。庭に草が生えていたり雨戸が閉まっていたり、ポストにチラシが一杯になっていたりすることでそれとなくわかります。荒廃農地も目につくようになりました。一人暮らしのお年よりも増えています。地域の変化に対する取組みが必要だと感じます。

先日議会だよりを配っていて同僚議員と鉢合わせになりました。私は東側から配っていて同僚委員は西側から配ってきて集落の中ほどで出会いました。こうして議員同士が切磋琢磨して議会の情報を市民に届けることはとてもいいことだと思います。以前は滋野地区で議会だよりを配っていた議員さんは本当に限定的でした。今では滋野選出の議員さんは全員が議会だよりを発行しています。議会全体でははっきりわかりませんが半分ぐらいの方が発行しているようです。

店頭でわが家のぶどう発見!

2011-10-21 01:16:35 | 趣味・野良仕事
20日も好天でした。お天気続きでとても助かります。19日の朝、選果場へ今年最後のぶどうを出荷しました。9月中旬から1ヶ月にわたった出荷はこれですべて終了しました。お買い求めいただいた皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。

先日東京の弟から写メールが届きました。わが家のぶどうを自宅近くのスーパーで見かけたというのです。左の写真をご覧ください。ぶどうが一房トレーにのせラップで覆ってあります。ラップには六文銭のマークと「信州うえだ」の文字があります。その上にある白い小さな紙片に「JA信州うえだ 若林幹雄」とあったというのです。残念ながらこの写真ではわかりません。

市場へ出荷するぶどうは今年からこれまでの生産者コードに替わって、生産者名を記入することになりました。生産物により責任を持ってもらい、生産地としてのブランドの品質向上がねらいです。

その結果弟が店頭でわが家のぶどうを見つけたのです。広い東京の中でわずかに出荷したわが家のぶどうと出会うことなどめったにあることではありません。大海の中で一本の針を探し出すようなものです。よく見つけてくれたものです。

東京にいる娘からも「お父さんのぶどうを近所のスーパーで見かけたよ」との報告がありました。感激したとのメールでした。他にも知人の知り合いが千葉県で見たとの連絡がありました。

現在は大量生産大量消費の時代ですが、こうした顔の見える関係をお客様との間で築いて行きたいものです。

信州の刀工、山浦清麿のこと

2011-10-20 06:35:13 | 雑感
先日、滋野のガイドブック作成のため赤岩集落で刀鍛冶の山浦兄弟のことを書きました。兄の山浦真雄は松代藩の刀工として有名ですが、弟の山浦清麿も江戸で刀工として名を馳せています。ネットでは下記のように紹介されています。

源清麿(みなもときよまろ)は幕末に活躍した刀工である。本名は山浦環(やまうら たまき)。初銘は正行、ついで秀寿。兄は刀工の山浦真雄。水心子正秀、大慶直胤と並び「江戸三作」と称された名工。波乱に富んだ人生を送ったことから、新々刀期の刀工の中でも特に人気が高く「四谷正宗」と呼ばれた。

以前、私が長野経済研究所に勤務していた折、東京への出張があり四谷近くの会社を訪れたことがありました。午前中で仕事が終わり時間があったので、以前から興味のあった江戸時代の武士、長谷川平蔵のお墓を訪ねることにしました。長谷川平蔵とは池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」で知られており、江戸時代の火付け盗賊改めの長官を務めた方です。この長谷川平蔵のお墓が四谷の戒行寺にありました。

戒行寺への坂道を登って行くといくつもお寺が続いていました。道の左側に小さな看板が出ているお寺がありました。その文字の中に信濃の国赤岩とか、刀工とかいった文字が目に飛び込んできました。おやと思ってそのお寺に足を向けました。

本堂の前に大きな石碑があり、そこに山浦清麿のことが記されていました。その石碑は刀剣愛好者の方が建てられたもののようでした。お寺の名前は宗福寺。山浦清麿の菩提寺でした。




長谷川平蔵のお寺を訪ねる途中で山浦清麿のお墓を見つけたのです。まさに偶然でした。それまで私は山浦清麿のことは何も知りませんでした。こんなところに郷土の英雄が眠っていると思うと感慨無量でした。

山浦兄弟の子孫がいま八十二銀行の山浦頭取ですが、高校の同窓会の折にこのお話をしたことがありました。よく見つけたとびっくりされていました。

現在でも11月14日(安政3年没)の清麿の命日と、9月27日の初世水心子の命日には、刀剣の愛好家によって墓前祭がいとなまれているそうです。同じ郷土の英雄雷電為衛門は毎年命日に佐倉市を訪れ、墓前祭を行っているのに山浦清麿のお墓は知る人もいないというのは寂しい限りです。

議会報告会にお出でください

2011-10-19 18:58:11 | 議会活動


写真は太陽と風の会のメンバーです。左から私、阿部議員、桜井議員、蓮見議員です。来月発行の「市議会だより」に他の会派と一緒に太陽と風の会も紹介されます。そのための写真を撮影しました。

今度の土曜日、10月22日の午後から2回目の議会報告会を行います。これまでの議会活動について映像でわかりやすく報告いたします。議会活動についての疑問にお答えいたします。どうぞお出かけください。

議会報告会はいま全国各地で行われていると思いますが、映像で議会活動を具体的に紹介する議会はまれではないでしょうか。ぜひご覧いただきたいと思います。

 ● 東御市議会議会報告会
 と き:10月22日(土)午後1時半から
 ところ:東御市中央公民館3階 講堂


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