そんなわけで,アレヨアレヨという間に民主党政権誕生ということになってしまった。「瓢箪から駒」とまではアカラサマに申さぬが,「冗談からトマソン」くらいは言わせていただこう。アノ瑞穂サンが国務大臣になるなんて,少し前まで誰が予測していただろうか。拙宅をときおり訪問する某宗教関係の方々(エホバではありません。幸福の科学でもございません)も,さぞかし心中穏やかならぬものがございましょうと察するに余りある今日この頃,皆様いかがお過ごしでしょうか。。。(綾小路きみまろか!) まこと昨今の世の中はすごいスピードで疾走している。一寸ボンヤリしているといつのまにやらウラシマタローになってしまう。明日は明日の風が吹く,って? んじゃ,今日はどんな風が吹いているのか,言ってみなさい,キミ!
寝言はさておき,今般の政権交代という我が国における歴史的転換シーンを私共のジンセイなんぞに当てはめて考えてみると,さて,どんなレベルに相当するのであろうか? 例えば家の買い換え(リハウス)に匹敵する程のものなのか,もしくは家の増改築(リフォーム)くらいには相当するのか,それとも単にお部屋の模様替え(リデコレイト)程度のものに過ぎないのだろうか。衆愚的行動原理を勘案すれば,せいぜい第三案あたりでなかろうかと個人的には思っているのだケレドモ。 少し前に立花隆がローカル新聞のコラムで民主党政権に対して思いっ切り毒づいていたが,彼のような教条主義者ならずとも,例の「マニフェスト」とやらの実現可能性について先行き不安を感じているインテリゲンチャないしインテリモドキは少なくないだろう。
手前味噌ながら“自転車的話題”に引き寄せて考えてみようか。例えば「高速道路の無料化」という項目がマニフェストに示されているが,これなど実に気が滅入るアド・バルンである。立花隆ではないが,「アホか,オマエら!」と捨てゼリフのひとつも吐きたくなる。そげん御託を並べる前に,他にやることが山ほどあるだろうが! すなわち,バスおよび鉄道の無料化である。都バス,市バスなどの公営バスは即刻無料にせよ。鉄道についても,JRは国鉄に戻して在来線は無料化しなさい。都営地下鉄,市営地下鉄なんかも無料にしてください。いきなり無料化するのがキビシイのであれば,まずは大幅値下げなんてドーデショウカ。それが公共交通機関の本来のあり方であり,現代社会システムの真っ当な運用原理であり,ホモ・モーベンスたる我らの生きる道だと思う。
んじゃぁ,高速道路の方は一体どうするって? その問題は個人的には言及するのも疎ましいのだが,あえて申すなら,無料化ではなくって逆に値上げ化すべきでしょう。営業車は当面現行通りとし,一般車は現行料金の3倍に値上げする。いや5倍増でもいい。走行レーンについては,片側2車線道路の場合,1車線は営業車専用レーン(Aレーン),もう1車線は一般車・営業車併用レーン(Bレーン)とする。片側3車線道路ならAレーンが2車線,Bレーンが1車線とする。Aレーン,Bレーンの間には分離帯を設け,緊急車両以外のレーン間の相互往来は不可。また,各レーンは原則として追い越し禁止。煽り運転に起因する事故に対しては厳罰をもって臨む(実刑&終身免停)。あ,それから,営業用として登録された車両を一般利用に闇転用した場合も,やはり厳罰をもって臨んじゃいます。ま,そんなことくらいしか浮かばない。 (あー,くだらない)
マニフェストに関してもうひとつだけ言及すれば,「八ツ場ダム建設中止」という案件,これもまたすこぶる気が滅入るエア・サインだ。この問題については,自転車関係のメルマガをWEB配信している疋田@ピカピカ氏と心情的には同意見である(週刊自転車ツーキニスト368号「八ッ場ダムに関して少々」)。ただ,彼のアマイところは,民主党政権の批判的シンパでありながら,いわゆるダム問題に対する本質的な理解が不足しているという点だ。ダム建設事業というものを治水(環境)・利水(生活)に係る複合的社会問題として論じながらも,結局のところダム建設は損か得かの「金勘定」として捉えて賛成派・反対派のネゴシエーションに茶々を入れている。いわゆる「国民感情」の代弁ってヤツ,プラスマイナス仕合せの在庫は幾つ?という視点なのである。
しかしそもそも,ダム建設という行為は,人々の住まう土地の改変であり,山川草木の改変であり,要するに自然に対する積極的な構造改革なのである。そして巨視的に見れば,それらの地形制御は地表面,地球表面における生態遷移の一過程に過ぎないのである。金勘定なんぞの出張る余地はないのだ。
例えば同じ哺乳類であるビーバー(Castor fiber)のことを考えて御覧なさい。彼が作るダムは決して周辺環境とのネゴシエーションのタマモノなんかではない。自然のなかで自らが果敢に生きるために,すなわち種の保存のため,彼らは日夜ヒタスラ黙々とダムを作っているのだ。そして,ヒト(Homo sapiens)という生物にとっても,ダム建設という行為はビーバーと同じく種の保存にとって良かれと思って選択したことなのである。われわれがこの地球という惑星で生きていく以上,《人間至る所にダムあり》なのである。土地改変,山川草木改変はその結果でしかない。水没地住民の移転云々もまた同様に,種の保存の適応選択でしかない。それを,地元土建屋の権益だとか特定の官僚・政治家・財界の癒着だとか,あるいは美しい自然の喪失だとか貴重な生き物の絶滅だとか,アーダ・コーダぬかして何になろう。さらにはこの機に乗じて「ダムはムダ」などと回文駄洒落を飛ばして悦に入る輩も現れる始末。そのようなアホ連中,屁理屈論者たちは,一度,安全ヘルメットしっかり被ってダム建設中の工事現場の真っ只中に入り込んでみるといい。あるいは,ダム完成後のダム貯水池の湖底深くに潜水タンク背負って潜ってみて御覧なさいな。《人間の大地,労働》(Sebastiao Salgado)を目の当たりにして身の引き締まる思いを感ずるだろう。しかる後に自らの言葉でモノを言うべきです。
ダム建設自体に関して改めて申せば,それが賛成派であれ反対派であれ,そもそも正義なんてどこにもありゃしないのだ。例えばですね。駿河湾沖を震源地とする東海大地震が真近に迫っているゾ。こりゃ大変だ。大地動乱の時代の引き金となるであろう我が国存亡の危機を防ぐためには駿河トラフ(海谷)の底深くにダムを作るしかない!などという言説が真実味を帯びてきた場合(勿論ウソですけど),恐らくは挙国一致体制,国民こぞって海底ダム作りに賛成するに違いあるまい。いや,ダム建設地が海底であろうが地上であろうが,あるいは南極大陸のヴィンソン・マシフであろうが,場所の問題ではない。繰り返すが,金の問題でもない。ダムを作るという行為,流れをいったん堰き止めるという行為は,ヒトが生きていくうえでのごく自然な営み,いわば「偶然ではなく必然」なのであるからして。
。。。といったようなオハナシは,畢竟私個人のヒネクレタ持論,いや,持論なんてものではない,つい先だって思い付いた空論に過ぎないのでございます。関係者は嗤って聞き流して下さいまし。現実問題として,政権が変わったら政府方針もまた変わること,それは当然のことであって,民主党政権は八ツ場ダムも,それから川辺ダムも,とっとと建設中止にするがよろしい。なまじ,地元の住民感情に配慮して云々などと埒のあかない話し合いを重ねてこの先さらにズルズルと引き延ばすのが最もよろしくない。国民全体としてみれば,今回,民主党を圧倒的に支持したのであるからして,地元の方々は泣きながらそのことを甘受して下さい。その分,民主党政権が新たに計上するであろう「思いやり予算」とかによって,これまで歴史の流れに翻弄され続けてきた地元住民の今後の生活水準は十分に補償されるでありましょう(シアワセ水準が補償されるかどうかは,知らん)。
あー,何だか久しぶりに一杯飲んでクダ巻いてワケノワカランことを書きちらして,我ながら恥じ入る思いで一杯である(ダッタラ書くな!) とにもかくにも,昨今のヨノナカは実にクダラナイことばかりだなぁ,なんて,つかのま厭世的な気分に浸りつつ,それでもなお《生きるという病気》を抱えたまま今日は今日とて何処から吹く風に身を任せているのである。そして恐らく,ビーバー君だって何処かの渓谷を吹きわたる風の中で秘かに怒っているのである。 「ダム作りを一体何だと思っているのサ。プンプン!」 と。 (さとう珠緒調で?)
寝言はさておき,今般の政権交代という我が国における歴史的転換シーンを私共のジンセイなんぞに当てはめて考えてみると,さて,どんなレベルに相当するのであろうか? 例えば家の買い換え(リハウス)に匹敵する程のものなのか,もしくは家の増改築(リフォーム)くらいには相当するのか,それとも単にお部屋の模様替え(リデコレイト)程度のものに過ぎないのだろうか。衆愚的行動原理を勘案すれば,せいぜい第三案あたりでなかろうかと個人的には思っているのだケレドモ。 少し前に立花隆がローカル新聞のコラムで民主党政権に対して思いっ切り毒づいていたが,彼のような教条主義者ならずとも,例の「マニフェスト」とやらの実現可能性について先行き不安を感じているインテリゲンチャないしインテリモドキは少なくないだろう。
手前味噌ながら“自転車的話題”に引き寄せて考えてみようか。例えば「高速道路の無料化」という項目がマニフェストに示されているが,これなど実に気が滅入るアド・バルンである。立花隆ではないが,「アホか,オマエら!」と捨てゼリフのひとつも吐きたくなる。そげん御託を並べる前に,他にやることが山ほどあるだろうが! すなわち,バスおよび鉄道の無料化である。都バス,市バスなどの公営バスは即刻無料にせよ。鉄道についても,JRは国鉄に戻して在来線は無料化しなさい。都営地下鉄,市営地下鉄なんかも無料にしてください。いきなり無料化するのがキビシイのであれば,まずは大幅値下げなんてドーデショウカ。それが公共交通機関の本来のあり方であり,現代社会システムの真っ当な運用原理であり,ホモ・モーベンスたる我らの生きる道だと思う。
んじゃぁ,高速道路の方は一体どうするって? その問題は個人的には言及するのも疎ましいのだが,あえて申すなら,無料化ではなくって逆に値上げ化すべきでしょう。営業車は当面現行通りとし,一般車は現行料金の3倍に値上げする。いや5倍増でもいい。走行レーンについては,片側2車線道路の場合,1車線は営業車専用レーン(Aレーン),もう1車線は一般車・営業車併用レーン(Bレーン)とする。片側3車線道路ならAレーンが2車線,Bレーンが1車線とする。Aレーン,Bレーンの間には分離帯を設け,緊急車両以外のレーン間の相互往来は不可。また,各レーンは原則として追い越し禁止。煽り運転に起因する事故に対しては厳罰をもって臨む(実刑&終身免停)。あ,それから,営業用として登録された車両を一般利用に闇転用した場合も,やはり厳罰をもって臨んじゃいます。ま,そんなことくらいしか浮かばない。 (あー,くだらない)
マニフェストに関してもうひとつだけ言及すれば,「八ツ場ダム建設中止」という案件,これもまたすこぶる気が滅入るエア・サインだ。この問題については,自転車関係のメルマガをWEB配信している疋田@ピカピカ氏と心情的には同意見である(週刊自転車ツーキニスト368号「八ッ場ダムに関して少々」)。ただ,彼のアマイところは,民主党政権の批判的シンパでありながら,いわゆるダム問題に対する本質的な理解が不足しているという点だ。ダム建設事業というものを治水(環境)・利水(生活)に係る複合的社会問題として論じながらも,結局のところダム建設は損か得かの「金勘定」として捉えて賛成派・反対派のネゴシエーションに茶々を入れている。いわゆる「国民感情」の代弁ってヤツ,プラスマイナス仕合せの在庫は幾つ?という視点なのである。
しかしそもそも,ダム建設という行為は,人々の住まう土地の改変であり,山川草木の改変であり,要するに自然に対する積極的な構造改革なのである。そして巨視的に見れば,それらの地形制御は地表面,地球表面における生態遷移の一過程に過ぎないのである。金勘定なんぞの出張る余地はないのだ。
例えば同じ哺乳類であるビーバー(Castor fiber)のことを考えて御覧なさい。彼が作るダムは決して周辺環境とのネゴシエーションのタマモノなんかではない。自然のなかで自らが果敢に生きるために,すなわち種の保存のため,彼らは日夜ヒタスラ黙々とダムを作っているのだ。そして,ヒト(Homo sapiens)という生物にとっても,ダム建設という行為はビーバーと同じく種の保存にとって良かれと思って選択したことなのである。われわれがこの地球という惑星で生きていく以上,《人間至る所にダムあり》なのである。土地改変,山川草木改変はその結果でしかない。水没地住民の移転云々もまた同様に,種の保存の適応選択でしかない。それを,地元土建屋の権益だとか特定の官僚・政治家・財界の癒着だとか,あるいは美しい自然の喪失だとか貴重な生き物の絶滅だとか,アーダ・コーダぬかして何になろう。さらにはこの機に乗じて「ダムはムダ」などと回文駄洒落を飛ばして悦に入る輩も現れる始末。そのようなアホ連中,屁理屈論者たちは,一度,安全ヘルメットしっかり被ってダム建設中の工事現場の真っ只中に入り込んでみるといい。あるいは,ダム完成後のダム貯水池の湖底深くに潜水タンク背負って潜ってみて御覧なさいな。《人間の大地,労働》(Sebastiao Salgado)を目の当たりにして身の引き締まる思いを感ずるだろう。しかる後に自らの言葉でモノを言うべきです。
ダム建設自体に関して改めて申せば,それが賛成派であれ反対派であれ,そもそも正義なんてどこにもありゃしないのだ。例えばですね。駿河湾沖を震源地とする東海大地震が真近に迫っているゾ。こりゃ大変だ。大地動乱の時代の引き金となるであろう我が国存亡の危機を防ぐためには駿河トラフ(海谷)の底深くにダムを作るしかない!などという言説が真実味を帯びてきた場合(勿論ウソですけど),恐らくは挙国一致体制,国民こぞって海底ダム作りに賛成するに違いあるまい。いや,ダム建設地が海底であろうが地上であろうが,あるいは南極大陸のヴィンソン・マシフであろうが,場所の問題ではない。繰り返すが,金の問題でもない。ダムを作るという行為,流れをいったん堰き止めるという行為は,ヒトが生きていくうえでのごく自然な営み,いわば「偶然ではなく必然」なのであるからして。
。。。といったようなオハナシは,畢竟私個人のヒネクレタ持論,いや,持論なんてものではない,つい先だって思い付いた空論に過ぎないのでございます。関係者は嗤って聞き流して下さいまし。現実問題として,政権が変わったら政府方針もまた変わること,それは当然のことであって,民主党政権は八ツ場ダムも,それから川辺ダムも,とっとと建設中止にするがよろしい。なまじ,地元の住民感情に配慮して云々などと埒のあかない話し合いを重ねてこの先さらにズルズルと引き延ばすのが最もよろしくない。国民全体としてみれば,今回,民主党を圧倒的に支持したのであるからして,地元の方々は泣きながらそのことを甘受して下さい。その分,民主党政権が新たに計上するであろう「思いやり予算」とかによって,これまで歴史の流れに翻弄され続けてきた地元住民の今後の生活水準は十分に補償されるでありましょう(シアワセ水準が補償されるかどうかは,知らん)。
あー,何だか久しぶりに一杯飲んでクダ巻いてワケノワカランことを書きちらして,我ながら恥じ入る思いで一杯である(ダッタラ書くな!) とにもかくにも,昨今のヨノナカは実にクダラナイことばかりだなぁ,なんて,つかのま厭世的な気分に浸りつつ,それでもなお《生きるという病気》を抱えたまま今日は今日とて何処から吹く風に身を任せているのである。そして恐らく,ビーバー君だって何処かの渓谷を吹きわたる風の中で秘かに怒っているのである。 「ダム作りを一体何だと思っているのサ。プンプン!」 と。 (さとう珠緒調で?)