アベノミクスは本当なのか?

2013-01-31 04:08:48 | プロフィール
インターネットで記事を検索していたら東京新聞の本音のコラムで、経済学者の山口二郎氏が以下のようなコメントを寄せていました。この間私が疑問に思っていたことをつまびらかに明らかにしてくれました。転載させていただきます。

アベノミクスなる政策の評価は分かれているが、私は普通の人間にとって得になる話ではないと確信している。物価だけが上がって賃金が上がらなければ、生活は苦しくなるに決まっている。そして、企業は賃金を引き上げる気配を見せていない。来年値段が上がると思えば余裕のある人は欲しいものを買うかもしれないが、若い夫婦は子供を作ろうとは思わないだろう。物価上昇は、社会の活力には関係ない。

さらに不思議なのは、安倍政権が生活保護費を切り下げ、給与削減のために地方交付税を減額しようとしていることである。要するに、弱者と地方には金を回さないということである。これでは需要は減るばかりである。

生活保護の不正受給はほんの一部であり、もらえる人がもらっていないことの方が問題である。前政権で生活保護を受けやすくしたが、これは自殺者の減少など社会的効果をもたらしている。大半の地方自治体は何年も給与削減を実施しており、今更国に指図されるいわれはない。

アベノミクスがどのような社会を目指すのか、本音の議論をすべきである。富の創出というスローガンの陰で、富が誰に帰着するか、現実の話を語るべきである。このままでは、弱者が自らを痛めつける政策を支持するという、十年前の愚を繰り返すことになる。(東京新聞平成25年1月27日付)


そもそも大型予算といってもその原資は赤字国債で、結局のところ借金はさらに増えることになる。投入したお金が有効に使われればいいけれど景気が良くなる保障はどこにもない。安倍さんは、<景気が良くなる→給料が増える→モノが売れる→さらに景気が良くなる→消費税の導入>という図式を書いているのでしょう。しかし経団連の米倉会長は「給料を上げる状況にはない」と言い切っている。大型予算が大企業にいいように利用され、庶民のふところ具合は一向に良くならず、それどころか物価値上げと円安で、生活物資が上がり来年春には消費税が追い打ちをかける。残ったのは巨額の財政赤字と疲弊した庶民だけ。潤ったのはさらに内部留保をため込んだ大企業。こんなことにならないようにお願いしたいものです。

「議会だより」改革のために

2013-01-30 01:22:41 | 議会活動
私はこの2年間、議会だよりの委員長として、読みやすく、わかりやすい議会だより実現のために力を尽くしてきました。開かれた議会を実現するためには、議会だよりが議会と市民の懸け橋にならなければならないと思ったからです。いま市民の議会に対する目には厳しいものがあります。議会としても積極的に市民の皆さんに市政のこと、議会のことを知らせて行く必要があります。この間の経験をスライドでまとめてみました。


他の市議会さんから議会だよりの視察があります。
その資料を使ってこの間の取り組みをご紹介します。


議会だよりの改革はこれでいいということがありません。常に挑戦です。


なぜ議会だよりが読まれないのか考えてみました。
まず市民の側からは無関心、時間がないなどです。
一方議会側にも問題があります。
市民に読まれる議会だよりをつくるという意識に乏しいことです。
その結果、読まれない「議会だより」が量産されることになります。


まず考えるべきは、「どうしたら市民に読んでもらえるのだろう?」
と考えることから始まります。


最初に当議会で行ったのは他の市町村の「議会だより」を学ぶことでした。
1昨年の1月に群馬県吉岡町議会さんを訪問しました。
吉岡町議会の皆さんには多くの重要なアドバイスをいただきました。
感謝しております。


キーワードは「見せる議会だより」でした。
まず見せて、それから読んでもらうということです。


それには見出し、レイアウト、図表、写真がものをいいます。
私たちにとって、これまではあまり意識してこなかった点でした。


あらためて自分たちの「議会だより」を見ると文字ばかりであったことに気づかされます。
普通の市民の皆さんでしたら、読む気力を減退させるような誌面でした。


先進例に学び、問題点を抽出し「議会だより」刷新案を立案しました。
見直しには印刷会社のデザイナーさんの意見をお聞きする機会も作りました。
専門的な立場で、私たちの「議会だより」へのアドバイスをいただくことができました。
印刷会社さんとの信頼関係が大切だと感じました。


これまでの改革への取り組みをまとめると10ぐらいになりそうです。
試行錯誤の連続でした。


「議会だより」改革は単に誌面をかえればいいというものではありません。
運営方法の刷新も必要でした。まずメンバーの中での刷新への意思統一が第一、
そして何でも率直に話し合いのできる環境整備が必要です。


そしてポイントは、P(企画)→D(編集)→C(反省)をきちんと回すことです。


原稿の内容や見出しには気を配りました。
ひとひとつ「これでわかるか」と校正しました。
こうした検討もこれまでは徹底して行われてきませんでした。


表紙にはやはり子供たちの笑顔がいいですね。
表紙にも突出し見出しを掲載しました。
一般の週刊誌などではごく普通に行われていることです。
表紙を見てその内容がわかればページをめくってくれるのではないでしょうか。
特集も毎回組みました。


文字が中心だった誌面には大きな写真と見出しがのりました。
その議会で何を議論したか一目でわかります。


議員の中で賛否が分かれるような場合も、その議論の経過をきちんと伝える
ことに気を配りました。


一般質問も文字数をそれまでの3分の2に削減しました。
段組みも4段から6段として読みやすくしました。
字数がたくさんあれば市民の方に伝わるということではありません。
厳選されたエッセンスを伝えるには字数は少ないほうがいいのです。


文字ではなく図表や写真で語らせることに努めました。
百聞は一見にしかず。語るより見せることです。


新しい企画「議会Q&A」を始めました。
議会に対する素朴な疑問にひとつひとつ答えました。
このページはあえて文字も大きくしスペースを取りました。


むずかしい財政も家計簿になぞらえてわかりやすく説明しました。


「議会だより」改革にはゴールがありません。
常に前を向いてより良い「議会だより」のために頑張ろうと思います。

太陽光発電所がありました

2013-01-29 00:23:29 | 議会活動
28日はとてもよく晴れたいましたが、風は冷たく寒い一日でした。私は午後から「議会だより」を配布してきました。年末から配り始めたのですがなにかと忙しくまだ配っています。それでも今日で一部を残してほとんど配り終えることができました。そんな中、八重原に登った入口で太陽光パネルを目にしました。広い空き地一面に敷き詰められた太陽光パネルは壮観です。

北御牧総合庁舎でお聞きするとパネルは約400KW。昨年12月末から発電を開始しているとのこと。この3月までに電力会社と売電契約をすれば、1KW42円で固定買取ができるとのことでした。いま東御市では企業が工場の屋上などを使って太陽光発電に参入すれば、かかった費用に対する利子補給制度があります。しかし実際に利用している企業は限定的だそうです。なかなか景気がはっきりしない中では大きな設備投資はしにくいものと思われます。

そんな中でこの企業は太陽光発電に参入されました。3・11の福島原発事故以来自然エネルギーが注目され、晴天率が全国から見ても高い当地は太陽光発電の好適地です。新しい事業に果敢に挑戦されたこの企業の取り組みを高く評価したいと思います。


一面に敷き詰められた太陽光パネル


設置企業名と八重原発電所の看板が取り付けてありました。

難儀する者からとっていいのか?

2013-01-28 10:02:01 | 議会活動
「盗みの三か条」という言葉をご存知でしょうか。これは伝統的な「本格の盗人(ぬすっと)」が守るべきこととされる掟で「盗まれて難儀をする者へは手を出さぬこと、人を殺めぬこと、女を手込めにせぬこと」の三か条です。池波正太郎さんが書いた「鬼平犯科帳」に出てくる言葉です。泥棒でさえ難儀する者からは盗らなかったのです。

今日の新聞報道によれば政府は生活保護費を740億円削減するとのことです。96%の世帯で受給額が現在よりも引き下げになります。引き下げ額は最大で10%にもなるとか。まさに「難儀する者」を手にかけることになります。生活保護については不正受給の問題や働いている世帯よりも支給額が上回っているなどという批判があります。しかし報道によれば不正受給は1%ということですし、必ずしもすべてで働いている世帯を上回るということでもありません。生活保護を受給している多くの皆さんは、病気や高齢などで働きたくても働けない方です。今回のように一律に削減するというやり方はいかがなものでしょうか。

先日商工会の新年会でベストセラーになった「国家の品格」を書かれた、藤原正彦さんのお話をお聞きする機会がありました。藤原さんはいま日本では武士道精神がすたれている、弱いものにたいする「惻隠の情(そくいんのじょう)」が必要だとおっしゃっていました。生き馬の目を抜くという商売の世界でも、江戸時代の近江商人は「売手よし、買手よし」に「世間よし」を加え「三方よし」の経営哲学を掲げていました。決して自分だけ儲かればいいというのではありませんでした。武士道精神に影響を受けた商人道精神が脈々と生きていました。

(注)惻隠の情 孟子の言葉で相手に対しての思いやりの心です。弱いものをかばう心、親孝行する心などすべて「惻隠の情」です。

安倍政権が掲げる「日本を取り戻す」ということは、こうした日本の良き伝統や文化を守り育てて行くということではないのでしょうか。難儀する者から取って、もうけをため込んでいる大企業には応分の負担を求めないというのであれば、武士道精神からはずれることになります。小泉さんが行った新自由主義がまたもや跳梁跋扈(ちょうりょう・ばっこ)することになるのでしょうか。

(注)跳梁跋扈 「悪者などが勢力をふるい、好き勝手にふるまうこと。「悪徳商法が―する」などと使います。

あの3・11の時も被災地の皆さんは相手を思いやる気持ち忘れず、配給にも混乱することもなく整然と並んで自分の順番を待っていました。その姿が報道されるや、世界中から大きな賞賛の声があがりました。弱いもの困っているものに対する惻隠の情こそが日本の絆の原点ではないでしょうか。難儀する者からさらに引きはがすようなやり方は、為政者としていかがなものでしょうか。                    


ご意見をお寄せいただくページを作りました

2013-01-26 07:01:32 | 議会活動
引き続きホームページの見直しについて書きます。このところホームページの見直しを行ってきましたが、昨日から皆様からのご意見をお寄せいただく欄を作成しました。当面試験運行となりますが、このブログ同様コメントの書き込みができます。どうぞホームページもご覧いただければと思います。これまで2年間このホームページを使ってきましたが、細かい機能については知りませんでした。この間いろいろと試す中で新しい機能を発見し、さっそく使ってみることにしました。うまく行くかどうかしばらくやってみて、それから考えようと思っています。

私のパソコンとのお付き合いも長くなりました。最初にパソコンと出会ったのは銀行員時代、熊谷支店に勤務していた時でした。1982年ごろのことでしょうか。いまから30年以上も前のことです。最初はポケットコンピュータという、電卓のお化けみたいなものでした。参考書を見ながらプログラムを打ち込み、金利計算やローン計算などに使っていました。出先でお客様からの相談に応じる時とても重宝していました。

一番活躍したのは営業職員の実績集計の時でした。管理項目が50数項目あり、職員が20名以上いましたので、電卓で計算したら1000回も計算しなければなりませんでした。それがポケットコンピュータではデータを入力すれば間違いなく縦横計算を行うことができました。いまならエクセルなどの表計算ソフトで一発ですが、当時はそんなものはありませんでした。

その後まもなくして大枚をはたいて、NECのPC8801mkⅡという当時としては本格的なパソコンを買いました。それが私のパソコン遍歴の始まりでした。当時銀行で情報処理会社を設立するという計画があり、パソコンに詳しいということで私に声がかかりました。その後やはり情報処理に長けているからということで、経済研究所に出向することにもなりました。パソコンとの出会いが私の人生を大きく変えたといってもいいのではないでしょうか。

今はインターネットの時代ですが、かつてはパソコン通信というものがありました。電話機に音響カプラという接続品をつけて通信をするのですが、伝送速度が極端に遅く一文字ずつ送られていくのがわかりました。今のように画像データや音声データなどを自由自在に操るなどということは思いもよりませんでした。

自治推進委員会が開かれました

2013-01-25 15:16:36 | 議会活動


1月24日、中央公民館で自治推進委員会が開催されました。自治推進委員とは各区の区長さんのことです。市内68地区の区長さんが一堂に会しての初の会議でした。市側からの報告や依頼事項があり、その後質疑応答がありました。今年1年、区のためにまちのために大変ご苦労いただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。



このところご無沙汰でした

2013-01-22 02:59:39 | 議会活動
先日来の大雪には苦労させられました。東御市は飯山市や長野市とは異なり、長野県の中でも雪が少ない地域ですので、今回の大雪はびっくりしました。1週間たつのにまだ日陰には雪がアイスバーンになって残っています。明日も雪降りのようで心配しています。

さて、このところブログの更新がおろそかになっていました。「いったい、どうしちゃったんだ」と思われた方もおいでではないでしょうか。ご心配をおかけしました。実はホームページの見直しに時間がとられ、ブログがおろそかになっていました。ブログを始めたのが2009年の2月からですので、来月で丸4年になります。一方ホームページは2011年の4月からですので2年です。

今回ホームページをもっと見やすいものにするために細かいところにこだわって画面の見直しを行いました。といっても外部の専門家にお願いすればお金がかかるので、もっぱら自分で行いました。ということでお金は一銭もかかっていません。そのかわり分からないことばかりでしたので時間がかかりました。ということでブログの更新にまで手が回りませんでした。

今回の見直しの中で新たにメニューに加えたのが滋野地区を紹介するページ「ふるさと滋野」です。いま滋野を紹介するガイドブックを作っています。そんな経験の中で私が生まれ、住んでいるこの滋野を多くの方に紹介したいと思ったのです。ガイドブックでは各集落ごとに紹介しているので、私自身の目から見た滋野を紹介して行こうと思います。すでに小学校の思い出、ぶどう栽培について、そして滋野駅のことなどをアップしました。

私が小学校から中学校の時代は、あの映画「三丁目の夕日」とぴったり重なります。高度経済成長の前で、みんな貧しく質素でした。そんななつかしい時代を振り返ってみたいと思います。もしかしたら私の単なるノスタルジアなのかもしれません。よろしかたらのぞいてみてください。左側のメニューの中のブックマークの「若林みきおのホームページ」をクリックしていただければご覧いただけます。

消防出初式がありました

2013-01-13 21:06:30 | 議会活動
1月13日はお天気も良く風もなく、滋野地区のあちこちの集落でどんど焼きが行われました。滋野のガイドブックのための写真撮影のために別府のどんど焼きに参加しました。早めにどんど焼きが行われる公園に行くと、役員さんがどんど焼きの準備をしていました。私も甘酒のご相伴にあずかりました。そのうちお正月の注連飾りやダルマ、まゆだまを持って三々五々集まりだしました。子供たちも大勢来てとても賑やかなどんど焼きとなりました。



午後からは田中商店街で恒例の消防出初式が行われました。最初に保育園児が法被を着て拍子木を叩いて行進しました。その後東御市消防団の堂々の行進が続きました。市内には小学校区単位に分団が組織されています。中でも北御牧地区は御牧原と八重原と別々に分団が組織され分団は2つ。その他滋野、祢津、和、田中地区で一つずつあり全体で6分団となっています。



分列行進の後は消防積載車によるパレードが行われました。そのあと東御消防署の行進が続きました。パレードの後は会場をサンテラスホールに移して式典が行われました。こうした消防団の皆さんのご活躍によって地域の安全と安心が守られているのです。そのご苦労に対して心から感謝申し上げます。


海野宿滞在型交流施設の起工式がありました

2013-01-11 08:34:58 | 議会活動
9日、海野宿滞在型交流施設の起工式があり参加しました。この事業は歴史的建造物を活用して宿泊施設や飲食施設を建設することで、地域の活性化と観光振興をめざすものです。完成は平成26年3月の見込みです。もともとこの建物は平成21年に所有者の方から市に寄贈されたもので、これまでその活用方法について学識経験者も交えて検討してきました。

交流施設は海野宿伝統的建造物群のほぼ真ん中にあります。母屋は宿泊施設に、蚕室は飲食施設に、土蔵は受付などに活用し、物置はギャラリーとするものです。宿泊施設では歴史的建造物に宿泊するという体験をしていただき、飲食施設では地元食材を活用したメニューを提供、休憩所では地元住民や観光客の交流をめざしています。

さる12月の議会でこの施設建設にかかわる予算が上程されました。その審議の中「経営上問題はないのか」「もし赤字になったらどうするのか」という指摘が相次ぎました。その結果、この施設が当初の目的を果たすことができるよう、市としても最大限の努力をするよう求める付帯意見をつけて可決されました。

海野宿は東日本においても有数の規模で歴史的建造物が残っている数少ない地域です。東御市にとって貴重な観光資源でもあります。今回の施設が大きな成果をあげられることを期待しています。


起工式で鍬入れをする花岡市長。


交流施設の全景です。以前は医院として使われていたそうです。


母屋の裏の中庭を中心に、正面に蚕室、右側に物置、左側に土蔵があります。

滋野ガイドブックの編集大詰めです

2013-01-11 01:33:23 | 雑感
今年は年明けから大忙しの毎日です。いま滋野地区には区長さんはじめ各種団体などで組織する滋野地区活性化委員会という組織があり、滋野地域の活性化のためにさまざまな活動に取り組んでいます。委員会にはテーマごとに4つの部会があります。私はその中の第一部会に所属し、2年前から滋野地区を紹介するガイドブックの刊行を目指し、編集委員の皆さんと一緒に地域の歴史的遺産や行事などの写真撮影を行ってきました。そしてようやく各区を紹介する原稿も集まり、この2月に発行するところまでこぎつけました。

この取り組みで私は各区にある道祖神や神社に足を運び、お祭りや伝統行事に参加してきました。そんな中でこれまで知らなかったその地域地域の歴史と伝統に親しく接することができました。自分では知っていたつもりでしたが、知らないことがたくさん出てきました。

そんな地区の中には今ではすたれてしまった伝統行事の復活に積極的に取り組んできたところもありました。十日夜のわら鉄砲、初午引き、お囃子と屋台運行などが行われてきました。かつては千曲川を渡る橋がかかり重要な街道の拠点だったところもありました。今でも川岸にそのことを示す石碑が残されていました。この滋野地区は昔から水に苦労してきたところですが、ある地区では昔湧水がどのお宅にもあり飲み水やお勝手の洗い物に利用していたというお話もお伺いしました。水車小屋や染物屋があったそうです。

7日には原稿を印刷会社にお渡しし、翌日には写真データもそろえることができました。この週末には各区で実施されるどんど焼きの写真も撮らなければなりませんがそれもあとわずかです。

特筆すべきはこうした原稿を準備するにあたり、各区の編集委員の皆さんは地域で長老の方々と話し合い、原稿をまとめ、パソコンを打ってこられたことです。大変な情熱を傾けて取り組まれてこられました。最終的には事務局でまとめなければならないかと思っていたのですがその必要もないくらいでした。そうした各区の良さをできるだけ残しながらガイドブックができればいいと思っています。

先日イラストレーターの方とお会いし各区を紹介する地図の作成をお願いしました。たんなる案内図では面白くありません。ガイドブックを片手に歩いてみたくなるような、そんな楽しいイラスト入りの地図ができればと思います。

これからは校正作業が何度かあります。文章や写真も見直しが必要です。2月末の完成目指して最後の追い込みに入っています。

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