幟立てと期成同盟会の総会

2010-09-30 03:49:03 | 雑感
29日は昨日の雨で1日延期となっていた熊野神社の幟(のぼり)立てでした。東と西、そして神社の前に4本の幟を立て、神社の生垣を剪定し、草を刈り最後にまわりを掃き清めました。

私の住んでいる中屋敷地区には神社が4つあります。私も氏子となっている熊野神社、東中屋敷の方が片羽地区の方と一緒にお祭りしている八幡神社、中屋敷のほぼ中央にある真王(まおう)神社、そして地区のはずれにあるお稲荷様です。

熊野神社は西中屋敷、八幡神社は東中屋敷の方が氏子となっており、こうしたことから中屋敷がもともとは二つのグループで構成されていたことがうかがわれます。真王神社はかつては近在から参拝する方も多かったそうですが今では社殿も失われ、氏子もいないことから区が春のお祭りを行なっています。お稲荷様はあまり知られておらず、私もその由来は知りません。しかしこんな小さな区で4つもの神社を擁していることは驚きでもあります。

早めの夕食を済ませて、3日間お手伝いに来ていた下の娘が東京へ帰ってゆきました。本気になって手伝ってくれ、私も大いに力をもらいました。今度来るのはお正月でしょうか。

夜、滋野地区コミュニティセンターで「主要地方道東御嬬恋線改良促進期成同盟会」の総会がありました。この組織は滋野駅から群馬県嬬恋村までの県道のうち、沿線の桜井・片羽・大石・別府地区の道路改良を進めています。とりわけ桜井から片羽間は丸子から小諸への車の迂回道路として最近めっきり交通量が増えてきています。その反面道路幅は狭隘でカーブも多く交通事故が心配されています。

昨年も11月に上田建設事務所へ陳情を行ない、12月3日には雨の中上田地方事務所の担当者と現地調査を行いました。その結果一番危険だといわれた滋野駅前から喜志本前までの側溝工事が実現しています。

(写真)昨年12月、雨の中現地調査を実施しました。

総会終了後、来賓で来ていただいていた花岡市長はじめ市の幹部の方と懇親会を行ないました。市民の安心・安全を確保するためにはこうした地元の熱心な取り組みが欠かせません。これまで運動を進めてこられた会長はじめ幹部の皆さんのご尽力に敬意を表します。

語る会と滋野地区ガイドブック

2010-09-29 04:31:24 | 雑感
一昨日の夜遅く、東京から下の娘がぶどうの出荷のお手伝いに来てくれています。ちょうど2泊3日で手伝いに来てくれていた弟と入れ違いになりました。来週は横浜から兄が来てくれます。そして時々上の娘夫婦が孫たちを連れてにぎやかしに来てくれます。ぶどうが兄弟や子供たちの絆となっています。

28日は朝から雨。秋のお祭りのためののぼり立てが延期になりぶどうの出荷に家族で精を出しました。昼に知人の葬儀に出席。午後から市民病院で「市民病院と要望を語る会」に出席しました。この会も今回で19回を数えるそうです。事務長も院長もあいにく都合がつかず病院からの参加は4名でした。10月に開局するFMとうみのスタッフの方が取材に見えていました。参加された方からはご自分の経験を踏まえて市民病院にかかって良かったとのお話しや、改善を求める言葉が述べられていました。

毎回参加していて思うのは、一般市民や患者さんと病院や医師・看護師が医療のあり方についてフランクに話し合うことなど普通は考えられないことですが、ここではそれが実現できているということです。市民が市民病院を地域の財産と思っていること、そしてさらに市民のために頑張ってほしいと願っていること、病院側もその思いを共有し市民の声に耳を傾けていること、素晴らしいことだと思います。市民の皆さんからの寄付でまかなわれている「語る会だより」もいよいよ第3号が発行されます。

夜は滋野地区ガイドブック編集委員会が農協の支所でありました。30名ほどの方が参加されていました。私は委員の一人として参加したつもりでしたが、事務局の一員となっており当日の司会をおおせつかりました。どうやらこの事業にどっぷりと浸かることになりそうです。

こうした地区を紹介するガイドブックはすでに和(かのう)地区や祢津(ねつ)地区でできており、それを参考にしながら話し合いました。活発な意見交換会がありその中で「滋野地区ガイドブック」のあり方が見えてきました。

それは単に滋野の名所旧跡の紹介にとどまることなく、滋野の子供たちが読んで地域をよりいっそう理解することができ、ふるさとを愛する気持ちを育むことができるものということです。各区の紹介とともに滋野の成り立ちや歴史や伝統、現在の滋野のありよう、そしてこれからの滋野の発展方向も盛り込むということになりそうです。

しかし詳細にわたってアウトラインを固める必要があるとのことで、役員と事務局でたたき台をつくり再度編集委員会に提示するということになりました。

温泉施設の年間利用券を考える

2010-09-28 08:31:52 | 議会活動
温泉施設については現在年間利用券があります。これは年会費4万円を支払えば、市内のどの温泉施設も年間を通して利用できるというものです。これは温泉施設の利用促進を目指して導入され市民にとっても誠に便利な制度であり、現在1100名の方が利用しておられます。しかしこれが温泉施設の経営に影を落としていることは案外知られていません。

温泉施設がいずれも利用客を減らしている中、ゆうふるtanakaだけはこの3年間で1万4千人も利用客を増やしています。しかし収入増には結びつかず逆に4百万円減となっています。利用客が増えているのに収入は減るというおかしな現象がいま起きています。なぜでしょうか。

ゆうふるtanakaの年間入館者数は平成21年度で27万5000人で、入館料は9200万円となっています。利用者一人当たりの単価は334円です。ゆうふるtanakaを利用すると500円かかりますが、実際の単価はこれよりも166円も低くなっています。平成19年の単価は371円でしたから、ここ2年間で37円も下がってます。こうした状況の背景にあるのが年間利用券の存在です。

こうした年間利用券の問題は以前から指摘されていましたが、その利用実態はなかなか明らかにされてきてはいませんでした。そこで先日係の方にお願いして施設ごとの年間会員の数を教えていただきました。すなわち平成21年の年会員数は1474名(湯楽里館355名、ゆうふるtanaka431名、御牧乃湯257名、明神館122名、その他309名)で、この2年間で400名増となっています。

ゆうふるtanakaの場合を考えて見ましょう。431名の会員の年会費は、年会員と半年会員合わせて1800万円。入館料が9200万円ですからここから1800万円を差し引いた7400万円が一般利用者の入館料だと思われます。これを一般利用客の入館料500円で割ることで一般利用者数がわかります。14万7800名となります。

27万5000人のうち14万7800人が一般利用者で、のこり12万7000人が会員利用であったことがわかります。会員利用率は46.2%、すなわち一日の利用者の半分は年会員の常連さんです。平均の年間利用回数は295回にもなります。

こうしたヘビーユーザーが多いことがゆうふるtanakaの経営にどのような影響を与えているのでしょうか。仮に会員利用者数12万7000人に正規の利用料金500円をお支払いただくとすれば、6350万円の利用料金が入ってくることになります。実際の会費は1800万円ですから4560万円の逸失利益があったことになります。平成20年のゆうふるtanakaの営業損失は3650万円ですから十分黒字化は可能だったことになります。

むろん、年会費制度をやめればこれだけの利用は見込めないと思いますが、少なくとも年会費4万円という額は利用実態に見合っていないのではないでしょうか。平均利用回数295回に500円をかけると14万7500円になります。この利用料が4万円で済むのですから約10万円もの利益になります。これは市民公平の原則から逸脱していないでしょうか。ましてや温泉施設には市は毎年1億円前後の公金を支出しているのです。

また、年会員のお客さんはお風呂に入ることが目的ですから滞在時間もごくわずかで、食堂を利用したりお買い物をすることはほとんどないと思われます。もともと温泉施設の収入源は飲食の利用にあります。温泉部門が赤字でも飲食・宴会部門の黒字で利益をあげるという構図になっています。こうしたお客さんが増えることは温泉施設の経営をさらに圧迫することになります。

ちなみに御牧が原で営業をしている「ホタルの湯」には年間利用券制度はなく、回数券による利用を行っているそうです。年間利用券のあり方を考える時に来ているのではないでしょうか。

運動会と金婚式でした

2010-09-27 06:56:32 | 議会活動

短距離競争ではみんな一生懸命に走っていました。

市長はお一人おひとりにお祝いの言葉をかけていました。

9月26日は朝から快晴。絶好の運動会日和でした。ご招待いただいた地元の滋野小学校に着くと、すでに会場は準備は万端整いご家族の皆さんも大勢いらっしゃていました。競技は高学年の短距離走から始まりました。みんな一生懸命です。さすがに高学年ののお兄さん、お姉さんらしく走っても迫力があります。低学年の児童による踊りはとてもかわいらしく微笑を誘われました。

午後からは中央公民館で金婚祝賀式が行なわれました。今年金婚式をお迎えになるご夫婦は89組、そのうち65組の方が出席されていました。市長と老人会長さんからお一人おひとりに慶祝状と記念品が送られました。

この皆さんが結婚されたのは昭和35年、1960年です。時代は政治の季節でした。安保条約の改定に反対する集会やデモが行なわれ岸内閣は総退陣。秋には社会党の浅沼氏が暴漢に刺殺されるなど騒然とした時代でした。そんな中、岸内閣の後を次いだ池田首相は所得倍増計画を発表。これを契機に時代は高度経済成長へと大きく舵を切ります。相撲は栃錦、若乃花の栃若時代。巨人は川上氏が監督に就任、流行歌は「アカシアの雨がやむとき」、テレビでは「怪傑ハリマオ」が放送されていました。映画「三丁目の夕日」そのままの時代です。

まさに坂の上の雲を目指して高度経済成長を駆け抜けてこられた世代です。日本の発展を支えてこられたといっても過言ではないと思います。本当に半世紀にわたりご苦労様でした。

先日は東部中学校の50周年を祝い、この日は50年目の結婚記念日を祝ってきました。

東部中学校創立50周年

2010-09-26 04:12:11 | 議会活動
9月25日は午後から東部中学校の創立50周年の記念式典がありました。校舎の入り口には「一以貫之」(いつもってこれをつらぬく)の記念碑が建立されていました。記念式典の後合唱部や吹奏楽部の素晴らしい演奏があり、記念講演として東部中学校の卒業生でいま新日本フィルハーモニー交響楽団で活躍されている奥村晃先生のお話と演奏がありました。

東部中学校は昭和36年に滋野、祢津、和、田中の4つの中学校が統合してできました。この頃町は合併・分町問題で大きく揺れていました。昭和31年に祢津、和、田中が合併して東部町ができ、その後昭和33年に滋野が東部町に合併。しかし滋野の一部の地区の皆さんが合併に納得できず、昭和34年に小諸市に分かれて行きました。こうした中で滋野地区は数年にわたって合併・分町問題に揺れ、私も子供ながらに友達との悲しい別れも経験しました。

そんな中で、東部町の統合の象徴として中学校の統合があったように思います。それぞれの中学は「東部中学校滋野部校」というように、「部校」という名前で呼ばれていました。校舎はまだ一緒ではないけれど気持ちは一つだという思いがあったのでしょう。

4つの部校時代が終わり統合校舎ができたのは昭和39年の春でした。私が中学校3年生の時で、1年間だけ新しくできた校舎で過ごすことができました。クラスの数が13(?)あったこと、他の地区の仲間と一緒になったこと、通学バスで通ったこと、学校のまわりはまだ鬱蒼たる森が残っていたことなどたくさんの思い出があります。

その思い出の一つに滋野部校の解体・移築と引越しがあります。統合中学の建設には町もお金がなかったのでしょう。滋野部校を解体し統合中学の管理棟とすることになりました。ですから私は入学は滋野部校の校舎でしたが、2年生のときは滋野小学校に間借りし、2年生の春休みは統合中学への引越し作業を行ないました。トラックの荷台に乗って引越しを手伝ったことを覚えています。当時の建物は今はなく、数年前に一新しています。

50年間で東部中学校から巣立った生徒は17033名にのぼるとのことです。生徒の皆さんがここで勉学に勤しみ、部活に汗を流し、友情を育んでいってほしいと思います。

「助産所とうみ」から情報発信!

2010-09-25 00:47:50 | 病院改革

「助産雑誌」8月号のテーマは周産期医療です。

「助産雑誌」に8ページにわたり助産所とうみが掲載されました。

スタッフの皆さんの素晴らしい笑顔をご覧ください。

先日知人から「助産雑誌」の抜き刷りをいただきました。「助産雑誌」は助産さんを対象にした専門誌。その8月号に「東御市のお産を支える自治体発の取り組み-東御市立『助産所とうみ』が開設されました」という記事が掲載されました。その内容を紹介いたします。

前助産所準備室長小山久子さんの「お産のできる町をめざして-みんなでつくった『助産所とうみ』」では助産所開設までの取り組みが綴られていました。東御市では毎年270人前後の赤ちゃんが誕生しています。しかし産科医の不足や分娩施設の減少が深刻化していました。そんな中、「お産ができるまち」を公約に掲げた花岡市政が誕生し、この4月に全国的にもほとんど例のない公営公設の助産所とうみが誕生しました。

小山さんは助産所開設へのキーワードとして、第一に「産科医師と助産師の信頼関係と自然分娩へのこだわり」をあげています。助産師だけではうまくゆきません。助産師を信頼しすべてをまかせてくれる木村医師との出会いが欠かせませんでした。第二に、開設準備のために努力してこられた助産師さん、それを応援する市民の皆さん、そして市行政の全面的なバックアップがあったことです。まさに「みんなでつくったみんなの助産所」として誕生したのです。

助産所とうみ所長の黒澤かおりさんは、「やればできる!助産所開設への道のり-互いの信頼関係が大きな力に」と題し、助産所開設までの取り組みを紹介しています。黒澤さんご自身、ご自分のお産をベテラン助産師さんの支えで自宅出産され、その経験が行動の原点になっていると述べています。そして開設までの準備期間多くの助産師さんがメンバーに加わって来ました。中には京都から移住してこられた方もいらっしゃいました。

そうしたメンバーの共通した思いは「医療に依存せず、ずっとそばに寄り添いながら行なうお産」ということです。同じ思いを持った助産師さんが集まりました。そして助産師同士のチームワークを高めるために黒澤さんは3つのことを心がけているそうです。

1、妊産婦さんの気持ちを聞き、否定することなくありのままを受け止めていく。
2、もし妊産婦さんが自分の身内だったらどうしたいかを、常に考える。
3、助産師同士も認め合い、それぞれの発言や気持ちを否定しない。

「いい支援をしていくためには助産師同士のチームワークはとても大事なものだと思います」と黒澤さんは述べています。

東御市から全国に向かって情報発信されていることをとてもうれしく思います。お産の危機を克服して、助産師さんによる自然分娩というお産のあり方を提起されたことは、まさにピンチをチャンスに変える取り組みだと思います。「助産所とうみ」のこれからの活躍に期待しています。

9月議会が終わりました

2010-09-24 23:58:48 | 議会活動
9月24日、平成22年第3回定例会、9月議会が終わりました。9月1日に開会してから24日間の長い会期でしたが、本日の本会議で平成21年度の一般会計の決算が全員一致で認定され、付帯決議として以下の3つが採択されました。

1、(総務文教常任委員会)経済情勢の先行きが見えない中、市財政においても市税の減収等、不安定要素もあり、血税という意識をさらに強くする必要がある。今後の市政運営にあたっては、公金の厳正な管理、人材の育成と適切な配置、更には財産の適正な管理等に十分努力されたい。
2、(社会福祉常任委員会)市立保育園は1地区1園の方向が示され、26年度には5地区すべての改築工事が終了する予定であるが、園舎の改築とともに、保育の質の工場が不可欠である。保育園費については、各園の運営がより効果が上がるよう、十分配慮されたい。
3、(産業建設常任委員会)児童・生徒をはじめとする市民の安全確保のため、グリーンゾーン設置等、道路交通安全施設の整備に積極的に取り組まれたい。

行政は付帯決議の重要性を認識していただき、その実現のためにご尽力いただきたいと
思います。

私も決算議会はこれで2回目であり行政の様子もわかってきました。決算議会ではそれぞれの担当者から予算執行の状況について事細かな説明が行なわれます。その中で数字の裏にある行政の取り組みや問題点などを把握することができます。2回の決算議会を経験してとてもためになりました。

議会終了後、それぞれの委員会ごとに市の担当者の皆さんと懇親会が行なわれました。市の幹部の皆さんと施策をめぐって激しい議論を交わすことがあっても、目的は市民の皆さんが安心して暮らせるまちをつくることにあります。そうした意味で担当者の皆さんとお酒を酌み交わし、その人となりをお互いに理解しあうことはとても有意義なことです。

この11月からは議員3年目に入ります。次はどの委員会に所属するかわかりませんが、よりよいまちにするために精一杯頑張ろうと思っています。

お月様と入道雲とかみなり様

2010-09-23 05:51:49 | プロフィール


昨夜は中秋の名月、まんまるのお月様が見えました。そしてお月様と並んで東の空に入道雲が広がっていて、その中で雷がピカピカ光っていました。お月様と入道雲とかみなり様が並んで見えるなんてなかなかありません。宅配便のターミナルにぶどうの荷を運ぶトラックの中から一枚パチリ。

わがまちのふところ事情は?

2010-09-23 03:29:55 | 議会活動
長野県は9月21日に県内市町村の2009年決算の財政指標を発表しました。その結果が22日付けの信濃毎日新聞で報道されました。東御市は実質公債費比率は14.7%(県下19市中15番目)、将来負担比率は111.5%(同12番目)となりました。

「実質公債費比率」「将来負担比率」といっても一般的にはなじみがありません。これはあの夕張市の財政破綻を契機に設けられたものです。夕張市はかつては石狩炭田の中心都市として栄え、最近では夕張メロンの産地としても知られています。しかし3年前の2007年に財政再建団体に指定され事実上財政破綻しています。

私たちが銀行から借金するときまず考えるのはどのくらい返済にまわせるか(返済額)ということです。返済額が多くなると暮らしが大変になります。次に考えるのはいくら借りるか(借入額)ということです。あまり借りすぎるとこれからの負担が大変になります。

自治体の場合もまったく同じです。年収に対する返済の割合のことを「実質公債費比率」と言い、年収に対する借り入れの割合のことを「将来負担比率」と言います。

「実質公債費比率」、すなわち年収に対する返済割合は東御市の場合14.7%です。平成18年には16.8%、19年は15.4%、20年は16.0%で推移してきました。この間借金の繰上げ返済を行なったので今年は1.3%下がっています。基準では25%以下でなくてはなりません(長野県王滝村は昨年は32.1%で財政再建団体になっています)。

「将来負担比率」、すなわち年収に対する借り入れ金の割合は東御市の場合111.5%です。平成19年には114.8%、20年には109.4%で推移してきました。基準は350%、年収の3倍半以内でなくてはなりません。ちなみに小諸市や佐久市では将来負担比率が記載されていませんが、これは借金があっても貯金の範囲内に納まっていることを意味しています。

東御市はいまのところ問題はありませんが、これから舞台が丘整備、保育園建設など大型公共工事が目白押しです。大きな借金もしなければなりません。反面平成26年からは合併後10年間認められていた特例措置がはずれ、地方交付税が削減されます。借金は増えるが収入は減るというダブルパンチに見舞われます。その時この数値がどうなるのかが課題です。

借金はしないにこしたことはありません。しかしそれで市民の安全や快適な暮らしが脅かされるとすれば本末転倒です。借金の内容を精査し、必要欠くべからざるものについては適切な借り入れを行うことが必要です。今後ともこの二つの指標について注目して行きたいと思います。

地域の食はB級グルメがいい

2010-09-22 00:44:46 | 雑感
いま世の中はB級グルメばやりです。18日、19日には神奈川県厚木市で「B-1グランプリ」 が開催されました。「F-1」の向うを張っての「B-1」とは思わずニヤリ。最初は何か車関係のイベントかと勘違いしました(この遊び感覚もいいですね)。

安くておいしい地元食材を使った料理で町おこしをしようという「B-1」は2006年から始まり今回は5回目。ゴールドグランプリには甲府市の「甲府鳥もつ煮」が選ばれました。長野県からも駒ヶ根のソースカツ丼が参戦しています。

東御市もこの2月、「地域の食掘り起こしプロジェクト」と題しJRと組んで地元の食材を使った料理を紹介しようと、茅野市の藤木シェフの協力のもとに長野駅構内で「エキナカビストロ」を開催しました。しかし食材のサフォークはもともと地域にあるものではなくなじみが薄かったこと、お値段もリーズナブルとはいえず反響はいまいちだったようです。

一方望月では4月に地元の雁食い豆を使った味噌による「みそカツ丼」、7月には武石で野菜と肉のみそゴマダレを使った「武石丼」がB級グルメとして登場し話題を集めています。地元に密着し、あまり格式ばらず地域の食堂の全面的な協力のもとにスタートしたことが功を奏したと言えるでしょう。

地域の食掘り起こしはフォークとナイフではうまく行きません。かみしもを脱いで、地元の食堂で普段着で食べられるそんな料理がいいのではないでしょうか。すなわちB級グルメがピッタリです。ちなみにB級グルメ第5回グランプリの上位10位は以下の通りです。いつか食べてみたいものです。

 1、甲府鳥もつ煮(甲府市)
 2、ひるぜん焼そば(岡山県真庭市)
 3、八戸せんべい汁(青森県八戸市)
 4、津山ホルモンうどん(岡山県津山市)
 5、三崎まぐろラーメン(神奈川県三崎市)
 6、豊川いなり寿司(愛知県豊川市)
 7、黒石つゆやきそば(青森県黒石市)
 8、十和田バラ焼き(青森県十和田市)
 9、みしまコロッケ(静岡県三島市)
10、オホーツク北見塩やきそば(北海道北見市)

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