『いまさら何を・・・』と揶揄される向きもあるかもしれない。
でも昨日ふと湧き上がってきて、自分自身を覆ってやまない。
『おれは、技術の食い潰しをしている。それに加担している』と。
農業を含め伝統的な世界に共通していることかもしれないが、引き継ぎ手がなく高齢化が激しく進んでいる。ぼくの住む建築の世界、特に大工棟梁は、さらにその傾向が顕著だ。
技術は、職人によって伝わる以外にないと思う。書物で学んで身に着くものではない。一朝一夕に身に着くものでもない。ここでつながらなかったら、多くがそうであったように、歴史に埋もれてしまう。
市場原理のクールな視点で見るならば、『需要と供給のバランスなのだから、引き継ぎ手がないというのは世の中に必要とされていない証』と、技術の継承そのものが不要と位置づけることもできる。自然淘汰であると。確かに変容著しく、すでに一般住宅の世界では構造材の加工はコンピュータープレカットに折檻され、梁算段や規矩術など必要のない家づくりとなった。
でも、がしかし、だから・・・・・・・・・・・・・・・・・・云々書いている自分、、、、あぁ、こんなこと書くのやめた。
『限られた条件の中で最善を尽くす』
これ以外にない。
ではまた。
おさむ
でも昨日ふと湧き上がってきて、自分自身を覆ってやまない。
『おれは、技術の食い潰しをしている。それに加担している』と。
農業を含め伝統的な世界に共通していることかもしれないが、引き継ぎ手がなく高齢化が激しく進んでいる。ぼくの住む建築の世界、特に大工棟梁は、さらにその傾向が顕著だ。
技術は、職人によって伝わる以外にないと思う。書物で学んで身に着くものではない。一朝一夕に身に着くものでもない。ここでつながらなかったら、多くがそうであったように、歴史に埋もれてしまう。
市場原理のクールな視点で見るならば、『需要と供給のバランスなのだから、引き継ぎ手がないというのは世の中に必要とされていない証』と、技術の継承そのものが不要と位置づけることもできる。自然淘汰であると。確かに変容著しく、すでに一般住宅の世界では構造材の加工はコンピュータープレカットに折檻され、梁算段や規矩術など必要のない家づくりとなった。
でも、がしかし、だから・・・・・・・・・・・・・・・・・・云々書いている自分、、、、あぁ、こんなこと書くのやめた。
『限られた条件の中で最善を尽くす』
これ以外にない。
ではまた。
おさむ