『日本国勢地図帳』,別名『ナショナル・アトラスThe National Atlas of JAPAN』という非常に大部な書物がある。1977年に建設省国土地理院から刊行された図書で,サイズは縦×横×厚さが60.5cm×42.8cm×4.0cm,総頁数366pp.,重量約7kg(全盛期のミーシャに匹敵するくらいだ!),装丁は重厚長大,背革の量だけでも約1,200c㎡ある(革の財布がいくつ作れることやら!)。
現在,これとほぼ同一の体裁で一書を作製すれば,それなりの部数を刷ったとしても1冊単価は恐らく20万円は下るまい。それほどまでに刊行当時においてはこの本を出版すること自体がいわば国の威信をかけた国家的事業であり,本邦における地理学及び地図学に関する最新知見の集大成であり,その結果として,このジャンルにおいて出版文化の金字塔を打ち建てたといっても過言ではない。いや,決して大袈裟な言い方にはならないと思う。知見の膨大さ,内容の緻密さ,記載の精確さ,編集の巧妙さ,のみならず本自体の仕上がりの丁寧さ立派さは四半世紀以上を経た現在でも決して色あせることなく,いやむしろ(イヤな言い方だが)書物としての骨董的価値すら一層高まっている(と勝手に解釈したい)。巻頭には時の内閣総理大臣であった福田赳夫が献辞を寄せており,他に,建設大臣の長谷川四郎(詩人でもなく古生物学者でもなく),国土地理院長の大島哲男(@みらい建設)が序文を記している。ま,そんなこはドーデモイイんですけど。
ところで,同書が出版された当時の私の境遇はといえば,未だ大学に籍を置きながら零細企業に勤めだして間もない頃であった。そして,貧寒給与生活者にとって,その本の価格は手取り給料の1ヶ月分をゆうに上回る金額であり,それを所有しようなんてぇことは若輩の分際では夢のまた夢,高嶺の花,掃溜めの鶴,炉端の蟋蟀,天蓋の銀燭台,カボチャの四輪馬車,ナメクジの郵便箱,いや何とでも喩えるがよい,要するにそれは個人所有のはるか埒外にあるものにして,主要な公共図書館や大学,研究所,一流企業の資料室などの奥まったところに鎮座まします常置本,いわば出版界におけるステイタス・シンボルそのものであった。
それでも一応,当時は日本国際地図学会の末端会員であったし,地図関係の民間企業に就職することを希望したこともあったし(落ちましたけど),曲がりなりにも地理学徒のハシクレに身を置いていた者として,確か横浜・紅葉ヶ丘にある神奈川県立図書館の資料室に何度か足を運んでは,溜息まじりにその本を閲覧していた記憶がある。そして,あー,とうとう我国も文化国家としての自覚が芽ばえ,啓蒙思想が浸透し,学術振興が実を結び,先進文明に追いつけ追い越せ,その成果としての輝ける一里塚の構築,やれば出来るじゃないか,などと,訳もなくひとり秘かに喜びほくそ笑んだものだ。なおまた図書館の側にあっても,そのサイズや重量からくる極度の閲覧性の悪さのため本の置き場所をかなり持て余している様子ではあったが,しかし一方では,かくのごとき書物を所蔵せずして何が公共図書館か,という意気込みさえ感じられた。そういう時代だったのである。
その後,私自身は地図学ないし地理学とは別の世界に足を踏み入れるようになってしまい,爾来はや幾星霜,それは言葉を変えれば世の中の趨勢,社会の風潮が基本図から主題図へ,それもかなり特殊偏向的な主題図へと遷移してゆくのに反して,私の内面は主題図から基本図へと徐々に,なし崩し的に移行していった過程であるといってもいい。まるで川の流れを転がる小石のように。
少々奥歯にモノの挟まったような書き様で恐縮です。何を言いたいのかと申しますと,実は先日,ネット・オークションでこの本を,な,な,何~んと 2,100円ポッキリで,送料を含めても3,000円でお釣りがくるような金額で落札してしまったという,その手柄話ないし自慢話をチョッピリしてみたいのであります。いやいや,別に手柄でも自慢でも何でもないか。
最終的に自分が落札した時は「ラッキー!」というより「ゴメンナサイ!」という思いが先に立ったのが正直なところだ。有り体に言って,現代社会のニーズにそぐわない,トレンドにおいてけぼりをくった時代錯誤的な本,と断じればそれまでだが,それにしたところで,この類の書物を歴史的重要資料として,いわば古典美術書のヴァリエーションとして評価するマーケットがこの国には存在し得ないのだろうか? 別にケンカを売るわけではないが,○○画伯や△△巨匠の愛蔵版,限定版と銘打たれたショーモナイ画集が数10万~数100万円の値を付けられて美術目録に記載されているのを見るにつけ,明治期の陸地測量部以来,連綿と築かれ蓄積されてきた知恵と努力と苦難の成果品たる『ナショナル・アトラス』の存在は,ではいったい何だったのだろうか。国家と個人との対比でしか評価されないのか。しょせんは歴史の徒花に過ぎないのか。でもしかし,プトレマイオス,伊能忠敬は語るに及ばず,地図に係わりを持つ多くの有名・無名の先達は,このような現状を知ったら悲憤慷慨,というか,さぞや深く悲しまれることであろう。繰り返すが私自身,ウマウマと入手しておきながら大変申し訳ない気持ちで今でも一杯である。
とかなんとかいいながら,数日後にそれが家に届くと,ワタシはもう嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて,寸暇を惜しんでは二階の仕事部屋の床にその本を一杯に広げて(面積約5,200c㎡,文庫本33冊分),ニヤニヤしながら昼となく夜となく飽かず眺めているのであった。《図-18.1顕著な台風の経路》とか《図-34.1米の収穫面積》とか《図-49.2鉄道による到達時間》とか《図-72.3生活保護率》とか,いろんな図面を見てはひとり頷いてしまうのであった。地図表現の色合いの美しさと弧状列島を縦断する時空的な広がりの妙,図上に打たれた小さなドットのひとつひとつの集合から窺い知れる都会と地方の暮らしぶり,あるいは,自分ならこの図のここの箇所はこう書いただろう,などと手前勝手に改訂版を想像したりもして,それが今から約30年前に作られたものであることなど忘れ,我知らず想像逞しく地図帳に見入り,没頭してしまう。それは決してフェティシズムではなく,単なる故郷回帰の旅に過ぎないんだけれどもネ。相も変わらず進歩のない毎日であります。我々はいったい何処から来て,何処へゆくのか?
そうそう,昨晩のこと。夕食後の休息時に例によって二階で地図帳を広げていると,タカシがその脇をスッと通り過ぎた。その際,彼の足が本のページに擦ったようで,足首がピッと切れて血が滲んだ。もっとも本人は少し後になってから気付いたという。いわゆるカマイタチ状態であります。滅びし者の怨念だろうか。合掌して御祓いでもしようか。
現在,これとほぼ同一の体裁で一書を作製すれば,それなりの部数を刷ったとしても1冊単価は恐らく20万円は下るまい。それほどまでに刊行当時においてはこの本を出版すること自体がいわば国の威信をかけた国家的事業であり,本邦における地理学及び地図学に関する最新知見の集大成であり,その結果として,このジャンルにおいて出版文化の金字塔を打ち建てたといっても過言ではない。いや,決して大袈裟な言い方にはならないと思う。知見の膨大さ,内容の緻密さ,記載の精確さ,編集の巧妙さ,のみならず本自体の仕上がりの丁寧さ立派さは四半世紀以上を経た現在でも決して色あせることなく,いやむしろ(イヤな言い方だが)書物としての骨董的価値すら一層高まっている(と勝手に解釈したい)。巻頭には時の内閣総理大臣であった福田赳夫が献辞を寄せており,他に,建設大臣の長谷川四郎(詩人でもなく古生物学者でもなく),国土地理院長の大島哲男(@みらい建設)が序文を記している。ま,そんなこはドーデモイイんですけど。
ところで,同書が出版された当時の私の境遇はといえば,未だ大学に籍を置きながら零細企業に勤めだして間もない頃であった。そして,貧寒給与生活者にとって,その本の価格は手取り給料の1ヶ月分をゆうに上回る金額であり,それを所有しようなんてぇことは若輩の分際では夢のまた夢,高嶺の花,掃溜めの鶴,炉端の蟋蟀,天蓋の銀燭台,カボチャの四輪馬車,ナメクジの郵便箱,いや何とでも喩えるがよい,要するにそれは個人所有のはるか埒外にあるものにして,主要な公共図書館や大学,研究所,一流企業の資料室などの奥まったところに鎮座まします常置本,いわば出版界におけるステイタス・シンボルそのものであった。
それでも一応,当時は日本国際地図学会の末端会員であったし,地図関係の民間企業に就職することを希望したこともあったし(落ちましたけど),曲がりなりにも地理学徒のハシクレに身を置いていた者として,確か横浜・紅葉ヶ丘にある神奈川県立図書館の資料室に何度か足を運んでは,溜息まじりにその本を閲覧していた記憶がある。そして,あー,とうとう我国も文化国家としての自覚が芽ばえ,啓蒙思想が浸透し,学術振興が実を結び,先進文明に追いつけ追い越せ,その成果としての輝ける一里塚の構築,やれば出来るじゃないか,などと,訳もなくひとり秘かに喜びほくそ笑んだものだ。なおまた図書館の側にあっても,そのサイズや重量からくる極度の閲覧性の悪さのため本の置き場所をかなり持て余している様子ではあったが,しかし一方では,かくのごとき書物を所蔵せずして何が公共図書館か,という意気込みさえ感じられた。そういう時代だったのである。
その後,私自身は地図学ないし地理学とは別の世界に足を踏み入れるようになってしまい,爾来はや幾星霜,それは言葉を変えれば世の中の趨勢,社会の風潮が基本図から主題図へ,それもかなり特殊偏向的な主題図へと遷移してゆくのに反して,私の内面は主題図から基本図へと徐々に,なし崩し的に移行していった過程であるといってもいい。まるで川の流れを転がる小石のように。
少々奥歯にモノの挟まったような書き様で恐縮です。何を言いたいのかと申しますと,実は先日,ネット・オークションでこの本を,な,な,何~んと 2,100円ポッキリで,送料を含めても3,000円でお釣りがくるような金額で落札してしまったという,その手柄話ないし自慢話をチョッピリしてみたいのであります。いやいや,別に手柄でも自慢でも何でもないか。
最終的に自分が落札した時は「ラッキー!」というより「ゴメンナサイ!」という思いが先に立ったのが正直なところだ。有り体に言って,現代社会のニーズにそぐわない,トレンドにおいてけぼりをくった時代錯誤的な本,と断じればそれまでだが,それにしたところで,この類の書物を歴史的重要資料として,いわば古典美術書のヴァリエーションとして評価するマーケットがこの国には存在し得ないのだろうか? 別にケンカを売るわけではないが,○○画伯や△△巨匠の愛蔵版,限定版と銘打たれたショーモナイ画集が数10万~数100万円の値を付けられて美術目録に記載されているのを見るにつけ,明治期の陸地測量部以来,連綿と築かれ蓄積されてきた知恵と努力と苦難の成果品たる『ナショナル・アトラス』の存在は,ではいったい何だったのだろうか。国家と個人との対比でしか評価されないのか。しょせんは歴史の徒花に過ぎないのか。でもしかし,プトレマイオス,伊能忠敬は語るに及ばず,地図に係わりを持つ多くの有名・無名の先達は,このような現状を知ったら悲憤慷慨,というか,さぞや深く悲しまれることであろう。繰り返すが私自身,ウマウマと入手しておきながら大変申し訳ない気持ちで今でも一杯である。
とかなんとかいいながら,数日後にそれが家に届くと,ワタシはもう嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて,寸暇を惜しんでは二階の仕事部屋の床にその本を一杯に広げて(面積約5,200c㎡,文庫本33冊分),ニヤニヤしながら昼となく夜となく飽かず眺めているのであった。《図-18.1顕著な台風の経路》とか《図-34.1米の収穫面積》とか《図-49.2鉄道による到達時間》とか《図-72.3生活保護率》とか,いろんな図面を見てはひとり頷いてしまうのであった。地図表現の色合いの美しさと弧状列島を縦断する時空的な広がりの妙,図上に打たれた小さなドットのひとつひとつの集合から窺い知れる都会と地方の暮らしぶり,あるいは,自分ならこの図のここの箇所はこう書いただろう,などと手前勝手に改訂版を想像したりもして,それが今から約30年前に作られたものであることなど忘れ,我知らず想像逞しく地図帳に見入り,没頭してしまう。それは決してフェティシズムではなく,単なる故郷回帰の旅に過ぎないんだけれどもネ。相も変わらず進歩のない毎日であります。我々はいったい何処から来て,何処へゆくのか?
そうそう,昨晩のこと。夕食後の休息時に例によって二階で地図帳を広げていると,タカシがその脇をスッと通り過ぎた。その際,彼の足が本のページに擦ったようで,足首がピッと切れて血が滲んだ。もっとも本人は少し後になってから気付いたという。いわゆるカマイタチ状態であります。滅びし者の怨念だろうか。合掌して御祓いでもしようか。